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<東京怪談ノベル(シングル)>


【赤色の秘密】


 共闘とは、誰かと手を取り合い、敵に立ち向かうことである。そう考えると、前回の任務はとても共闘と呼べるようなものではなかったが、誰かと任務をこなすというのも悪くはない、と琴美は思ったりもしていた。
 正直なことを言えば、足手まといでしかなかったし、何より司令官の悪ふざけなんかもあり、ああいうのはやめてほしい、と思わなくもないが、別に琴美は一人が好きなわけでも、孤高を気取りたいわけでもないのだ。
 ただ、自分に匹敵するほどの強者と、身も心も踊るような死闘を繰り広げ、そして勝利する。琴美が求めるのはそんな死闘だ。
 だが、琴美は狂った戦闘狂でもなければ、殺人に快楽を抱く殺人鬼でもない。
「お疲れ様でしたー」
「ええ、お疲れ様ですわ。お先に失礼しますわね」
 組織の表向き商社での業務を終え、女性職員から笑顔で挨拶をされ、琴美も笑顔で挨拶を返す。
 戦闘とはかけ離れた業務。だが、一仕事終えれば達成感はあるし、「お疲れさま」と労いの言葉をかけてもらえれば充実感も湧く。
 こういうのもたまには悪くないですわね。琴美は出口に向かい颯爽と通路を歩く。
「おい、あんな美人、うちの会社にいたか?」
「かなり若いみたいだけど、新入社員か?」
 などと、すれ違う男性職員の囁く声が聞こえる。
「見て、すっごいスタイルいいよ、あの娘」
「うわ、ホントだ。いいなー」
 琴美に振り返るのは男性職員だけではない。女性職員もまた、見惚れるように、琴美に振り返る。
 今の琴美は紺のスーツ姿である。ミニのタイトスカートから伸びる、黒のストッキングに覆われた長く美しい脚は一つの芸術作品である。
 また、そのふくよかな胸はただのスーツ如きでは隠せるはずもなく、引き締まった腰とのコントラストはヴィーナスも裸足で逃げ出すほどの完璧な美しさだ。
 今日の琴美は、艶のある長い黒髪をポニーテールに結わえているため、歩くたびにポニーテールの名前の通り、ふさふさと揺れる。それには人を惑わす魔法があるのか、キラキラと輝いてすら見える。
 さて、今日はオフですし、何をしようかしら。
 少なくとも、そんなことを考えている間だけは、琴美もまた普通の女の子なのだった。


「おい、マジで完食しちまうんじゃねえか」
「スゲエ、長年ここに通ってるけど、あれを完食するとこなんか初めて見るぜ……」
 そこは狭い空間だった。住人も入ればほとんどすし詰め状態である。そこにカウンター席が、限界の十席。すでに満席であり、外には順番待ちの列が出来ている。
 どでかい寸胴鍋からは、もくもくと煙が上がり、食欲をそそる芳しい香りが、その狭い空間内に充満している。
 そこは一軒ラーメン店だった。痛の間では有名な、行列に並んででも食べたいラーメン店。
 今日も例の如く、店の外には長蛇の列。マナーを守ることはラーメン好きの間では、常識である。割込みなどはもってのほか。
 それはこの店でも守られている暗黙のルールとでもいうべき事なのだが、今日は違った。
 店の中にいる客だけでなく、外に並ぶ人たちまで、店内を覗きこみ、一人の女性に熱い視線を注いでいる。列は乱れ、普段なら喧嘩が勃発してもおかしくない状況だというのに、彼らの心はある意味一つになっていた。
 その原因は、この狭苦しい店には不釣り合いな、スーツ姿の見目麗しい女性だった。琴美である。
 琴美の前には、超巨大なラーメン。器、どんぶりなどと呼ぶには、あまりに大きいそれからは、食欲をそそる湯気が立ち上っている。しかしよく見れば、その中身は地獄を彷彿させるような真っ赤な液体がなみなみと入っている。
