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<東京怪談ノベル(シングル)>


もう1つのフェイト


 工藤勇太の知る限り、「運命」を意味する英単語は2つ存在する。「destiny」と「fate」である。
 意味するところはほぼ同じようだが、後者には「死」「破滅」といった、いささか縁起の良くない意味も含まれているらしい。
 知った上で、勇太は敢えて、こちらを選択した。
 死。破滅。下手をすると自分が辿っていたかも知れない、あるいはこれからの選択次第では辿りかねない運命である。
「戒め、ってわけか?」
 筋骨たくましい身体を軍服に包んだ、黒人の大男が言った。IO2で、勇太の教官を務めている人物である。
「まあ、そんなとこです……それにしても、よく生きてましたね教官」
 よく見ると、いくらか火傷の跡らしきものが残っている教官の厳つい顔に、勇太はまじまじと見入った。
「普通死ぬでしょ、あれ」
「死んでたら、おめえんとこに化けて出てるとこだがなあ」
 化けて出るとは、また日本的な言い回しではあった。
「それにしても……うちの組織はあれだ、験を担ぐ奴が多くてな。死だの破滅だのネガティブな名前付ける奴ぁ、そうそういねえぞ。まあデスティニーじゃ語呂が今ひとつだしな」
「験を担ぐなんて言葉、この国にもあるんですか?」
「日本で教わったのよ。俺ぁ、こう見ても親日家だからな」
 教官が、ニヤリと白い歯を見せた。
「日本のコトワザ、いろいろ知ってるんだぜ。『焼け石に水』とか『糠に釘』とか『四面楚歌』とかな」
「……何でそんなネガティブなのばっかりなんですか。これから戦いに行くって時に」
「はっはっは、細けえ事ぁ気にしねえで頑張って来いや」
 教官が、勇太の肩を力強く叩いた。
「名前に負けるんじゃねえぜ……フェイト」


