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私のロミオと僕のジュリエット
延々と青が見渡せる広い空。
浮浪燕印の事象艇が1艘、ゆるい速度で空を滑空していた。
機体には愛らしい燕の絵と「一匹燕レス不要」「南極一等☆」と書かれてある。
足の速さが自慢の船ではあるが、故あって風任せといった次第だった。
「ふんふんふん〜♪」
あやこは操舵桿を握って鼻歌を船内に響かせていた。
オーバーオールに油の染みた軍手をしているのは、船の整備を終えたからだった。
あやこの後ろの席――操舵室の中央に陣取って座っている髭面のおっさん――艦長がそんな彼女に問いかける。
「あやこさん、今日はえらくご機嫌じゃないか?」
肩越しに後ろを振り返り、少しだけ首を傾げる。
作業着というオシャレの欠片もない服だが、不思議とあやこが着ると色っぽく見えた。
「あら、私はいつもご機嫌よ」
にこりと微笑み、再び操縦と鼻歌に専念する。
つられて艦長もニッと笑い、髭の合間から白い歯を覗かせた。
「そろそろピクとハピが争う初夏になるわね」
近々和平会議が設けられるというピクシーとハーピーの世間話を、ぽつりと呟く。
あやこの独り言は船の機械音に紛れて、誰かに届くことはなかった。
速度規制を明らかに下回る速度でゆっくりと飛んでいると、耳障りなサイレンが後方から接近してきた。
この付近はピクシーの国境の領空で、近づいてくる船体はピクシーの管理局のものだった。
仕方なく総員一時、管理局の船へと移動する。
「速度超過で取り締まることはよくあるが、遅すぎて捕まるなんて聞いたことが無いぞ」
呆れた様子でピクシーの管理官は頭を振った。
ガッハッハ!と豪快に笑い飛ばして艦長。
「私達は浮浪印の燕艇さぁ。食べ物から手紙、武器弾薬まで何でも運ぶよ。今、丁度空きがあってね、お安くしとくよ」
図々しくも売り込むが「はい、ハンコ押して」と華麗に聞き流されていた。
一方のあやこは、気さくな気遣いとほんのり色仕掛けで既に管理局の乗員と打ち解けていた。
「皆さんにはお手間かけさせてしまってごめんなさいね、船がちょっと故障してるの。あ、桜ちゃん。修理の手配を頼めるかしら?」
突如、森がざわめくように風が吹いた。
生暖かい風があやこの髪をぬるりと攫う。
ごおおおと轟音が響き、嵐でも吹いたのかと勘違いしたが。
「お、王の船っ?!」
船員の一人が素っ頓狂な声をあげる。
ぎょっとした全員が窓に駆け寄ると、すぐ隣まで王族艇は来ていた。
スピーカーから怒号を混じった声が響く。
「藤田あやこ、貴様には重罪がかけられている!大人しく藤田あやこを渡せ!」
一同、オーバーオールの美女へと視線が集まる。
「藤田あやこ、お前には重大な罪の疑惑がかかっている!大人しく出てきなさい!」
今度は反対方向からスピーカー越しに怒声が聞こえる。
窓に駆け寄る一同の顔から、さっと血の気が引いた。
「ありゃ、ハーピーの王族艇じゃないか……」
「……あやこさん、一体何をしたんだ」
さすがの艦長も恐る恐るという様子で尋ねる。
双方に引き渡しを要求された当のあやこは、いつものように笑っていた。
ピクシー側の甲板にやたら豪奢華美な装いが三人。
マイク越しに鼻息を荒げているのが、ピクシー王だろう。隣の女性が王妃で、彼等の後ろにいるのがおそらく王子といったところか。
ピクシーの船から再び声が響く。
「ピクシーの王宮から王者の印たる宝石が盗まれた。藤田あやこ、貴様が盗んだことは調べがついている!この泥棒め!!」
「止めろよ!」
ぎょっとして王子が興奮した王を諫めた。
すると、反対方向から「この売女め!!」と怒声が響いた。
