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<東京怪談ノベル(シングル)>


影はグラジオラスのように


 日が暮れ、ビルの明かりが街を照らす。
 遠くから街の様子を見ると、さぞかし夜景が綺麗だろう。
 仕事の帰りと見られる人混みが所狭しと歩道を歩く。
 そんな街の景色を横目に、水嶋琴美は自前のスポーツカーを走らせていた。
 ほぼ流線型のフロントフェンダーに車高は低く、車体は黒で塗装されている。
 宵闇を切り裂くように走るその姿は、抜き身の真剣のようでもあった。
 スポーツカーを運転する琴美はスーツを着用していた。
 ぴっちり足に張り付いた黒のストッキングをつけ、ミニのタイトスカートを穿く。
 上は黒い上着と白いブラウスを着ているが、今は胸元のあたりを大きく開けている。豊満な胸が弾けそうな程に膨らみ、ブラウスを押し上げていた。
 腰まであるロングヘアーは頭の上でまとめてある。
 帰宅中のサラリーマン達と同様、琴美も商社での仕事を終えて帰宅している途中だった。
 商社、とは表向きの隠れ蓑で、その真は琴美の所属する組織の秘密拠点なのである。
 テロを壊滅させたり用心を警護したり、組織としての役割は様々だが、表立って動けないことを請け負っている。
 もちろん毎日犯罪ばかりが起こるわけでもないため、表向きは商社として機能している。
 風を切るように車を走らせていると、ピピッと耳元で音がなる。
 琴美の携帯の着信を、ハンズフリーのスイッチを入れて切り替える。

「もしもし」
「やぁ、僕だよ。すまないね、帰宅中」

 軽い調子で話しかけてくるのは琴美の上司である、組織の司令官だった。
 まったく悪びれた様子もなく話す司令にいつもの調子で聞き返す琴美。

「いいえ、構いませんわ。用件は何ですの?」

 飄々としていた調子が少しだけトーンダウンする。

「君の居る近くで重装備のテロ組織が暴れてるようなんだ。人数はおよそ50人。ピストルにアサルトライフル、ランチャーや自走式のマシンガンまで用意しているようだ。ヒュゥ〜、派手な歓迎になりそうだよ」

 軽く口笛を吹いて茶化した。
 組織のスクリーンの前では、白衣を常衣していてややオーバーアクション気味に両手を広げていることだろう。その隣に指令は琴美に劣らぬキリッと美女の副司令が立っているはずだ。
 そんな当事者達の様子を想像しながら、次の言葉を促した。

「それで、場所は?」
「そろそろ見えるんじゃないかしら?」

 凛とした副司令の言葉に前方を見る。
 どぉん!という爆音と共に、遙か前方で閃光と煙が立ち上った。
 やや低い調子で琴美は言う。

「……分かり易い合図ですのね」
「残念、あれは私達じゃないわ」

 少しの沈黙の後、嘆息と共に答えた。

「わかりましたわ。今回の私のミッションは?」
「いつも通りよ。場の制圧と、殲滅」

 了解――という言葉と共に、アクセルを目一杯踏み込んだ。




 情報班から得られた情報は意外と多かった。
 人数は50名。
 それぞれが重装備で武装しているようだが、訓練された軍隊というわけでもない。
 戦闘に関してはほぼ素人のならず者達のようだった。
 大方、地元に住む若者が横暴に振る舞っている、といったところか。
 よくあるシチュエーションではあるが、殺すか否か、といった判断の天秤が一瞬揺れる。
 さほど難なく全員気絶させることができるだろうと、生者の天秤が傾いた。
 占拠した建物はよりにもよって伊太利亜大使館。警察はアテに出来ないだろう。
 とすれば必然的にお役目が回ってくるといったわけか。
 手持ちの武器を確認する。
 銃器の手持ちはなく、車に備え付けの小型ナイフのみである。
 ククリナイフ、バタフライナイフ、サバイバルナイフ、ジャンビーヤや切り出し小刀などがあったが、今回はスペツナズナイフを持ってきた。
 ダガーやバタフライナイフと比べると殺傷能力に劣るものの、多少面白いギミックが備わっている。
 武器などなくとも問題はないのだが、一応準備をしておくに越したことはない。
 状況を改めて確認する。
 入り口にサブマシンガンを持った男が4人。
 しばらく大使館近くの木陰に隠れて観察していたが、特に目立った動きもない。
 闇夜を縫うように、ダークスーツの琴美が木陰から飛び出した。

