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<東京怪談ノベル(シングル)>


蟲の時代


 同僚の艦長に、いきなり拳銃を向けられた。
 微かに息を呑みつつ藤田あやこは、とりあえず微笑んで見せた。
「遊びで人に銃口を向けてはいけない……というのは、軍人教育の初歩の初歩だと思うのだが?」
「先日は大層な活躍を見せてくれたな、藤田艦長」
 あやこに銃口を向けたまま、艦長が言う。
 人気のない荒野の片隅に、藤田あやこは一方的に呼び出されていた。そして拳銃を向けられている。
「海賊どもを皆殺しにして、第百帝政パリを救った……あの勇猛苛烈なる戦いぶり、久遠の都の歴史に燦然と輝き続けるであろうな」
「ち、ちょっと待って! 皆殺しって何よ!」
 あやこは思わず、素の口調に戻ってしまった。
「そりゃ戦闘行為が全くなかったわけじゃないし、人が1人も死んでないわけでもないけれど。でも最後は、ちゃんと和平交渉まで持って行ったんだから」
 悲しい出来事もあった。
 その甲斐あって、などとは言えないが、第百帝政パリと百合海賊との間に和平は成ったのである。
「……本物、のようだな」
 同僚の艦長が拳銃を下ろし、頭を下げた。
「すまなかった、藤田艦長。今は貴官まで疑わねばならんという状況でな」
「かまをかけた、というわけか」
 軍人の口調に戻りながら、あやこは溜め息をついた。
「貴官がここまでやるのだから、何か余程の事が起こっているのだろうな」
「その通り、余程の事だ。我々に協力して欲しい」
 艦長が言った。
「貴官とて本当は気付いているのだろう? このところ軍上層部で、何やら不可解な事態が起こっている」
「おかしな命令は、確かにいくつか出ているな」
 先日は、後方の基地の1つに、緊急退去命令が出た。そのせいで補給ルートが1つ潰れてしまった。
 前線に送られるはずの武器弾薬が、輸送前日にいきなり民間の業者に売却された事もある。密かに、ではなく軍の公式命令によってだ。その代金がどこへ流れて行ったのかも不明である。
 何の落ち度もない部隊長が解任されたり転属させられたりといった事も、頻繁に起こっていた。
「何者かが、良からぬ企みを推し進めている……そんな気がして、ならんのだ」
 艦長の言葉には、何か思い詰めたような感じがあった。
「我々艦長クラスの軍人が団結し、軍上層部の動きを注視する必要があると思う。もちろん注視だけではない、事と次第によっては」
「上層部に対し、クーデター紛いの働きかけを行う……というわけか? やめた方がいい」
 あやこは言った。
「思い込みで団結行動など取ったら、それだけで叛乱行為と認定されかねない。この話は聞かなかった事にしておく」
 おい待て、と声をかけてくる同僚に、あやこは背を向けていた。
 ここで自分が賛同してしまったら、この艦長は本当に、クーデター同然の事をやらかすかも知れない。


 あの艦長には、すでに何人か同志がいたらしい。
 団結して軍上層部の動きを注視し、事と次第によっては何かしらの行動を起こす。
 そのための同志たちをほぼ常時、自分の艦に乗せていれば、まあ不穏分子と見られて当然ではあった。
 だから、なのかどうか定かではない。とにかく、その艦が巡航中に爆発した。
 動力炉の事故と発表されたが無論、あやこは信じてなどいない。
 艦長も、その同志たちも、何者かによって爆殺されたのだ。
「私のせい……!」
 あやこは、自室で頭を抱えた。
「私が協力していれば、こんな事には……」
「お前さんも一緒に爆殺されてた可能性の方が高いさ。まあ落ち着け」
 呑気にタバコの煙を吹きながら、その男は言った。
 草間武彦。あやこが専属の情報屋のような形で使っている、探偵である。
 じろり、とあやこは睨み据えた。
「草間さん……ここ一応、禁煙なんだけど」
「あんたが不可解な辞令だと言ってたものを、一通り調べ上げてみた」
 あやこの文句を無視して、武彦は言った。
「わけのわからん異動ばっかりだったが、まあ手口は読めた。要するに……一網打尽、というやつだ。今回みたいにな」
 一網打尽。つまり軍上層部に反感を抱く者たちを、出来るだけ一ヵ所にまとめて事故死をさせる。今回の、艦長とその同志たちのようにだ。
 それが手口……何者の手口であるのかまでは、武彦の口から聞くまでもなかった。
「凸するわ……!」
 椅子を蹴るように、あやこは立ち上がった。