ハーピー側の甲板にも同じように装飾華美が三人。
しんと座っている王と、鼻息荒くマイクを握るこちらのご婦人が王妃だろう。
王妃の隣にハーピーの姫が座る。
奇妙な三国間の対談、もとい捕り物合戦が始まろうとしていた。
ハーピー側からキーンと甲高いヒステリックな声が響く。
王妃が姫に掛けられたブランケットを強引に剥ぎ取り、赤らめて顔を隠す姫。
「この姫のお腹を見るがいい!藤田あやこに孕まされた娘の腹を!」
なぜかバツの悪そうなピクシー王子には誰も気付かず、死刑を宣告されるあやこ。
するとピクシー側から異論が上がる。
「いや、こやつはワシらの国で死罪とする!この盗人はこの手で始末せねば気が済まぬ!」
「いいえ、これは譲れませんわ!彼女はハーピーが裁きます!」
両者の妙な睨み合いの緊張の中、艦長は真意をあやこ本人に尋ねた。
「なあ、あやこさん。私は君を信用しているし、良き戦友だとも思うのさ。だから、本当のことを教えてくれ」
頷くあやこ。
死刑の取り合いが続くなか、ピクシーの王子が王に割って入った。
「聞いてくれ、父さん。あやこは盗んだんじゃない。僕があやこに託したんだ」
「なん……だとっ!?」
言葉を失い、青ざめるピクシー王。
「相続した宝石は婚約指輪にするつもりだったんだ」
「藤田あやことか?!」
「は……?」
青から一点して赤黒くなるピクシー王。
想定していなかった事だけに、驚いて目をパチパチとしばたたかせる王子。
「なんですってぇ!!?」
ヒステリックな王妃からマイクを奪い取り、身重のハーピーが怒声を一帯に響かせた。
「本当なの!?私との婚約は嘘で、そこの馬の骨と結婚するというの!?」
怒り狂うハーピー姫の隣では両親があんぐりと口を開けて固まっていた。
ピクシー側も婚約は初耳のようで、同じように固まっている。
「ち、違う!僕は君のことを」
「まぁまぁ、落ち着きなさいよ両方とも」
あやこが間に入り、胸元から眩く光る宝石を取り出した。
ハーピー姫に向かって言った。
「この宝石はあなたに渡すために預かったのよ、お姫様」
「え……?」
ぼろぼろと零れていた涙が止まり、ハーピー姫が顔を上げた。
「世界で最高の指輪に加工して届けて欲しい、それが王子様のご依頼。分かったかしら?」
「あっ……あっ……」
先ほどとは違う、暖かい涙が零れる姫。
そんな彼女を見ていてもたってもいられず、ピクシー王子はハーピーの船へと飛び乗った。
ぎゅっと姫を抱きしめ、二人は優しく口づけを交わす。
「僕達は「私達は結婚します!」」
しん、と静まる晴天の空。
お互いの両親とギャラリーは目が点になっていた。
沈黙を破ったのはハーピーの王妃だった。
「ふ……ふざけないでちょうだい!」
「そうだ、ハーピーとピクシーの結婚など許されるはずがない!!」
今度は息ぴったりにピクシー王が便乗する。
そんな彼等の様子にふっと笑みが込み上げてくる王子と姫。
「なら、僕達は二人だけで新居で暮らすよ」
「今まで育ててくれてありがとう。お父様、お母様、どうかお元気で」
ガシャン、とあやこ達の船の扉が閉まる。
いつの間にか乗組員もみな元の船に戻っていた。
ジェットエンジンが点火し、急速に場から離脱する浮浪印の事象艇。
ガタガタと船体が揺れる中で、艦長は豪快に笑った。
「ハッハッハ!また女を上げたな!あやこさん」
肩越しにウインクで返事をした。
気候はやや蒸し暑くなりつつあった。
ピクシーとハーピーが争う初夏の森林。
そういえばあの時もこんな風に澄んだ空だったっけ、と藤田艦長は一人ごちた。
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