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<東京怪談ノベル(シングル)>


『rolling sky』

 ラジオでは近年問題が深刻化しつつある外来種の生物について取り上げられていた。彼らによる食害や生態系の破壊、果ては野生の在来種と交雑する事で起きる遺伝子汚染問題を専門家がくどくどと説明し、その後で農業関係者らによる恨みがましい声が紹介されたりしていた。そこに時たま、調子外れな発言が交じった。それは所謂「動物愛護問題に詳しい女」によるものらしく、彼らは元々ペットや家畜として人間に連れてこられた例も多く、環境的商業的に有益でさえあれば今でも積極的に外来種の導入は行われている。だから彼らに殺されるような罪はない、というのである。しかしその言葉が終わるか終わらないかの内に、専門家は罪だの何だのという表現を一蹴し、今現在の被害をまくし立てて、あっという間に彼女をけちょんけちょんにしてしまった。そしてそこからは、どのように駆除するかとか根絶は可能かとか、そんな話ばかりをしていた。
 水嶋琴美はハンドルを握りながら、大した関心も持たずに耳を傾けていた。彼女が多少なりとも興味を持ったのは、あの可愛らしいアライグマが侵略的外来種などと大層な呼ばれ方をしていたところくらいだった。だがそれもじきに忘れてしまった。暗いメタリックブルーのスポーツカーが、中心地から離れた駅近くの狭く混沌とした住宅街に入り、理不尽な一方通行や対向車とのすれ違いに忙しくなったからだった。

 空は曇っていた。申し訳程度の木の緑と電線越しにそれを見るのは気が滅入った。辺りの陰気くさい雰囲気も一役買っていて、ここでは古い建物ばかりがよく目に付いた。
 ブラウスのさりげないフリルで、引き締まった黒のストライプ柄タイトスカートスーツにフェミニンさという見事なアクセントを加えた琴美には、全く似つかわしくない背景だった。とは言え、明かな部外者はまだ他にもいた。辺りにテープを巡らし、赤色回転灯の光を浴びながら慌ただしく動く警察官達である。彼女はその中に見知った顔を見つけ、早速声をかけに行った。
「ハーイ」
「あんたか」
 微笑みながらヒラヒラと手を振る琴美に、壮年の男は露骨に嫌そうな顔を見せていた。彼は薄くなり始めたオールバックを撫でて辺りを見回すと、部下達から離れ、くたびれたスーツのポケットに手を入れて煙草を取り出した。だが口にくわえたところで横から真っ白い指が伸びてきて、彼の唇も一緒につまみながら、それを奪い取ってしまった。
「ごめんなさいね。この臭い嫌いなの」
 琴美は口端を上げたままで男をじっと見つめ、そのまま指を離した。煙草はアスファルトに落ち、孤独に転がっていった。彼はしばらくそれを目で追っていたが、やがて彼女を一瞥してから辛そうに腰を折って拾い上げると、息をふっと吹きかけた。
「相変わらず鼻が利くな。……どこで嗅ぎ付けた?」
「あなたが教えてくれたんじゃなくて?」
「俺が? 俺はあんたが嫌いでね」
「あら。あれは盗み聞きだったかしら」
「笑えない冗談だな」
「じゃあ、心が通じたのかも」
 男はぴくりとも表情を変えなかった。代わりに百円ライターを手にして、紫煙を目一杯吸い込んでやった。そうして彼が脇へ煙を吐くのを見届けてから、琴美はその大きく柔らかな胸を抱えるように腕を組んだ。
「そろそろお仕事の話、しましょうか?」
「話せる範囲でな」
「隠し事は駄目。私、あなたの嘘はすぐ分かってしまうから」