 軍上層部の高官たちは、門前払いを喰らわせたりせずに藤田あやこを迎え入れ、穏やかに説明をした。
「最近、移民間での揉め事が多くてね……君たちにとっては不可解な命令ばかりであったろうが、全てそのための対策なのだよ」
 あやこは何も言わず、武彦が書類としてまとめてくれたものを、彼らの眼前のテーブル上に投げ出した。
 それを一読しつつ、高官たちが顔を震わせる。笑っているのか、怒り狂っているのか。
「ごまかしは無駄、というわけか……良かろう、さすがは藤田艦長。罠へようこそ」
 震える顔面が破裂し、無数の触手や節足が現れた。
「君も、融合しよう……」
 蟲、としか表現し得ぬ生物に、高官たちは変化していた。
 無数の触手が、鋭利な節足が、凶暴に伸びてあやこを襲う。
 拳銃で応戦しようとして、あやこは諦めた。敵の数が、多過ぎる。今は逃げるしかない。


 高官たちだけでなく、彼らを護衛する兵士たちまでもが、蟲に変わっていた。
 彼らに追われ、軍の施設内を走り回っているうちに、あやこは気付いた。
「私……追い込まれている?」
 蟲たちは、凶暴性にまかせて闇雲に追って来ているだけではない。藤田あやこを、施設内のある場所へと誘導しつつある。誘導されるまま、あやこはそこに追い込まれていた。
 立ち止まる。
 そこは、とある巨大な工場の中だった。
 禍々しく巨大なものが、あやこの眼前にそびえ立っている。
「世界線……震動弾……」
 悪夢を見るような気分で、あやこは呻いた。
 久遠の都を跡形もなく吹っ飛ばす、だけではない。時空間の一部を破壊し、特定の歴史そのものを「最初から無かった事にしてしまう」兵器である。
 時間移民政策の一環として開発が検討され、却下された。あやこは、そう聞いていた。
 密かに、予算が下りていた。開発が進められ、完成していた。これも蟲たちの仕業か。
「……あんたは本当に大したもんだよ、藤田艦長」
 声がした。濃密なタバコの煙も、漂って来た。
 草間武彦が、いつの間にかそこに立っている。
「バカな不穏分子どもと行動を共にしたりせず、独力で俺たちの正体に迫った……その知性と実行力に、敬意を表する。全力で、罠を張らせてもらったよ」
「草間さん……何、言ってるの?」
 武彦の顔が、震えている。先程の、高官たちのように。
 それを呆然と見つめながら、あやこは弱々しく言葉を漏らすしかなかった。
「冗談やめてよ……そういう状況じゃないでしょ? 今……」
「こういう状況を作ったのは、我々だ」
 蟲が1体、あやこに追い付き、歩み寄って来ていた。
 先程の高官たちの中で、最も地位の高い人物である。触手も節足も巨大で凶悪だ。
 蟲たちの、親玉のようなものであろう。
「君たちが得意になって進めている時間移民政策も、我々が全ての時空を支配するための手段に過ぎぬ……あらゆる状況は、最初から我々が想定し作り上げたものだったのだよ」
「そんな……」
 あやこは、弱々しくよろめいた。
 よろめく足が、世界線震動弾の起爆装置へと近付いて行く。
 この蟲たちを根絶する手段は、もはや1つしかない。
 時間移民政策の歴史を消去する。何もかもを、最初から無かった事にする。
(店長……)
 失われてしまった面影に、あやこは心の中で語りかけた。
 その時、蟲の親玉が痙攣した。
「ぐっ……こ、これは……何事……」
 触手が、節足が、萎びて干涸び、崩れ落ちてゆく。
 蟲の親玉は、絶命していた。武彦が吐き出す、濃厚な煙の中でだ。
「悪いな藤田艦長。あんたに無断でもう1つ、調べ上げていた事があった」
 見事な煙の輪を吐き出しながら、武彦は言った。
「……こいつらの弱点が、ニコチンだって事さ」
「お芝居……だったの? 草間さん……」
「我ながら、つまらん芝居だったと思う。ま、親玉が死んだんだ。他の蟲どもも今頃、干涸びて全滅してるはずさ……またいつ湧いて出て来るかは、わからんけどな」
 言いつつ武彦が、ちらりと世界線震動弾に視線を投げる。
「こんなもので歴史を1つ2つ吹っ飛ばしたところで、蟲どもを根絶する事は出来ない。奴らは時空の歪みから、際限なく生まれ出て来てるからな」
「時空の……歪み?」
「こいつも俺が勝手に調べ上げた。ちょいと言いにくい事なんだが」
 武彦は、頭を掻いた。
「あんた方が頻繁に時間移動を繰り返してるせいで、そういう歪みが出来ちまったのさ」
「蟲は……時間移民政策の、副産物……」
 あやこは、その場にへなへなと座り込んだ。
 軍服のスカートが、濡れていた。