 どさ、どさっと悲鳴をあげる暇もなく入り口の4人を失神させる。

「予定より早く済みそうですわね」

 4人を一瞥すると、大使館の重厚な扉の方向へ向けて、エクステリア程度の階段を登った。
 カツ、カツ、とヒールを鳴らして歩く。
 ダークスーツの気品ある風な女性。
 一見すると大使館の秘書だろうかとも勘違いさせるが、彼女の階下には屈強な男が4人転がっている。

「シュールな光景、ですわね」

 一人呟いてから扉を押し開けた。
 中は広大で、開けたエントランスは真っ直ぐに奥へと続いていた。

 カツ、カツ、と大理石の地面を叩きながら歩いていると、ふっと殺気を感じる。

(上に3人、前方に柱に隠れてるのが6人、左の部屋に1人、といったところかしら)

 歩幅は変えずにちょうど上階の手すりが階下と重なる位置で琴美は姿を消した。
 標的を見失い、上にいた男3人が身体を乗り出して階下を探すが、痕跡は見つけられない。

「こちらですわ」

 男達の上から声が降ってきた。
 見上げると黒いストッキングが目の前に近づいてきて――そのまま男一人を悶絶させる。

「ッのヤロウ!」

 蹴り倒した体勢から琴美は滑るように銃口を向けた男の鳩尾に向かって肘鉄、掌打で顎を突き上げる。
 浮き上がった男の身体が目の前の位置まで来ると、琴美は身体を反転させてその勢いで蹴り飛ばした。
 呆然とその様子を見ていた3人目を巻き込んで壁へと激突させる。

「まったく、私は野郎ではなく、女ですわ」

 嘆息混じりに呟く。
 これでおそらく2階は制圧できたろう。
 騒ぎを聞きつけた連中がやってくる前に、ややアールデコ調の手すりから階下へと飛び降りた。
 ちょうど左右に銃を持った男が二人居たので、地面に蹴り伏せて着地する。
 おかげでヒールが少し欠けたが気にしないことにした。
 跳躍のような速度で一気に大理石の柱群を駆け抜け、隠れていた男達を蹴り飛ばしたり殴り飛ばしたりした。
 走り抜けた体勢のまま、左側の部屋から殺気を感じて横に跳躍する。
 頭を軸にするように側転宙返りし、視線の先に敵を捕らえる。
 相手はターゲットを見失いスコープから顔を離した――ところを琴美は手持ちのナイフのスイッチを押す。
 刀身が射出され、真っ直ぐに相手の銃口に突き刺さる――と同時に銃身が爆発した。
 驚いた男は銃を投げ捨て、立ち上がろうとしたところを突然ガクッと気を失って倒れた。
 刀身のないナイフの柄で殴った琴美が影から姿を現す。

「このフロアはこんなところかしら」

 その後も琴美は一人で大使館を制圧した。
 傷一つ無いダークスーツの埃を払い、無線で清掃班の派遣要請と報告をした。

「……以上が報告ですわ」
「うん〜、ご苦労だったねぇ。今日はこのままあがっちゃってよ〜」

 どこか楽しそうな、飄々とした調子で司令は言った。最近はいつも彼はこの調子なのだが。

「分かりましたわ」

 無線を切り、改めて大使館を振り返る。
 あまりの弱さに呆れ、手応え自体は感じなかったものの任務を達成した高揚感は胸の奥を刺激した。
 チクチクと高まっていく。
 琴美は大使館を背に、再び影の道へと戻っていった。