 昨夜十一時頃、この付近で複数の男性が争い合う声や音を、周辺住民が聞いた。現場は人通りも少なく目撃者はなし。騒ぎは五分もしない内に収まったが、爆発と思われるような破砕音まであったためただち警察が到着した。しかしそこには既に誰の影もなく、爆発物含め何らかの武器が使用された痕跡も発見出来なかった。
「で、これだ」
 男はこめかみを掻きながらへし折れた電柱や砕けたブロック塀を見やった。
「どう見ても普通の壊れ方じゃない。真っ先に以前の現金輸送車襲撃事件が浮かんだ」
「私が助けて差し上げた、あれね」
「恩着せがましく言わんでほしいな。ヤマごと持って行ったんだ」
「ところで、衣服等は残っていませんでしたの?」
「それがない。ついでに、消えたと思われるものがもう一つある」
 彼は横のぼろアパートを指した。
「あそこに住んでいる若い女を、今探している」
「事件はまだ昨日でしょう?」
「昨夜遅く、事件があったと思われる時間のすぐ後に、その女が駅方面へ急いでいるのが目撃されている。それと彼女には同居人が一人いたらしいんだが、そいつも見かけない。アパート住人や大家によると、彼女はここに二年程住んでいたが、その滅多に外に姿を現さない男が同居するようになったのは遅くとも四ヶ月前。女も近所付き合いなどほとんどしなかったようだが、男の方はまともに言葉を交わした経験のある人間が一人もいないくらいで、日中も部屋にこもってばかりだったらしい。もちろんこの件に直接関係があると断定するのは早い。が、あの部屋。あれを見れば誰でも違和感を覚える」
 錆び付いた外階段を上ってすぐ。ドアは安っぽい音を立てて開き、中は簡単に一望出来た。もちろん狭苦しいというのもある。だがそれ以上に、物がなかった。
「彼女、年齢は?」
「十九。髪はかなり明るい色に染めていて、日常的に派手なメイクをしていたらしい」
「ふうん」
 それにしては、何もない。ましてここで二人の人間が生活していたとはとても考えにくかった。これはよく整理がされているといったレベルではなく、まだ引っ越しの荷物が揃っていないという風に見える程だった。最低限必要な物はあるだけに生活空間としての体だけは成していて、それがよりこの場所をがらんどうに見せていた。少し離れた線路から聞こえてくる電車の音、ここにはそれだけしかなかった。
「夜逃げでもしたのかしら」
「最初から、こうしていたとも考えられる」
「当事者か被害者かは分からないけれど、何かに巻き込まれた疑いは強そうですわね」
「ただ、物盗りの線は薄いと見ている。指紋はほとんど特定のものしか見つからなかったし、あれだけ派手な行動を起こした連中が、短時間でここまで完璧に痕跡を残さず、多くの物を運び出せたとは考えにくい」
 中に入り調べてみても、手がかりになりそうなものはなかった。それこそ全く見当たらなかった。ただ二人で暮らしていたというのは確かなようで、琴美はそれだけでも確認して外へ出ると、この部屋に唯一光をもたらしていた玄関のドアを後ろ手に閉めた。

 彼女が歩くと、周りの人間は全てその流麗な美貌に一度は惹き付けられた。後ろを歩く男はそんな部下達の体たらくに髪を撫でつつ不機嫌そうにしていた。琴美は笑顔を振りまきながら階段を下りると、すぐ彼の手を取り、まるで位置を調整するように塀際に立たせた。
「足取りはすぐ掴めますの?」
「監視カメラの解析技術も今は凄いもんさ。顔さえ分かっていれば時間はかからんだろうな」
 得意げに胸を張った男に、琴美は満足そうに頷いた。彼はそれが何だか癪に障り文句の一つでも言おうとしたが、途端にその口が塞がれた。
「野次馬の方々がいますわね。さっきから入れ替わり立ち替わりで、こんな所には珍しいくらい人が集まってる。その中の、あなたと同じくらいの身長で痩せ形、白っぽい服を着た若い男……まだ見ないで。あの男も調べて下さる? 過去の形跡も含めて」
「どういう事だ」
「あの男、もうずっといますわ。でも突っ立っているだけで、何もしていない。こんなの大して見るところもないし、他の方達は来てちょっとしたら立ち去るか、知り合いと話をしたりしているのに」
「そんな根拠で、あんたの言う事を聞く義理はないな」
「ちゃんと成果を出してくれたら、ご褒美を上げてもいいのに」
 琴美は無精髭の生えた男の顎を人差し指でかりかり引っ掻いた。
「……俺は妻子持ちだ」
「上手くいってないんでしょう?」
 肩をすくめ当然のように言い放ち、彼女はからから笑った。そして閉口している彼にこの世で最も美しいウィンクを見せると、返事も聞かずにさっさと帰って行ってしまった。その周囲にはやはり、彼女を讃える波のような動きが人々によってもたらされていた。
 取り残された彼はそれをぼうっと見送った後で、例の男に視線を投げた。そして面倒くさそうに舌打ちをしながらまた煙草に火を点け、今度は目の前に向かって思い切り煙を吐いた。