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<東京怪談ノベル(シングル)>


武装劇団


「まっこと、やってられんきに!」
 綾鷹郁は怒り狂い、担当の医師の胸ぐらを掴んだ。
「配膳! 掃除に洗濯! くだらんミーティングの準備に、寝たきり患者の下の世話まで! 患者にここまで働かせる病院って一体何ぞね!」
「お、落ち着きたまえ。ここはそういう病院なのだよ」
 医師が、揺さぶられながらも郁を宥めにかかる。
「わかるだろう? 君は、その……いささか精神を煩っているのだ。共同生活を経験する事で、心の平衡を取り戻さなければ」
「何でもかんでも強制されて、気ぃ触れん方がどうかしとるき!」
 郁の怒声が、絶叫が、響き渡った。
「何で、かおるが! こんなとこ入院せにゃあいかんがぁあああああああ!」


 迫真の演技に、観客が総立ちになった。
 鳴り止まなかった拍手が、ようやく鳴り止んだ時。
 そこは病室だった。郁は再び、医師の胸ぐらを掴んでいた。
「まっこと、やってられんきに!」
(あれ……あたし……)
 郁の中で、もう1人の冷静な綾鷹郁が、ぼんやりと覚醒した。
(何……やってんの? さっきから……)


「今回の目的地は、20世紀のソマリアだ」
 作戦会議室で、上官が説明をしていた。
「我が軍のTC(航空事象艇乗員)が、アシッド勢力に捕われている。現地の武装組織と結託したアシッドどもを殲滅し、捕虜を救出する。それが今回の作戦である」
 その作戦を実行するため、郁は兵器の密売人に化けて武装組織に潜り込んだのだ。
 だが銃の試射に失敗し、頬に傷を負ってしまう。
 大した傷ではなかったが、何故か病院をたらい回しされ、気が付いたら精神病院に入っていた。
(……って、ちょっと待ってよ。あたしが、銃の試射に失敗?)
 自慢ではないが、銃器の扱いには自信がある。銃剣術を含め、小銃類の使用に関して、郁の技術は師範級である。頬に傷を負うような無様な試射など、するはずがない。
(何……あたし記憶が、どっかで……おかしくなってる……?)
「痛……っ」
 頬に染み込んで来た冷たい痛みで、郁は我に返った。
 胸ぐらを掴まれている医師が、落ち着いた手つきで、郁の頬の傷に薬品ガーゼを当てている。
「我々が君の仲間たちを捕えている、などというのは妄想だ……いいかね、よく聞きたまえ」
 医師が、不気味なほどに優しく微笑んだ。
「……君は、殺人犯なのだよ」


 病院の食堂である。
 食事をしながら、幻覚と会話をしている患者がいた。詩を朗読している患者もいる。
 深刻な表情で、スプーンに話しかけている患者もいた。
「こちらエンジェル1、敵の陰謀がおおかた明らかになった。裏が取れたら連絡する。オーバー」
 彼にとってそのスプーンは、密造した通信機か何かなのであろう。
 その男の耳元で、郁は囁いた。
「……ここを脱走しましょう。他の人たちにも、そう伝えて」
「言っておくが、スプーンは持ち出し禁止だよ?」
 医師が、すぐ近くにいた。


「あー……明日の公演、まじプレッシャーなんだけど」
 郁は思わず、そう呟いて頭を抱えた。
 趣味で演劇をやっている。生まれて初めての公演を前に、郁の心臓は今、疲弊するほど高鳴っていた。
 そんな郁の肩を、鍵屋智子が優しく叩く。
「大丈夫よ、郁さん。どんなに無様な演技でも、私は温かく拍手をしてあげるわ」
「智子ちゃん、それ……励ましに、なってないから」
「励ましているわけではないわ。これから起こる事実を、起こるままに述べているだけ」
 智子の口調が、表情が、真摯なものになった。
「大丈夫よ、郁さん……貴女は私たちが、必ず助けるから」
「そうだ。仲間を信じろ」
 同僚のTCたちも、そこにいた。
「今しばらくの辛抱だ。必ず、助けるからな」
「お前の演劇、楽しみにしているぞ……」