 自分の仕事ぶりの、一体どこを評価されたのかは不明である。
 とにかくIO2上層部からは、エージェントネームの使用を許可された。
 新人・工藤勇太ではなく、捜査官フェイトとしての、初仕事である。
 マイアミ市内で、銃の乱射事件が起こった。
 犯人は警官に射殺され、事件は終息したかに見えた。
 だが直後、その警官が同じく街中で銃をぶっ放し、子供を含む大勢の一般市民を死傷させた挙げ句、別の警官に射殺された。
 すると射殺した警官が、同様に銃を乱射し始めた。
 それが繰り返され、すでに警官だけでも十数名は死亡しているという。
 その十数名に、何か悪しきものが伝染していったとしか思えない事態である。
 市内の路地裏で、フェイトは足を止めた。
 1人の、白人の警官が、よたよたと後退りをしている。
 ヒスパニック系と思われる幼い女の子が1人、その警官に捕えられ、拳銃を突き付けられ、泣き怯えていた。
「お前……」
 血走った眼球でフェイトを睨み据え、警官は呻いた。
「僕を、追いかけて来たな……しつこいくらい、正確に……」
「まあ、何となく……わかっちゃったからね、あんたの事」
 フェイトは苦笑した。
 あの研究施設で開発されてしまった、能力の1つである。
 この警官が今、警官自身の意思で動いているわけではない事も、わかってしまう。
「とにかく、その子を放しなよ。出来れば拳銃も捨てて欲しいな」
 言いつつフェイトは、サングラスを外してスーツの内ポケットにしまい込んだ。翡翠色の瞳を露わにして、微笑みかけてみる。
 警官に、ではなく、泣きじゃくっている女の子にだ。
 このままでは子供の心に、恐怖と不安の後遺症が残ってしまう。まずは、安心させる事だった。
「お前……正義の味方かよ……」
 警官の顔面がヒクヒクと、危険な感じに痙攣した。
「他の奴は助けても、僕の事だけは助けてくれない正義の味方! お前みたいなのがいるせいで、僕は!」
「まずは、そこから出て来なよ。出て来て、話をしよう」
 フェイトは、穏やかに声をかけた。
 助けなければならないのは、幼い女の子だけではない。この警官もだ。
「お前……本当にわかるのか、僕の事が……」
 警官が……否。警官の体内にいる何者かが、言った。
 まだ姿を現していないものを、翡翠色の瞳でじっと見据えながら、フェイトは応えた。
「あんたも……人間として、扱ってもらえなかったんだな」
「そ、そうさ! あいつら僕の事、皮が剥けるまで殴ったり! ガスレンジで腕ぇ焼いたり! 食事だって、まともにさせてもらえなかった!」
 自分も、あの研究施設にいた連中に、人間ではないものとして扱われた。
「だから僕は思ったんだ。こんな酷い目に遭ってる僕は、本当の僕じゃないってね。本当の僕は、もっと自由で、幸せで」
「もう1人の自分を作り出すくらいに心を病んでた時期なら、俺にもあったよ」
「そんなのとは違う! 僕はある時、本当に自由になれたんだ! 風みたいに、空を飛べるようになれたんだよ! あいつらにゴミみたく扱われてる自分を、上から見下ろせるようにね!」
 教官から聞いた話を、フェイトは思い出していた。
 最初に乱射事件を起こして警官に射殺された男は、まず初めに自宅で自分の妻を殺害してから大通りに飛び出し、拳銃をぶっ放し始めたのだという。
「自由になって、僕は気付いたんだ。世の中には僕を助けてもくれなかった、そのくせ僕よりもずっと幸せな連中が、大手を振って歩いてるってね! だから、みんな殺してやるんだ!」
 相手が喋りに熱中している間、フェイトは音もなく踏み込んでいた。
 警官の、拳銃を持つ右手を捻り上げる。そうしながら、片足を高速離陸させる。
 膝蹴りが、警官の腹にズドッと叩き込まれていた。
「ごめん……」
 倒れゆく警官の腕から、女の子の小さな身体を奪い取りつつ、フェイトは謝罪を口にした。警官に対する謝罪だ。
「……って言っても、あんたに謝ったわけじゃあないからな」
「ぐっ……お、お前ぇえええ……」
 倒れた警官の身体から、何かがユラリと浮かび上がって来た。
 実体のない、おぞましい幻影のようなもの。悪夢をそのまま抽出したかのような、醜悪極まる霊体。
 だが、人間であった。
 胸が悪くなるほど醜い姿のどこかに、見間違いようもない人間の原形が、確かに残っているのだ。
「わかるぞ……お前だって、僕と同じだろぉお……」
「……そうだな。まるで、自分を見てるような気分だよ」
 泣きじゃくる女の子の目を片手で覆いながら、フェイトは言った。人間の心そのものが剥き出しとなった、醜悪なるもの。子供に見せるべきではない。
 だがフェイトが目を逸らす事は、許されない。
 この醜悪さを、自分はしっかりと見据えなければならない。
「俺だって、あの研究所の連中だけじゃない……世の中の何もかもが憎くなって、あんたと同じ事をしてたかも知れない。これから先、やらないとも限らない」
「そうさ! 偉そうに正義の味方をやってるみたいだけど、お前だって僕と同じなんだ! 化け物を、心の中で飼ってるんだよ!」
「あんたも……フェイト、だな。死と破滅の方の……」
 翡翠色の瞳で、フェイトはじっと霊体を見つめた。
 その翡翠色が一瞬、輝くように強まった。
 強力なテレパス……精神感応能力が、迸った。
 今や精神のみとなった人間。十数人もの警官たちに取り憑き、殺戮を行った霊体。
 その醜悪な姿が、砕けて飛び散り、消滅してゆく。
 断末魔の思念を、フェイトは一瞬だけ感じた。
 警官は、気を失って倒れている。放っておけば目を覚ますだろう。
 幼い女の子は、まだ泣きじゃくっている。
 そっと頭を撫でながらフェイトは、名前に負けるな、という教官の言葉を思い出していた。
「俺は……どっちのフェイトで、いられるかな……」


 自分の妻を撃ち殺し、大通りに飛び出して拳銃を乱射し、警官に射殺された男。
 その自宅の地下室で、1人の少年が発見された。
 ほとんど監禁状態で、両親から酷い虐待を受けていたらしい。
 虐待のせいか、少年は廃人も同然で、もはや一生、意識は戻らないだろうと言われている。
 IO2が関与するべき問題では、なかった。