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<東京怪談ノベル(シングル)>


恋の調べ、結ぶ絆

「ちょっとお! 紅茶も飲めないっての!?」
ドアを蹴破らん勢いで、すらりとした長身の女が事象艇艦橋に入って来た。彼女の名は、藤田・あやこ。純日本人風の名、出身国の特徴である黒髪を持っていた。だが日本人らしいと呼べるのはそこまで。普通では到底考えられないことに、彼女の瞳は右は黒、左は宝玉のような紫色をしていた。横から飛び出た、ゆるいカーブを描く長い耳がよく通る声にあわせてぴょこぴょこと動く。この活発な成人女性を成すパーツの中で、耳だけはいたずら好きの少女のそれのようだった。
このような特徴的過ぎる姿を持つ彼女に、国籍や出身を問うことは、もはや馬鹿げているといってよい。あやこの肉体は、エルフと呼ばれる人間とは異なる知的生命体、平たくいうならば妖精族のものに変化していた。それだけではなく、よく見れば彼女の喉元には鰓があることや、長く付き合えば背には白く輝く羽があることにも気づくだろう。あやこは数奇な運命によって形作られた、最も優美な合成生命体とでも言うべき存在なのだが、そうなるに至った経緯は別の物語で語られるだろう。

姿はエルフの若い娘、だがこの事象艇では最高権威となる艦長を務めるあやこの少々威勢のよすぎる態度に、士官が思わず厳しい口調で言う。
「艦長。お静かに」
見ればクルーたちは揃って、計器を難しげな顔で覗き込んでいる。
「う、……はい。すみません」
長い耳がしゅんと下がる。士官は態度を和らげ、穏やかに言葉を続けた。
「辛抱してくださいな。この艦は今、事象調査に全力を注がなければいけないんですから」
モニターの向こう、高度的には眼下と言えばよいか――では、非常に簡素な衣服をまとった人々が、獣を狩り、祭りを行い、穴ぐらで眠るという、シンプルこの上ない原始生活を行っていた。ここははるか古代の日本、後世には縄文時代と呼ばれるようになった時代。彼らの生活、文化、信仰こそが未来の礎となる。あやこたちは時を駆ける船、航空事象艇からこの時代を観測し、百万年後の歴史を予測するという任務を負ってやって来ていた。人の一挙手一投足が、歴史の大きな分岐点となることすらある。油断はできない。膨大な機能と出力を持つ事象艇を以ってしても、未来予測は容易な作業ではなかった。現在艦は、照明を落とし、推進機を完全に停め、持てる機能のほとんどを観測のために費やしているのだった。当然、紅茶を淹れるなどという暢気な(一部の人間には重要なのだが)事情に艦のパワーを使うことなど許されない。観測員たちは寝食も忘れんばかりの没頭ぶりで、モニターから導き出されるデータを見つめ続けている。

「わかってるわよ。何のためにこの時代に来てるかなんて」
でも、でも、紅茶すら飲めないなんてあんまりでしょ。弱弱しくつぶやき、あやこはうなだれる。だが、思う存分しょげる時間すら、艦長には与えられない。すぐに別な女性士官に呼ばわれた。
「艦長、そろそろお願いします」
あやこの垂れた耳が、少しだけぴょんと上に向いた。演奏会!
彼女にとって、目下一番の楽しみがあったのを忘れていた。特徴的な色違いの瞳に光が宿る。自室に戻り、大切そうに小型の竪琴を取り出すと、あやこはいそいそと喫茶室に向かうのだった。

* * *

閉鎖空間の中で、厳しい任務をこなし続けるのは大変なストレスがかかる。過酷な任務に携わるクルーの生活の質を保たせるため、艦内では時折ちょっとした娯楽イベントが開かれることがあった。その中でも特に頻繁に行われるのが、今回のような演奏会であった。音楽は人の心を安らがせる。よりよい娯楽と休息を得られたクルーは、仕事でよりよい結果を出してくれると期待されていた。いろいろ理由づけはされているが、何よりありがたいのは、楽器は艦のエネルギーを食ったりしないことだった。今回は艦長職にあるあやこも借り出されていた。竪琴の二重奏をメインとする今回の演目では、彼女の演奏が必要とされたからだ。