 その上に浮かぶのは超極太チャーシューが十枚。甘辛く煮込まれたそれは、口の中でとろける柔らかさに、脂が滴るほどの豊潤なうまみを兼ね備えている。そして、煉獄の真っ赤なスープの中を、なんと十人前の、手打ちしこしこ中太麺が気持ちよさそうに泳いでいる。
 これだけの量を一人で、しかも琴美のような美しい女性が食べ進める姿は、凄いを通り越して異様とすら言える。
 そして、忘れてはいけないのが、その真っ赤なスープ。激辛を光の速さで突き抜けたそのスープは、『極辛』と呼ばれる、この店で知らぬ者のいない、とんでもメニューだ。濃厚なうまみ、芳醇な香り、鼻を抜けるすっきりとした後味。
 この店を有名店たらしめる自慢のスープの美味しさを感じられるのは、『極辛』においては、初めの一口目だけなのだ、とこのラーメンを食べたことのある経験者は語る。その後はただただ口内を襲う刺激の嵐。それは、針千本を飲み下すかのような痛みなのだという。
 そんな、量的にも、辛さ的にも殺人級のラーメンを、琴美は表情一つ変えず、ペースを落とすこともなく、それどころか汗ひとつかくことなく、物凄いハイペースなのにやけに綺麗な所作で、食べ進めているのだった。
「マジですげえ、あの娘、何者だ?」
「なんでもいいじゃねえか、そんなこと。問題は今、ここに新たな伝説が生まれようとしているってことだろ」
「俺、後でサイン貰おうかな」
 ギャラリーたちがそんな会話をしているのを、琴美は気にすることなく、一心不乱に、いや無我の境地とでも言うべき静けさでその一杯のラーメンと向き合っている。
「おい、遂に完食するぞ!」
 誰かがそんな声を上げ、琴美に視線が集まる。琴美はラーメンの最後の一本も残すことなく、啜り終えると、
「ま、まさか……!」
 その姿を見て、ギャラリーたちは驚愕に目を剥く。
 琴美は箸を置き、その巨大な器に両手を伸ばすと、おもむろにスープを飲み始めた。
「う、嘘だろ……。あのスープを飲み干すつもりなのか……?」
「無茶だっ! あんなもの全部飲んだら死んじまう!」
「いや、彼女なら生きて帰って来れるかもしれない……。しかし、彼女は恐ろしくないのか……? 次にトイレに行った時、火山が噴火することになるぞ……」
 そんな彼らの言葉が聞こえているのかいないのか、琴美は依然、澄ました顔で器を傾けていき、ついに最後の一滴までを飲み干してしまった。
「マジでやり遂げちまいやがった……」
「歴史が塗り替えられた瞬間だ……」
「すげえよ、マジすげえ……」
 人々は驚愕を通り越し、感動を覚え、涙する者すら現れていた。
「ごちそうさまでしたわ」
 琴美は店主にそう言うと、静かに席から立ち上がった。
「やるな、譲ちゃん」
 店主はどこか満足げな笑顔を浮かべた。
「ふふ、なかなかのお手前でしたわ」
 琴美はそれだけを言い残し、店を後にしたのだった。


「いらっしゃいませー」
 女性店員が琴美に振り返り、満面の笑みで挨拶をしてきた。彼女は一瞬、驚いたような表情をした。その視線は琴美の首もと辺りに向いていたが、すぐに笑みを取り戻し、琴美へと近寄ってくる。こういった反応には、琴美は慣れている。街中を歩いていた時もそうだ。どこにいたって、琴美は人の視線を集めずにはいられない。それは琴美の意思とは関係なく、だ。
「本日はどのようなお召しものをお探しですか?」
「そうですわね……」
 戦闘服が然り、普段から黒いものを着ることが多いのは自覚している。動きやすさも考慮し、ミニのスカートや体に密着するような服が多いことも。
 自分の脚線美に自信があるのも事実だが、たまには黒以外で、普段とは違う、大人っぽいゆったりとした服というのも、いいかもしれない。
