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<東京怪談ノベル(シングル)>


5本指の天使


 時間移民政策を推し進めるダウナーレイス族が今回、移民先に選んだのは、慧眼時代である。
 この時代の地球人の身体的特徴は、10本指であった。左右合わせて10本ではない、片手に10本ずつである。
 したがってダウナーレイスがこの時代で仕事を行うには、ちょっとした変装が必要となる。
 変装と言っても10本指の義手を付けるだけなのだが、軽く考えていると、いささか面倒な事にもなるのだ。


「困るよ君……ここは人間の病院なのだがね」
 茂枝萌を診察していた医師が、そんな引きつった声を発している。
 ちょっとした暴動騒ぎに巻き込まれ、負傷してしまったのが運の尽きだった。
 負傷のついでに、義手が壊れてしまったのだ。
 この時代、10本指ではない者は、人間とは認められない。
「あ、いや、これは単なる遺伝で……って言うか指、10本もあったら邪魔じゃない? なぁんて思うんだけど……」
 とりあえず愛想笑いを浮かべてみせる萌に、何人もの兵士が小銃を突き付ける。
 彼らの背後で、医師が言った。
「5本指の宇宙人が、侵略のためのスパイ活動をしている……という情報が入っているのでね。悪いが少しの間、大人しくしていてもらうよ」


「国防長官の言う事とも思えんのだが」
 慧眼時代の地球政府、首相官邸である。
「外宇宙から危機が迫っている、この御時世に……宇宙開発関連の予算を抑えよなどと」
「予算を投入すべき問題が、他にいくらでもあるのです。首相」
 激昂しかけた首相に、国防長官が辛抱強く言って聞かせる。
「空を見上げるのも結構ですが、まずは地に足のついた政治を」
「現実問題として、空から来ている者たちがいるのだ! この地球を侵略するために!」
 首相が怒鳴り、そして官邸の窓越しに見上げた。
 空に浮かぶ、巨大なものを。
「長官も聞いているだろう……あの、ダウナーレイスとか名乗る連中だ」


 大型事象艇・暁号。
 慧眼時代の地球上空に停泊しているこの巨船の貴賓室に今、2人の要人が招かれていた。
 1人は、地球政府の首相。1人は、この慧眼時代においては知らぬ者のいない高名な女性学者である。
 ダウナーレイス側の代表者として応対しているのは、綾鷹郁だった。
「宇宙開発なんて、やめましょうよ〜」
 郁は、努めて陽気に振る舞った。
「そんなんにお金かけたって、面白い事何にもないですよぉ。火星にタコはいないし、金星人だっていないし、月にウサギちゃんがいるわけでもなし。まあダウナーレイスはいますけど」
「我らに宇宙戦闘技術を持たせまいとしているのだろうが」
 首相が、非友好的極まる声を発した。
「そうはいかんぞ、5本指の宇宙人ども。貴様たちの侵略に対抗するためにも、我らは宇宙開発をやめるわけにはいかんのだ」
 侵略などする気はない、とダウナーレイス側から言ったところで、信じてもらえるわけがなかった。
 そもそも移民と侵略の違いというものを、郁の話術では説明する事が出来ない。
 聞けば、慧眼時代の技術の粋を集めたワープ船の実験が明日、行われる予定であるという。
 そこまで進んでしまった宇宙技術開発を放棄させようと言うのだから、ダウナーレイス側からも何かしら代価を支払うのは当然と言えた。
「宇宙開発よりも、やっぱり時間旅行っすよ今は」
 郁は言った。
「あたしたちの航空事象艇の技術があれば、時空航行なんてお散歩も同然ですから。宇宙開発なんかよりも全然、有意義だと思いますよ? もちろんノウハウは無料で提供させてもらいますから」
「侵略者という連中はな、いつの時代でも、最初のうちは友好的に振る舞うものだ」
 首相はそう言い捨て、貴賓室を出て行ってしまった。
「そんな! そんなつもりじゃ……」
 否定しようとする郁の言葉は、しかし首相にはもはや届いていない。
 残された女性学者が、ようやく言葉を発した。
「ある意味、宇宙よりも広大な時空間に進出してしまったら……私たち慧眼人の優越性も失墜してしまう。首相は、それを恐れているのさ」
「小さなお山の大将でいたい、ってわけね……」
 腕組みをして考え込む郁に、女性学者は囁きかけた。
「ところで……5本指の女の子が1人、私たちの病院で怪我の治療を受けている。ちょっとした暴動に巻き込まれてしまってな」
(萌……!)
 連絡が取れなくなっていた仲間の名前を、郁はつい口に出してしまうところだった。
「ぼ……暴動って?」
「あの首相も、まあ有能な政治家ではあるのだが、少しやり過ぎているところがあってな。民衆の反感を、買いまくっているんだ」
 言いつつ女性学者が、郁の肩をぽんと叩いた。
「侵略者ではないと主張するのなら……スパイ行為は、程々にな」