会場となる喫茶室も、調査優先の艇の方針から薄暗いままだ。それでも、弦がどのように歌ってくれるかは体が知っている。あやこはそっと、竪琴を抱くように構える。中世ヨーロッパの吟遊詩人が歌うような、古めかしいサーガが奏でられる。一時間ほどの演奏の後、ミニコンサートは無事に終了した。目を閉じ、くつろいで音楽を鑑賞していた士官たちから静かな拍手が上がる。演奏を堪能し、賞賛した彼らはその後ゆっくりと立ち上がり、ある者は持ち場に、ある者は休息室へと戻っていった。

片づけを済ませ、席を立とうとすると、竪琴デュオのパートナーである男性士官が話しかけてきた。
「あやこさん、最後の方、少しミスがあったでしょう」
彼とはリハーサルで出会って以来、音楽を通じて親しくなった。豊かな表現力を持つ演奏、竪琴を爪弾く時の憂いのある表情に、あやこは自分が男に少し惹かれていることを自覚していた。
「ばれてた?」
「何回一緒にリハーサルしたと思っているんですか。らしくなかったですよ」
「たはは。かなわないわね」
たははと笑うあやこだが、はっと我に返り、顔をしかめる。
「……ちょっと。艦長って呼びなさいよ」
今度は士官が笑う番だった。
「任務時間外では、拒否します。あやこさん」
士官はそっと竪琴からあやこの手を外し、自分の手で柔らかく包んだ。
あ。手、大きい。あったかい。男の両手のぬくもりに、気持ちがぐらりと揺らぐ。
「……あやこって、呼んでよ……」
恥じらい、そっと目を伏せるあやこに、真剣な面持ちで彼は言った。
「演奏以外にも、ご一緒したいことがたくさんあるんです。あなたとは」
恋が始まる、瞬間だった。

* * *

いいんだけど、ね。私、ドキドキしてる。でもほんとに、いいのかな。

環境局には恋愛禁止などという野暮な規則はない。しかし、仮にもあやこは艦長だ。部下である士官と恋に落ちていいものなのか。他のクルーたちに悪影響を与えないだろうか。あれこれと悩みながら艦長室に戻るあやこに、副官が駆け寄ってきた。泣きつかんばかり、大げさな身振りで言う。
「艦長ぉー! 縄文観測班、何とかしてくださいよ!」
縄文時代の観測員たちが、作業の負荷が高いことを理由に、半舷休の頻度上昇を要求しているとのことだった。困ったことに、チームのトップである担当官すらその意見に同調して、環境改善を強く訴えてきているという。返答によってはストライキさえ始めかねない様子だ。
要求するのは自由だが、それを通してしまっては他の者からの反発が出るだけだ。第一、それほど劣悪な仕事環境は与えていない。調査チームの仕事がきついものになることはあらかじめ皆承知しているはずだった。
「全部無視していいわ。文句があるなら私のところに直接来いと伝えて」
あやこの下した判断は早い。
「しんどいのは全員同じことよ。楽したいんなら降りて別な仕事を探しな」
視界の端に、恋のときめきを分かち合った男性士官が映る。彼も含めて全員に、あやこはきつい環境で働き続けろ、異論は許さんと告げたのだ。男の顔を横目で見るたび、心のどこかがちくりと痛む。
(「仕方ないよ、仕方ないじゃない。仕事なんだから――!」)

「私、おかしいよね……」
揺れ動く自分の心を扱いかねていた。厳しくあらねば。びしっと、艦長としてやっていかねば! そう強く思う。それでも彼に声をかけられると、心が弾んでしまう。浮かれて、期待してしまう。彼女は恋心を抱き始めた男に誘われるまま、格納庫へ足を向けた。彼は衆人環視の中で、堂々とあやこを誘った。休息時間中に竪琴の指南をしてください、と言う名目でだったが。あやこはしっかりと胸に楽器を抱いて歩いていた。他の乗組員が見ても、練習に向かうのだとしか思わないだろう。