 琴美がそのような旨を店員に伝えると、
「それでしたら、お客さまに必ずお似合いの服がございますよ」
 そう言って、女性店員が用意してくれたのは、
「これは、なかなか……、ですわね」
 情熱の赤。深紅のドレスだった。確かに大人の女性の服であるのには違いない。ただ、普段着としては、どうかとも思う。
「いえいえ、お客様なら必ずお似合いになりますよ!」
 店員は力強く、ぐいっと一歩琴美に近づいた。
「このドレスを着こなせる女性なんて、私、お客様以外見たことありませんから! というより、お客様の魅力に負けない服なんて、これくらい大胆なものじゃないと、無理ですよ!」
 店員の目には、このドレスと同じ、真っ赤な炎が燃え上がっているようだった。
「そ、そうですの……」
 琴美は店員の勢いに押され、思わずそのドレスを手に取る。
 見た目以上に軽く、なめらかな手触りから、上質なドレスであることがすぐに分かる。広げてよく見てみると、その色もさることながら、デザインも大胆だ。
 胸元と背中が、ざっくりと開いている。背中はほぼ丸見え、胸元も琴美が着たら、もの凄いことになることは予想に難くない。きっと殺人級の破壊力だろう。
 これはちょっと……。琴美が躊躇っていると、
「どうですか? 試着してみますか?」
 ぐいぐいと店員が詰め寄ってくる。
「そ、そうですわね……」
 琴美をここまで追い詰めるこの女性店員は、ある意味ただ者ではない。
 店員に押し切られ、試着室に入った琴美は、着替えを始める。これで試着をしないわけにはいかない。
 さっさと試着を済ませてしまいしょう。琴美は鏡を眺めることもなく、試着に入るとすぐに、スーツを脱ぎ下着姿になった。透き通るほどに綺麗な肌に、引き締まった体は、痩せすぎているわけでもなく、女性らしい適度なふくよかさがある。
 他人からすれば、一生見ていても飽きることのないその艶やかな肢体も、琴美にとっては見慣れたものだ。鏡に見惚れることもなく、ドレスに袖を通す。
 やはり思ったとおり、もの凄く大胆なドレスだ。素敵なドレスだ、と素直に思う。思うが、人前で着るには勇気がいる。
 背中には、今まで経験したことのない開放感があり、スースーする。それになんと言っても胸元だ。琴美の自己主張の激しい胸が、これでもかと言うほどの谷間を作っている。
 さすがにこれは、少し恥ずかしいですわね……。琴美がそんなことを思っていると、
「どうですか? 着替えは済みましたか?」
 店員が外から声をかけてきた。
「はい、着替えは済みましたけど……」
 やっぱりこのドレスはちょっと、と言おうとしたのだが、それよりも先に、
「うわー、とってもお似合いですよ! 私の見立て通り!」
 店員は勝手に扉を開き、試着室にいるドレスを纏った琴美を見て、そんな声を上げた。
「そ、そうかしら」
「ええ、とっても素敵です!」
 そう言ってもらえると、琴美も満更ではない。何より、店員のその言葉がお世辞の類ではなく、本気で言ってくれているのが、その熱の籠もった声と、キラキラと輝く瞳から、びしびし伝わってくるので尚更だ。
「それでしたら、このドレスを頂こう、かしら」
 店員に乗せられたみたいではあるが、琴美はそう言っていた。
 たまにはこういったドレスを買うのも悪くないかもしれないですわね。自分に言い聞かせるように、琴美は思う。何か、パーティーの時とか、必要になるわよね、と。
「それでしたら、このまま着て帰られますか?」
「いえ、スーツに着替えなおしますわ」
 さすがに、このドレスで街中を歩く勇気はない。
「そうですか……」
 なぜか店員は残念そうにしているが、ここは譲れない。
