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<東京怪談ノベル(シングル)>


乙女の優雅な!? 休日

抜けるような青空、そよ風がさわやかに吹き渡る。
「いい天気。こんな日にお休みがいただけるなんて」
水嶋・琴美はいかにも気持ちよさげにううん、と伸びをする。闇夜に舞い敵を討つ、機動課員としての姿は今はどこにもない。ここにいるのは日の光の下に立つ、19歳の可憐な乙女だ。爆破テロ組織の拠点破壊と、陰謀を抱いた暗黒教団との対決。それが使命とはいえ、あまりにも少女一人が負うには過酷な任務続きであった。それらを見事こなした琴美に与えられた、つかの間の休息。戦いに明け暮れる日々を忘れ、若い娘らしい日常ごっこを楽しむことができる貴重な一日だった。

「今日は思いっきり楽しまなくちゃ!」
激務の直後だというのに、若く健康な体には疲れの一片も残っていない。鍛え方が違うのだ。弾んだ気持ちを表すような、軽い足取り。彼女の装いはいつものタイトでハードな黒い戦闘服ではなく、女の子らしい、淡い色でまとめられた私服姿だ。暖かい季節に似合う淡い色のブーツに、薄絹を思わせるシフォンの細かなプリーツミニスカート。上は透け感のある柔らかな素材のブラウスに、ボタンがないタイプの薄いロングカーディガンを羽織っている。小さな可愛いショルダーバッグは、艶のあるピンク色のレザー製だ。着ているものが違うだけで、ずいぶん印象が違って見える。上品で清楚、いかにもいいところのお嬢様といった風だ。

「どこに行こうかしら。新しい服も買いたいし、コスメも……。そうですわ、カフェにも寄らなくては」
スマートフォンで情報を確認しながらも、美しい姿勢のまま颯爽と歩き続ける。服装がどうであろうと、彼女の本質、忍者の末裔としての鋭敏感覚は決して衰えることはない。周囲の気配を感じ取り、人を避けながら進むことなど造作もないのだった。
「ええっと、マップは……」
ところが、そんな自分を見つめている人が決して少なくないということには、琴美はちっとも気がつかない。量産型の可愛さを求めた茶髪のゆるふわセミロング少女だらけの街の中では、彼女の輝く長い黒髪はひときわよく目立った。さらに、健康的かつセクシーな曲線を描く長い足、やわらかな服の上からでもよくわかってしまう最高のプロポーションには、誰しも注目せずにはいられない。男性なら特に、無造作に斜めがけされたストラップが深い胸の谷間に埋もれている魅力的な光景に釘付けになってしまうだろう。
「あの人すごいキレイ! モデルさんかな?」
「わあ、ほんと……かっこいい」
「うわっ! でけー!」
琴美は人々の視線や言葉に気づくことなく、うきうきと歩む。敵の気配や障害物は察知できても、人々が自分に注ぐ羨望、嫉妬、賞賛といったさまざまな感情には、とんと疎いのだった。
「よし! 決めましたわ!」
会心の休暇満喫作戦を頭の中でまとめ上げ、にっこりと笑う。戦闘兵器とまで呼ばれる彼女の今の様子を見たら、さぞ驚く者もいるだろう。いかにも楽しそうな足取りで、琴美はアーケードへ入っていった。

* * *

最初に足を運んだのは、同僚が薦めてくれたとあるブティックだ。どんな服でも着こなせそうな素晴らしいスタイルを持つ琴美だが、ファッションについての知識はあまり多くはない。危険な任務に身を投じる日々、服や小物の情報を集めている暇などあるはずがなかったのだ。
「どんな服でも琴美さんには似合うと思うけど……」
と前置きしながらも、彼女は若い女性向きの、ハイクラスブランドを紹介してくれた。仕事が仕事だけに、琴美のお財布事情はかなりよい。その気になれば大人も手の届かない高級アイテムで身を固めることもできるのだが、琴美は年齢相応の身なりを望んだ。清潔感と上品さ、少しだけ可愛らしさもあればそれでいい。任務で決して妥協することのない現代のくのいちは、ファッションに関しては非常に慎ましい、堅実な考えを持っていた。