「あやこ。待っていたよ」
あやこと同じく、竪琴を携えた男性士官はさわやかに微笑む。その笑顔に、あやこは胸を締め付けられるような甘く、切ない感覚を味わった。
(「ああダメ。私、もうやられちゃってるな」)

二つの竪琴、二人の男女が奏で、互いの調べを聴く、二人だけの演奏会。広い格納庫は、まるでコンサートホールのような音響効果を与えていた。澄み切った弦の音が流れ、はね返り、妙なる調べを複雑に絡め、響き渡らせる。踊るように、竪琴を掲げ、つま弾きながら、あやこと男は少しずつ、少しずつ、互いの距離を狭めていく。ついに二人は身を寄せ合い、気持ちを確かめ合うように、クライマックスを奏でた。

「あやこの音色は本当に美しいね」
「ふふ。これは私の命の声よ」
「では僕たちは、命を分かち合っているというわけだ」

格納庫は優れた音響効果を持つスペースであると同時に、分厚い扉と壁で仕切られた防音施設ともなる。二人の演奏を聴くことができるものは誰もいなかった。そして、彼らの睦言が聞かれる心配もなかった。士官とあやこは、想いを伝え合い、見つめあう。そして、それが当然のことであるかのように、男と女の顔が近づき、手が握り合わされ、唇が重ねられた。二人は、長い、長い間、そうしていた。

ずっと、こうしていられたらいいのに。

* * *

あやこの望みは砕かれた。
竪琴の調べが彩ったあの逢瀬の後、あやこの元に届いたのは恋文どころか、けたたましい警報と緊急指令であった。指令のあった地点に急行する。細かいことを確認する時間はなかった。とにかくわかっていたのは、地球最期の日が異常に早まってしまうということだった。観測中の縄文人たちが、あってはならない変革を起こすのか。それとも何か、他の時代が原因なのか。アシッドクランの仕業であろうか。それを突き止める余裕はなかった。あやこたちが現場に着いた頃には、地球に残されている時間はわずか半日となっていた。地球は太陽によってほどなく焼き尽くされる。だが、その破滅の光景を黙って見ているわけにはいかない。すでにティークリッパーたちは最悪の状況を想定し、街に結界を張り巡らす準備を開始していた。人々の避難誘導、結界器の制御、すべきことは限りない。あやこはいつにない険しい表情で、伴ってきた士官の隊に振り返った。その中には、愛を交わしたばかりの男もいた。

(「ここでは、彼は『私のあの人』じゃない。部下の一人だ」)

感情を理性と使命感で抑えつけ、指令を下す。
「結界設置班に合流、決死の覚悟で任務に当たるように。――指揮はあなたが」
最も重く、危険な任務を与えられた『彼』は、うやうやしく艦長に頭を下げた。

できることなら、一緒に行きたかった。どんなことでも、分かち合いたかった。だが、それはできない。男は危険と隣り合わせの灼熱の戦地へ。女は指揮官としての役目を果たすため、司令塔へ。各艦より急行した高級士官たちが、血走った目で食い入るようにモニタを見つめ、必死に状況を把握しようとしていた。しばらくの間は、すべてがうまく行っているように思えた。新たな警報が鳴り響くまでは。

「結界器4番に破損!」
「まずい!」
その言葉に、あやこは弾かれるように立ち上がる。背後で静止の声が聞こえたような気がするが、かまわなかった。司令塔を飛び出し、走る。走る。すでに大気は恐るべき熱気に包まれている。