「それでは着替えますわね」
 琴美は試着室の扉を閉め、着替えを始めた。すると、ドレスを脱いだ所で、携帯が鳴った。
「はい、私ですわ」
 下着姿のままで琴美が電話に出ると、相手は司令官だった。
「突然すまないね」
「いえ、構いませんわ。それより、何か緊急の用件ですの?」
 司令官から直接、琴美の携帯に連絡が入ることなど滅多にない。これで緊急の用がないわけがない。
「琴美君は話が早くて助かるよ」
 司令官の説明によると、いま琴美のいるブティックの近くにある銀行で立て籠もり強盗が起きたのだそうだ。
 それだけを聞けば、よくあるとは言わないが普通の強盗事件。警察の管轄であり、琴美の出張る所ではない。しかし、その事件の犯人が問題だった。
 それは特務統合機動課と少なからず因縁のある、とある組織。今回の強盗は、その末端が起こした事件だというのだ。犯人の武装は相当のものだと予想される。一介の警察では手に余るかもしれない。
「わかりました。直ちに向かいますわ」
 琴美は通話を切ると、急いでスーツを着た。試着室の扉を開き、
「それではドレスを包装しますね」
 と近づいてきた店員に、
「ごめんなさい、急いでいるの。おつりは結構ですわ」
 分厚い万札の束を握らせ、スーツ姿の琴美は真っ赤なドレスを抱えて店を飛び出していったのだった。


「危険ですので離れて下さい!」
 件の銀行の前にはすでに多くの人だかりが出来ていた。野次馬の群れを必死で抑えている警察の姿が見える。
「水嶋琴美さんですね?」
 すると、背後から低い男の声がした。振り返ると、そこには眼鏡をかけた壮年の男が立っていた。ひょろりとした体躯は、頼りなくすらあるのに、男から感じる気配は、彼がただ者ではないことを琴美に知らせていた。
「ええ、そうですわ」
「それでは早速で申し訳ないが、対象の無力化を頼めますかな。無駄な殺生は必要ないとのことです。敵の戦力さえ削れば、後のことは警察がやってくれましょうからな」
「分かりましたわ」
 琴美は頷きながら、懐にあるナイフを確認する。これだけあれば充分ですわね。
「ところで」
 すると、男が何かを気にしている様子で琴美を見る。
「はい?」
 男は一度、琴美の襟元に視線を向け、次に手元を見た。
「その真っ赤なドレスは?」
 琴美は自分の抱えるドレスに視線を落とし、はっとする。すっかり仕事モードになっていた琴美はドレスのことをすっかり忘れていた。
「えーと、これはですわね……」
 先ほど買いましたの、と言うのも少し恥ずかしい。なんと言っても真っ赤なドレスだ。初めて会う壮年の男にとはいえ、ど派手な趣味だな、などと思われるのは抵抗がある。しかし、男はどこまでも紳士的だった。
「任務が完了するまで、私が預かっておきましょう」
 琴美のドレスを自然な仕草で受け取り、男は微笑んだ。
「それでは……、お願いしますわ」
 琴美は男の申し出に甘えることにして、男に背中を向けた。
 銀行の表玄関は完全に封鎖されている。裏手、或いは屋上からの潜入が望ましいかしら。
 琴美はそんなことを思いながらも、先程の男の子とを頭の片隅で考える。わざわざ私を呼ばなくても、彼なら敵の無力化も可能でしょうに。


「な、なんだ!?」
 屋上からつながる換気口を蹴破って、建物内に潜入した琴美は、慌てふためく敵を観察していた。
 敵の数は五人。目に見える武装はアサルトライフル。人質は銀行の職員と一般客、あわせて十人。琴美が換気口を蹴破った音で、敵は動揺を露わにしている。たいした訓練も、場数も踏んでいないことは、一目で分かる。これは退屈な任務になりそうですわね。
 ただ、人質たちに危害が加わらないようには配慮しなければ。
