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<東京怪談ノベル(シングル)>


現象に対する名称と考察
場所と、何よりその時刻。指定きっかりにアンティークショップ・レンの扉を見つけた松本太一(まつもと・たいち)はそのドアをそっと押す。
ドアは小さな音を立てて開く。淡く黄色い光に包まれた店内。店の奥のカウンターに座ったチャイナドレスの女性が太一を見て口の端だけを上げるやり方で笑いかける。
「あんたが。話は聞いてるよ」
魔法少女の衣装に身を包んだ太一はそれを聞いて苦笑する。
太一の今日の外見は誰が見ても間違いなく美少女、と言える。でも中身は48歳の会社員なのだ。何より生まれてからこのかた、魔女と契約するまでの名前は松本太一。名前のままの人生を送ってきた、はずだった。
パニエで膨らませたサーキュラースカートがどこかに引っかかっては大変だ。太一はそう思いながらゆっくりとした足取りでアンティークな品々が所狭しと飾られた店内の奥へと進む。
店主である碧摩蓮(へきま・れん)はその様子を興味深そうに観察する。
カウンターにたどり着いた太一に蓮は聞く。
「あんた、ノーメイクなんだね」
全く想定外の言葉を投げられた太一は、言葉の意味を探るように蓮の顔を見返す。その表情を見て蓮は弾けたように笑い出す。
「ごめんごめん。先に仕事、すませようか」
「あ、預かり物はこれです」
蓮は太一が差し出した紙袋から小箱を取り出すと小さく頷く。
「はい、確かに」
それを聞き、太一は小さく安堵の溜息をつく。
蓮は顔を上げ、太一に聞く。
「何て言われた?」
「もし届けられなかったら。あるいは受け取りを拒否されたら。酷いわよ、って言われました」
「酷いって?」
「転職してもらうからね、と言われました」
「転職? 荷物運び以外の仕事にってことかい?」
「いいえ。人間以外の生き物にするからって言われました」
「……それは転職じゃなくて転生とか言うんじゃないのかい」
「そこは突っ込めませんでした。――怖くて」
それを聞いた蓮はからからと笑いながらカウンターの奥へと引っ込む。太一はそれを目で追いながらも憮然とした表情だ。
(だって相手は百戦錬磨の大魔女なんだから。機嫌を損ねたらどうなるか)

しばらくして戻ってきた蓮は太一に封筒と口紅を手渡す。
「お疲れさん。お駄賃は大事に使うんだよ」
太一は手のひらの上で口紅を転がす。シャンパンゴールドのケースには繊細な花と猫の細工が施されている。
「これは?」
「オマケというかプレゼントというか。あんた、せっかくオンナノコなんだから。それを楽しみなよ」
「せっかくと言われましても」
必要に迫られて魔女と契約したと思いたい太一はその言葉を否定したい。ただしそれを口にしてしまうと契約した魔女に聞かれる危険性がある。今は眠っているとはいえ、契約した魔女は太一と一体化しているのだから。
蓮は太一の手から口紅を取り、慣れた手つきで中身を繰り出す。太一が想像していたよりずっと落ち着いた色だ。
「ほら、こっち向いてじっとして」
蓮の言葉に太一は大急ぎで両手を振って否定のジェスチャーを示す。
「いえ、今日は」
「そう?」
蓮は意外と素直に口紅を戻し、太一に再び握らせる。
「予行演習なしで本番に行く時は気を付けな」
「どういう意味ですか?」
「ここにある品物が普通のものだと思ってもらっちゃ困るってことだよ」
太一は口紅に目をやる。
「今風に言えば『女子力超アップ! 魔法のルージュで恋のライバルに差をつけちゃおう☆』ってとこかな」
「……僕が言うのも変ですけど、微妙に古いと思いますよ、その説明……」
「要は古今東西、化粧をする理由なんてひとつしかないってことさ。だから魔法もかけやすい。魔法の強さと願いの因果関係は散々教えられてるんだろ?」
「――いやというほど」
太一の答えを聞いた蓮は満足そうに笑う。
「だったら、気をつけなって意味がわかるだろ? そしてあたしがこの場でルージュを引くことを強制しない意味も」

外へと続く扉を開けた太一に蓮はカウンターから声を掛ける。
「次はあんたの中の魔女ちゃんにも会いたいね」
「次回があれば考えます」
蓮の笑い声を背後に聞きながら太一は扉を閉めた。

蓮はカウンターの中で、太一が持ち込んだ小箱に囁きかける。
「使うと思う?」
「使わないわけがないでしょ」
小箱が応える。
「だよな。でもこれじゃ賭けが成立しないぞ」
蓮の発言に小箱が提案する。
「じゃあ条件を変えましょ。いつ使うか」
「それより、いつ気づくかのほうが面白くないか?」
小箱はそれを聞いて思案し、答えを出す。
「一生気づかない」
蓮は小箱を人差し指で軽く叩く。
「今の条件は取り消す。しかし、さっきから賭けにならんな」
退屈そうな蓮に小箱は笑いかける。
「そういうところが気に入ったんでしょ、あの子は」
「わからんでもないが」
蓮の答えに小箱が質問する。
「欲しくなった? 魔法のルージュ」
「贋物だと知っている人間にそれを聞くかな」
小箱はさらに問う。
「嘘だと知ってて騙されたいと思うこともあるでしょ?」
蓮は店の窓に目を移す。
「残念ながら。そこまでイノセントな生き方はできないんでね」
「いいわね。それ。そんな言い方されたら今度はわたしが欲しくなっちゃう。魔性のルージュ」
「魔法の、と魔性の、じゃずいぶん雰囲気が違うな」
「どっちも思い込みの産物だけどね」
「まあな」
蓮は相槌を打ちながら太一の中の魔女がいつ今日渡した口紅には何の魔力もない普通の口紅と気づくかを賭けの条件にしてみたらどうか、と少し考え、やはり賭けが成立しないのだろうなと思い直す。では、いつ太一にそれを教えるか? というのはどうだろう。それも賭けになりそうにない。
小箱を通じて会話をしている大魔女も、こと太一の行動で賭けになる条件などないことに気づいているのだろう。それでも自分の店にわざわざ太一を寄越した。そのこと自体がある意味太一の力なのだと蓮は思う。
それを魔法と呼ぶか、魔性と呼ぶかはこれから協議することにして。