お世辞を言う必要がないのが気楽なのだろう、何を試着してもショップ店員は満面の笑顔で「どれも本当によくお似合いです!」と言ってくれる。ありがたいのだが、それでは買い物が終わらない。困ったような表情を浮かべながら、琴美は恥ずかしげに
「実はめったに服を買いに出かけないんです。一緒に何着か選んでいただけますか?」
とお願いをした。これほどの素材を持つ少女が、ショッピングとほぼ無縁であるという事実は店員の想像を超えていた。ひとしきり驚いた後、使命感のようなものが芽生えたのか、彼女は親身になって琴美の服選びに協力してくれた。

服に靴、コスメに読みたかった本。たくさんの戦利品を手に、上機嫌で琴美は次の『作戦ポイント』となるカフェを目指すことにした。「おしゃれなところだから、きっと琴美さんの気に入るはず!」と同僚は言っていた。弥が上にも、期待が高まる。アーケードを出て裏通りに入る角を曲がったところで、小さな自転車を懸命にこいでいる小学低学年ぐらいの男の子を目にした。乗れるようになったばかりだろうか、ペダルをいかにも重そうに踏んでいた。ほほえましい光景に目を細める琴美の目の前で、小石を踏みつけた少年の自転車が突如、大きく傾いだ。少年の顔が驚きと恐怖に染まる。
(「危ない!」)
思うが早いか、反射的に琴美は駆け出していた。

目をぎゅっとつぶった男の子は、愛用の自転車が地面にぶつかり、がしゃんというけたたましい音を立てるのを聞いた。しかし、いつまで経っても自分に痛みが訪れないこと、それどころか暖かい何かに守られていることに気づいて目を開けた。『長い髪のきれいな女の人』が自分を抱きかかえてくれている。並外れた速度と跳躍力で、琴美は転倒直前の少年を救ったのだ。少年の無事を確認して、琴美は笑いかける。
「まあ、びっくりしましたわね。気をつけましょうね」
「あ、ありがと、おねえちゃん」
「いいんですのよ。それでは!」
てきぱきと自転車を起こし、少年に渡すと琴美は去っていく。男の子はぼうっとした様子でその後姿を眺めていた。超人のような速度と、モデルさながらの美しい歩き姿が、まさか生死をかけた特殊任務で培われたものだとは、子供にはわかりはしないだろう。

* * *

「ふう……おいしい。心が洗われるよう」
同僚に教えてもらったカフェ、眺めのいい隅の席。遅いランチを楽しんだ後のハーブティで一息つき、香りを存分に楽しむ。優れた五感に恵まれた琴美は、香りを楽しむ趣味があった。暖かい湯気と共に立ち上る、やさしいハーブの香気を深く吸い込むと、なんとも言えない幸せな気持ちになれた。この程度で歩き疲れることはないけれど、久しぶりの人ごみに、多少気疲れしたのかもしれない。カップを両手で包み、手のひらを暖めながらカフェ店内をぐるりと見回す。シンプルモダンのすっきりとした内装は琴美の好みに合った。自分でもうまく説明はできないのだが、琴美には女の子らしい、可愛いものを愛する心と、余分な装飾をそぎ落とした機能美に惹かれる心が同居している。だから、今着ているような装いも好きだったし、任務のためにまとう戦闘服も気に入っていた。
「守備範囲が広い、というものかしら」
小さな声でつぶやいてみると、なんだかおかしい気持ちになって来た。
「ふふっ」
思わず笑いが漏れてしまう。その声にこちらを見る客がいることに気づいて、琴美は顔を赤らめた。慌ててごまかすように腕時計を見る。もう夕方といってよい時間だった。休みとは言っても、一日中遊んでいるわけにはいかない。食材を買い足して、家で作って食べようか。琴美はランチのメニューの味をヒントに、自分で作ってみたい料理が頭に浮かんでいた。
(「ちょっと早いけれど、家でゆっくりしましょう。こんな時しか自炊はできないし。お風呂にじっくり浸かるもいいですわね」)
来た時と比べてずいぶん早足に帰路に着く。夜を迎える街には、子供連れの家族の姿は減り、仲睦まじいカップルや、これから飲み会かと思われる数人のグループなどが目立ち始めていた。