 病室のベッドの上で、郁は跳ね起きた。
「おや、どうしたね?」
 モニターを見つめていた医師が、声をかけてくる。
 現在、3D治療を実行中である。
 公判が近い。早急にその精神疾患を治さないと、法廷に立つ事も出来なくなる。勾留期間が無駄に伸びてしまう。3D治療が嫌ならば、後は強引な人格矯正しかなくなってしまうが。
 医師はそう言って半ば無理矢理、郁に対する3D治療を行っていた。
「仲間が……」
 頭を抱え、郁は呻いた。
 夢の中で、大勢に声をかけられていたような気がする。必ず助ける、信じろ、などと。
 だが何から助けてくれると言うのか。何を信じろと言うのか。
 そもそも自分は何故、こんな所にいるのか。
 自分は一体、何者なのか。
「何か夢を見たようだね。それは君の、単なる心象風景に過ぎないよ」
 医師が、穏やかな口調で言った。
「君の仲間は、私たちなのだからね……」


「急いで!」
 鍵屋智子は、号令を叫んだ。
 武装組織の病院内で、激しい銃撃戦が展開されている。
 智子に率いられたTC部隊が、病院への潜入に成功したのだ。
 武装組織の戦闘員たちが、病院廊下のあちこちで銃撃に倒れてゆく。
 黒幕であるアシッド族は、とうの昔に彼らを切り捨て、逃亡してしまったようだ。そちらは現在、別働隊が追っている。
 智子たちの任務は、この病院に捕われている捕虜の救出である。
 捕われていたTCたちが、智子の部隊によって次々と救出されてゆく。
 全員、憔悴しきっているようだが、命に別状はない。
 救出された者たちの中に、しかし綾鷹郁の姿は、まだなかった。
「郁さん……待ってて」
 焦りを、智子は押し殺した。


 迫真の演技に、観客が総立ちになった。
 鳴り止まなかった拍手が、ようやく鳴り止んだ時。
 見知らぬ少女が1人、そこに立っていた。
 劇団員であろうか。いや、こんな女の子はいなかったような気がする。
 郁は、とりあえず声をかけた。
「えっと……誰? お客さん? 駄目だよ、こんなとこ入り込んだら」
「郁さん……!」
 その女の子は、ひどく驚いたようだった。そして、郁の名前を知っている。
「私よ! 鍵屋智子!」
「かぎや……さん……?」
 郁は突然、頭痛を覚えた。
 痛む頭を、ガクガクと容赦なく揺さぶられた。智子が、掴みかかって来ていた。
「しっかりして郁さん! 私たちは確かに貴女を助けるけれども、貴女がしっかりしなければ助かるものも助からないのよ!」
「お、大っきな声出さないでよ……頭、痛いんだから」
 頭を抑えながら郁は、智子の両手を振りほどいた。
「まったく……普段は知的ぶってるくせに、やる事ぁ強引なんだから」
「郁さん……」
「智子ちゃん……それ、貸してくれる?」
 郁の求めに応じて、智子が小銃を差し出してくる。
 それを受け取り、ぶっ放しながら、郁は叫んだ。
「わけわからん夢も、これで終いじゃき!」
 銃撃が、病院のセットを破壊していった。


 郁は、目を開いた。
 病室のベッドの上で、3D治療を施されながら、おかしな点滴を受けている最中だった。
 その点滴チューブを引きちぎり、跳ね起きる。
「な、何だ、まだ治療の最中だぞ……」
 医師が、慌てふためいている。
 構わず郁は、憔悴した身体でユラリと踏み込んで行った。
「たち悪い、お医者さんごっこは……ここまでぞなもし!」
 憔悴しきった肢体が、竜巻の如く捻れて翻り、ほっそりと形良い左脚が跳ね上がって宙を裂く。
 鞭を思わせる超高速の回し蹴りが、医師と3D医療装置を一緒くたに打ち据えた。
 医療機器の残骸もろとも、医師の身体が吹っ飛んで壁に激突し、ずり落ちる。
 その時、病室の扉が開いた。
「郁さん!」
 駆け込んで来たのは、鍵屋智子だった。同僚の、TC部隊員たちも一緒である。
 郁はにっこりと微笑みかけ、親指を立てて見せた。


 武装組織内に潜入した直後、郁は組織の刺客数名に襲われ、これを辛うじて撃退したものの自身も傷を負い、昏倒してしまった。
 そのまま組織に捕われ、洗脳を受け続けていた……という事であるらしい。智子から聞いた話である。
 今、郁は目を閉じていた。
 目蓋の裏に浮かんでいるのは、自分が銃撃で破壊した、病院のセットの残骸が散らばる光景である。
 その中に、医療装置の残骸もろとも蹴り飛ばされた医師の姿が、吸い込まれ消えていった。
 郁は目を開き、疲れたように微笑んだ。
「いらんものは、とっとと片付けて寝る! 明日の公演に支障きたしちゃうからね」