 琴美は素早く地面に降り立つと、素早く一人の男の背後に回り込んだ。
「だれだ!?」
 さすがにそこで琴美の存在に感づかれる。しかし、相手は琴美の動きについて来れていない。琴美はすかさず男の首に手刀を打ち込んだ。その一撃で男の意識を刈り取る。
「敵だ!」
 倒れた男を見て、敵の仲間が声を上げる。しかし、すでにそこに琴美の姿はない。
 琴美は高々と跳躍し、別の男の背後に降り立った。
「うしろか!」
 勢いよく振り返ろうとした男の腕を琴美は掴み、その勢いを利用し、脚を払うことで男の体を空中に浮かせた。そのままの勢いで男に床に叩きつける。
「ぐはっ!!」
 と男は息を漏らし、男はぐったりとする。
 残り三人。殺さないで、というのはなかなかに面倒だ、と琴美は思う。懐のナイフを使えば、すでに敵の無力化など済んでいるだろうに。
 しかし、これも任務だ。琴美は次の獲物へと向かう。
「何もんだ、てめえ!」
 ライフルを琴美に向け、敵が叫んだ。それに答える義理はない。
 琴美は身を翻す。敵の銃弾は一発として、琴美を捉えることはなかった。
 誰だ、こいつは!? 敵は混乱していた。突如現れたスーツ姿の女に、あっさり二人の仲間がやられたのだ。
 任務は無事完了しそうですわね。それに対し琴美はそんなことを考えていた。
 敵の意識は完全に琴美に向いており、人質を盾にとるなどの考えを、敵は思い浮かべることも出来ないでいるようだ。そのことに気づかれる前にも、早いとこ終わらせてしまいましょう。
 琴美は更に加速する。敵の眼前へと接近し、敵の構える銃を思い切り蹴り上げた。敵は驚愕の表情を浮かべている。
 琴美は蹴り上げた脚をそのまま敵の脳天へと振り下ろした。見事なかかと落としが決まり、三人目が地に倒れる。
「くそお!!」
 敵がやけくそ気味に銃を乱射する。
「きゃあ!!」
 人質に捕らわれていた女性職員の近くにあった窓ガラスが砕け散り、悲鳴を上げる。
「少し大人しくしていて頂きますわね」
 琴美は五メートルもの距離をたった一歩で埋め、男の懐へと潜り込み、顎に掌底をぶち込んだ。
 男は白目をむいて、仰向けに倒れ込む。
 残り一人。
 琴美が視線を向けると、
「ひいっ!!」
 男は恐怖を目に宿し、情けない声を上げた。このまま降参してくれれば楽だったのだが、
「う、動くな! こいつがどうなってもいいのか!」
 近くにいた女性職員の髪を掴み、そのこめかみに銃を押し当てた。
「や、やめて!」
 腕を縛られろくに抵抗も出来ない女性職員は悲鳴にも似た声を上げた。よく見ればその目には涙が溜まっている。
 琴美は黙ったまま、一歩男に歩み寄る。
「う、動くな! これは脅しなんかじゃないぞ! この女が死んでもいいのか!」
 そう叫ぶ男はまるで琴美に怯えているかのようだ。
「わかりましたわ。このナイフを手放して、両手を上にでも上げればいいのかしら」
「そ、そうだ」
 琴美の言葉に、男は慌てたように首肯する。
「わかりましたわ」
 琴美はだらんと下ろしていた両腕を持ち上げ、
「な、なに!?」
 そのまま持っていたナイフを投擲した。ナイフは寸分違わず男の構えるライフルの銃身に突き刺さり、これでもうあのライフルは使い物にならない。
「き、貴様!」
 男が怒り狂ったように琴美に振り向くが、時すでに遅しだ。すでに琴美は男の眼前まで迫っており、男の目に入ったのは、やけにスローモーションに見える、ポニーテールが男の目の前を流れていく所だった。
「ゆっくりお休みなさい」
 琴美の体は宙に浮いており、回転運動を全身にため込んでいる。琴美はローリングソバットを男のこめかみにぶち込んだ。
 吹っ飛んだ男は白目をむき泡を吹いている。