「本当に……程々にしてもらわないと困るなあ、スパイ行為は」
 暁号から戻った女性学者が、病室に入るなり、そんな事を言った。
 茂枝萌が収容……あるいは軟禁されている病室だ。
「す……スパイって? 見ての通り私、単なる怪我人なんだけど」
「見ての通り、君はとっても可愛い泥棒猫ちゃんさ。私たちから一体、どんな機密を盗もうとしているんだい?」
 女性学者の薄い唇を、舌が這う。
 萌は、ベッドの上で身をすくませた。
 そこへ、女性学者が迫り寄って行く。
「君を釈放してあげるよ……私と添い寝をしてくれたら、ね」


 絶対、添い寝だけでは済まない。
 そう直感した萌は、ベッドに入り込んで来た女性学者に、まず当て身を喰らわせた。
 そして気を失っている彼女をベッド上に残し、病室を出た。
 そこで、兵士たちの銃撃を喰らった。
「首相が宇宙開発に取り憑かれてしまったのは、お前たちが来たせいだ」
 小銃を構えた兵士たちを従え、国防長官が廊下を歩いて来る。
 銃撃に穿たれて瀕死の重傷を負い、倒れている萌。
 その傍らで、長官は身を屈めた。
「首相に目を覚ましていただくには……いくらかは、人死にを出さねばならんか」
 呟きつつ長官は、萌の片手に拳銃を握らせた。そして引き金を引かせた。
 銃口を、己の腹部に当てながらだ。
 萌と折り重なるようにして、長官は倒れた。
 上空より降下してきた暁号が、病院の天井を突き破ったのは、その時だった。


「貴様ら、スパイなど送り込みおって! やはり我らを侵略するつもりであったのだな!」
 暁号の医務室で、首相が怒り狂っている。
 慎重を期すための偵察……などという言い訳は通用しそうにない剣幕である。
 黙り込んでしまった郁から、その傍らに立つ女性学者へと、首相は攻撃の矛先を移した。
「何故、黙っていた!? 宇宙人どものスパイが入り込んでいる事を!」
「国民のためです……無用なパニックを、起こさないためですよ」
 女性学者の返答に、首相はさらに激昂した。
「何が国民のためだ! そんな無用な配慮のために、国防長官が宇宙人に撃ち殺されてしまったのだぞ!」
「……生きて、おりますよ」
 治療を受けた国防長官が、ベッドの上で弱々しい声を出した。
 その隣のベッドでは、同じく治療済みの萌が、首相のやかましい怒声など意に介した様子もなく、穏やかな寝息を立てている。
「首相……」
「……わかっているよ、国防長官」
 怒鳴り疲れた様子で、首相は言った。
「あの重傷から君を助けてしまうような連中と、戦う事など出来ん……宇宙開発は中止だ。培ってきた技術は全て、環境保護に転用する」
「協力しますよー」
 郁の申し出を、しかし首相は、溜め息混じりに拒絶した。
「悪いが辞退するよ。君たちには、一刻も早く立ち去ってもらいたい……最初から、いなかった事にさせてもらう」
「とは言っても首相。この大きな暁号が、今まで堂々と空に浮かんでいたのですよ。その存在、国民にはバレバレです。いなかった事になど」
「有無を言わさず、ひたすら隠蔽するさ」
 首相は応えた。
「しばらくは陰謀論がはびこるだろうが、国民は飽き性だからな」


 遠ざかる地球を暁号から見下ろしつつ、郁はぼやいた。
「任務失敗……って事じゃないのかなあ、これって。移民、断られちゃったわけだし」
「移民のための本格的な交渉が行われるのは、これからだよ」
 萌が、続いて女性学者が言った。
「君たちの任務は、そのための下地作りだったというわけだ。それは上手くいったんじゃないかな」
「あの……何でアンタがここにいるわけ?」
 郁が訊くと、女性学者は恥ずかし気もなく萌に寄り添って行った。
「私も一緒に連れて行ってもらうのさ!」
「……2度と戻れないかも知れないよ?」
 萌が苦笑しつつも、寄り添う女性を拒絶しない。
「慧眼時代では私たちが招かれざる客扱いだったけど、久遠の都では貴女がそうなる。覚悟しといてね」
「大丈夫さ。私、こういうアニメ大好きだから!」
「……バカップルになりかけとるぞね、アンタら」
 そんな事を言いながらも、郁はじわりと涙を流していた。
 羨望の、涙だった。