買ったばかりの服や靴を生かしたコーディネイトや、今日の手作りディナーについてあれこれ考えを巡らしていた琴美は、ふと肩の辺りに気になる気配を感じて、素早く身を沈める。そのまま体をひねって違和感の元から離れつつ正対した。
「あ……」
琴美の肩にかけようとしていた右手を伸ばしたまま、呆然としている若い男がいた。
(「一人ではありませんわね。仲間が?」)
今度はまた、背後から気配を感じる。敵意はないようだが、なぜ肩に触れようとするのか。琴美はまた同じようにするりと身をかわして振り返る。
「え?」
きょとんとした顔の、また別な若い男。彼ら二人は仲間同士なのだろう、すいと琴美が横に動くと、そのまま男同士が向かい合って見つめあう、実に間抜けな風景が出来上がった。
「私に何か御用ですの?」
まっすぐな問いに男たちはうろたえる。
「ああ、ええっと……どこから来たの?」
「家からですわ」
「あ、ああ、そうなんだ……これからどうするの?」
「帰りますわ」
返事をしながらも、琴美の頭の中は疑問でいっぱいだった。この若い男たちから悪意や敵意はまったく感じられない。なのに肩、あるいは首筋を狙ってきたり、こちらを混乱させるような質問をしてくるのはどうしてだろうか? 時間稼ぎか? どこかの組織の手のものか? しかし、戦闘訓練を受けているようには見えない。琴美は幾分厳しい表情で青年たちに問う。
「何が目的でしたの?」
「ああ、いや、その、ね」
言いよどみつつ、また男が肩に手を伸ばす。琴美は反射的に、近づいてきた手を交わしてしまう。男たちが手をいくら出しても、彼女はすい、すいと紙一重で避ける。琴美が望まぬ者は決して、彼女に触れることはできないのだ。
「いや、あのさ! お茶でもどうかと思って!」
琴美の返答と動きに混乱してしまった男が、ついに真の理由を『白状』した。なぜか叫び声に近い大声になっている。今度は琴美がきょとんとする番だった。
「あら、そうでしたの。失礼いたしましたわ。申し訳ありませんが、私、もうお茶はいただいてしまいましたの」
すげない返事。男たちは、何もかもが予想外の美女の振る舞いに、もはやうまい相槌が思いつかない。
「背後から肩を狙うのは感心いたしませんわ。お茶は正面から堂々と誘った方がよろしいかと」
ぎくりと男たちの肩が動いた。
「私はこれで失礼いたしますわ」
何事もなかったかのように、琴美はすたすたとその場を立ち去った。二人の青年は、あっけにとられた様子で見送る。
(「何だったのかしら。変わった人も多いものですわね」)
最後まで、それがナンパというものであったことに、琴美の考えは至ることがなかった。

* * *

「実にいい休日でしたわ」
ため息のようにそう言うと、ゆっくりと肩まで湯に浸かり、至福の時を楽しむ。琴美の短い休日の最後を飾るのは、優雅なバスタイムだ。買ってきたばかりのバスソルトは、ほのかなローズの香り。自分の好きな香りに包まれていると、心が落ち着き、頭が冴えてくる。琴美は入浴中にその日あったことを考え、明日の指標をまとめ上げるのをなかば習慣としていた。
(「私はまたがんばれる。次の任務も絶対成功させますわ」)
これから起こる任務のことを考えると、俄然やる気が湧いてきた。琴美は悪と戦うことを使命として生きる、その決意を新たにするのだった。