あの人が危ない。あの人が。
――あの人に会いたい!
スーツがたちまち汗にまみれる。髪が乱れて黒と紫の瞳を覆う。熱気に圧されて足がもつれ、転び、手のひらや膝が傷ついてもあやこは足を止めなかった。火傷と、擦り傷。そんなもの何でもない。結界器が覆う街の外れをひたすらに目指す。
「戻ってください! ここは危険だ!」
髪を振り乱して駆け寄るあやこに誰もが異常を感じただろう。設置班に見つかり、引き戻される。
「あの人はどこ! どこなの! 無事でいるの!?」
どんなに暴れ、声を枯らし叫んでも、愛しい人の姿は見えない。自分を押さえ込む人々が何かを叫んでいるが、頭に入ってこなかった。真っ赤に燃え、熱波を受けて揺らぐ結界の外はまるであやこを嘲笑っているかのようだった。
「どこなの――!」

極度の神経衰弱状態にあると判断されたあやこは、医務室に運ばれ、その後特別個室で強制的に休息させられることになった。無事に結界器は作動し、人々は避難完了。終末異変の元となった事象も特定され、問題は解決したのだという。ただ一つ、艦載機が一機帰還しなかったことを除けば。

無事に作戦は終了した。だがそれがあやこにとって何だというのだろう?
愛する人を失ってしまった女にとって、そんなことが、何だというのか?
あやこはすべての希望と情熱を失い、ベッドに一人うずくまっていた。足元には、命とまで呼んだ竪琴が乱暴に投げ出されている。彼女の傷ついた心を表すかのように、弦が2本切れてしまっていた。

* * *

「あやこ」
いつまで、現実から目を背け眠っていたのだろう。優しく呼ぶ声がした気がして、あやこは目覚めた。
「あやこ」
嘘ではないのか。夢ではないのか。共に奏で、愛し合い、一方的に奪われ失った――愛する人がそこにいた。絶望的な状況で、どうやって助かったのか。いや、そんなことはどうでもよかった。二つの色を持つ両の瞳から涙が流れる。何も言えずに恋人に駆け寄り、あやこは泣いた。
「もう会えないかと思った。もう……一緒に弾くこともできないかと……」
手や顔の治療跡も痛々しい姿の男性士官は、しっかりとあやこを抱きしめ、流れる黒髪を梳いてやる。
「弦が切れてしまっているね。直したら、また一緒に演奏しよう」
「もう離れるのはいや。失うのはいや! ずっと一緒にいたいのよ」
「はは。あやこは極端だな」
「そんなことない。あなたがいれば、私、何も要らないわ。この仕事だって!」
「本気なのかい?」
「本気よ! 私には手に職がある、ブランドの展開だけで――」
恋人は抱きつき、まくし立てるあやこの身を少しだけ離して、目を合わせて穏やかに言った。
「君はそんなことしちゃいけない。僕だってこの仕事に誇りがある。それはいけない」

どんなにあやこが危険な仕事を辞し、二人きりで静かに暮らそうと懇願しても、彼は決して首を縦には振らなかった。愛し合う者同士であっても、求めるものは違っていることもある。あやこはそれがわかっていたから、恋人をそれ以上束縛しようとはしなかった。男もあやこを愛しているから、望む未来が違っていても、彼女から離れようとはしなかった。二人は今も愛し合う。愛し合うからこそ、譲り合った。男は仕事は続けるが、恋人のためにより危険の少ない仕事へ転属した。女は恋人のために、忙しい合間にやっとのことで取れる休暇のうち何日かを、彼のために捧げることを約束した。

「しばらく会えなくなるけど。あやこ、元気で」
「ええ。あなたも」
「弦は大丈夫だね? 音楽を忘れないでくれ。共に奏でた旋律を」
「音楽と共に、確かめた愛を、ね」
二人のしばしの別れに涙は要らなかった。今日もあやこは竪琴を抱いて眠る。愛しい人と再び会う、甘い時間のことを思い描きながら。

――彼女の思う『甘い時間』が、少々理解しがたいものであったことは問題であったが――残念なことに、その思考を覗き見ることができるものは、誰もいなかった。

「あなたぁ……ご飯にする? 私にする? そう、ご飯を食べながら私にするのね……むにゃ……」