「あ、あの……」
 驚いた顔で女性職員が、事美に振り返る。
「……あれ?」
 しかし、底にはすでに琴美の姿はないのだった。


「「お疲れ様です!」」
 銀行から潜入した時と同じ経路で外に脱出した琴美を出迎えたのは意外な人物だった。
「どうしてあなた方がここに?」
 そこにいたのは、この前の任務で一緒だった眼鏡と巨漢の部下だ。
「琴美さんが銀行強盗の鎮圧に向かったという連絡を受けまして、たまたま近くにいた我々にも現場に向かうよう指示が入ったんです」
「そうですの」
「ただ、その様子だと任務はすでに完了したということでしょうか?」
「ええ、ちょうど今ね」
 その言葉を聞いて部下二人はどこか残念そうな顔をした。しかし、すぐに気を取り直し、眼鏡の部下が事美に何かを差し出す。
 なにかしら? と琴美が目を向けると、
「琴美さんのものだと聞いて預かっていたのですが」
 それは琴美の購入した深紅のドレスだった。
「え、ええ、ありがとう」
 琴美は慌ててそれを受け取る。
 どうしたのだろう? と今度は部下二人が首を傾げる。二人としては、琴美というのはこんなドレスを着て、日頃から豪勢なパーティーなどに参加しているイメージなのだ。
「それにしても、どうして銀行強盗の制圧なんて任務が我々に回ってきたんでしょうか?」
 巨漢の部下が不思議そうにそう呟く。戦闘しかしていないこの部下には理解できないことだったのだろう。
「それは、今回の犯人が特務統合機動課と敵対している組織が関係していたからよ」
「なるほど、そういうことだったんですか」
 納得顔の部下に、琴美はついでとばかりに、
「戦闘をするにも、武器やなんやとお金が必要になってくるものなんですわよ。きっとその資金調達のためにこんな事をしたんでしょうね。まあ、おそらく今回の犯人は、私たちの警戒している組織の末端も末端。縛り上げてもたいした情報は手に入らないでしょうけどね」
「それで、どうして琴美さんはスーツなんでしょうか?」
 眼鏡の部下が、今更の質問をする。
「少し表向きの仕事の帰りだったのですわ」
 商社の仕事も大事な仕事だ。先程も言ったとおり、何をするにしてもお金は必要になってくるわけだし、何より、商社というのは物とお金の流れを掴むのに、もってこいの組織なのだ。そう言った流れから、様々な情報を手に入れることが出来るのである。
「それにしても、あのオッサンは何者だったんだろうな?」
 巨漢の部下が眼鏡の部下に言う。それはおそらく、琴美もあった壮年の男のことだろう。この二人も知らない男なのか。
 そんなことを思っていると、
「こ、琴美さん! そこ!」
 慌てた様子で眼鏡の部下が琴美の襟元を指さした。
「血がついてるじゃないですか! どこか怪我をされたんですか」
 琴美は自分の襟に視線を向ける。怪我をした覚えなどないので、敵の返り血でも浴びてしまったのだろうか。もし、そうだとしたら、琴美としては、それは一生の不覚だ。
「あ、これ……」
 しかし、琴美は違う意味で焦った。そこについていたのは、琴美の血でもなければ、敵の返り血でもなかった。それは、あのラーメン店で食べた、『極辛』ラーメンのスープだった。
「おほほ、これは何でもないですわ」
 琴美は誤魔化すように、部下たちに背中を向ける。よく見れば血でないことはすぐに分かる。部下たちに真実を知られるのは、あまりに情けなく、あまりにも恥ずかしすぎる。
「後のことは警察が何とかして下さるでしょう。そう言えば私、この後急ぎの用があったのですわ」
「あ、ちょっと待って下さい。琴美さん」
 呼び止める部下たちの声を振り切り、琴美は銀行での戦闘時よりも本気のスピードで街中を走り去っていったのだった。