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【異形の裏にも人の影】
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「そこ、判断が遅いですわよ。ちょっと、そちらは何をしていますの。そうじゃなくて、そこはこうするんですのよ」
慌ただしく人が動き回り、資料をめくる音に電話の音、騒々しいとすら言えるその部屋に、凛とした女性の声が響く。
「す、すみません。お手を煩わせてしまって……」
恐縮そうに、ネクタイをぴっちりと締めたスーツ姿の社員が頭を下げる。
「気にしなくても結構ですわよ。但し、二度目はないとお思いになって下さい。わたくしはこう見えても、部下には厳しいんですから」
そんな言葉とは裏腹に、優しく微笑みかけるのは、白鳥・瑞科だ。
「……」
思わず、スーツの職員は瑞科に見惚れてしまう。
しかし、それも仕方のないことだ。今の瑞科は黒のスーツ姿。しかもミニのタイトスカートに、白のワイシャツのボタンは第二まで開いており、そこからたわわな胸がこれでもかというほどに、その存在を主張している。
また、ミニのスカートから伸びる脚には、これまた黒のタイツがぴっちりと魅惑の脚線美を覆っており、それが逆に生足にはない甘美な魅力を引き立てている。
瑞科は協会の表向き商社の秘密拠点で、作戦指揮の業務中だ。武装審問官である瑞科ではあるが、商社という企業組織の中でも、その手腕を遺憾なく発揮している。
「あ……」
瑞科は別の職員の方へと離れていく。その背中を見つめて、思わず男性職員はそんな声を漏らした。鼻先で揺れた瑞香の髪からは、シャンプーだろうか、花のようないい香りがした。
「まだ、何か分からないことでも?」
瑞科が振り返る。
「い、いえ、何でもないです」
男性職員は慌てて首を振った。
「そう、ならあと一時間、頑張ってくださいね」
瑞科は時計を見て微笑むと、今度こそ別の職員の元へと離れていった。
「はあ……」
「なんだよ、また瑞香さんに見惚れて溜息なんかついてんのかよ」
男性職員の隣で作業をしていた同僚が肘で小突いてくる。
「そんなんじゃねえよ」
「またまたー」
そんなやりとりをする二人に、
「……」
無言のプレッシャーを乗せた瑞科の視線が突き刺さる。
「さあて、あと一時間。張り切って頑張ろう」
「そうだなー。頑張ろう」
棒読みでそんなことを言うと、二人は業務に戻る。
「うんうん」
そんな二人を見て、瑞科は満足そうに頷くのだった。
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「あら? これは何かしら?」
瑞科は、とある女性社員の業務を覗いて、そんな声を漏らした。瑞科が見ているのは、とある製薬会社の、ここ数ヶ月分の金と物についての動きを示した推移表だ。
「気付きましたか? 最近、この会社、おかしな動きが多いんですよね。気のせいかもと思って、様子を見ていたんですけど」
黒髪を肩口で切り揃えた、スマートなイメージの女性社員が瑞科に振り返る。
「要チェックですわね。こういったところから、思わぬ発見があるものですもの」
「はい」
商社での仕事というのは、ただ物を売り買いして儲けを上げる、といったものではないのだ。物の流れ、金の流れからは、様々なことが分かる。時にはそこから、敵対組織に関することが分かることもあるのだ。情報とは武器なのである。
この会社の、ものとお金の流れ方、裏で何か企てているのかもしれませんわね。
瑞科は自身の頭の、チェックリストにその会社の名前を書きとめ、他の業務へと戻るのだった。
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窓の外を見慣れた景色が流れていく。瑞科は商社での業務を終え、自身のスポーツカーで帰宅の途中だった。
今日は特にこれといった問題もなかったですわね。
気になる動きを見せる会社はあったものの、大きな問題があったわけではない。確証もなく手出しすることは出来ないし、今日の業務はこれで終わりだ。せっかく半日で業務も終わったことだし、今日はこの後、何をして過ごそうかしら。
そんなことを考えていた矢先のことだった。
スポーツカーに備え付けられている無線に、連絡が入った。
「はい、わたくしですわ」
「私だ」
連絡は司祭からだった。と言っても、それは瑞科にも分かり切っていたことだ。この無線に連絡を入れてくるのは司祭くらいであり、
「新たな任務ですの?」
「ご察しの通りだ」
それは大抵、任務の連絡なのである。
「今から言うところに至急、向かってもらえるか」
「もちろんですわ」
「瑞香君は話が早くて助かる」
瑞科は司祭の告げる場所への最短ルートを頭に描きながら、ギアをトップに入れ、アクセルを踏み込んだのだった。
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まだ陽は高いというのに、その建物の周辺一帯は、闇を思わせるほどの静けさに包まれていた。
さすがは世界に誇る教会といったところか。すでに一般人の避難は完了している、というわけだ。
今回の任務は敵の殲滅。シンプルで分かりやすい任務だ。ただ、殲滅対象が一癖ある。正確な情報は入ってきていないとのことだが、報告によると殲滅対象は、異形か魑魅魍魎の類。
教会本部が霊的な反応をキャッチしたのと、警察などに一般人から、「怪物が現れた」と通報が入ったのがほぼ同タイミング。それを考えると、一般人の避難がすでに済んでいるというのは、教会の迅速な仕事の証明である。
それにしても妙なのは、都会の街にはよくあるビル街に突如として、そんな怪物が現れたことだ。異形にしろ、魑魅魍魎にしろ、現世に姿を現せるのには、それなりの理由が存在する。訳もなく出現するということはあり得ないのだ。
こんなビル街にどうして? というのが、瑞科の最初に抱いた疑問だ。
廃墟、寂れた病院、うち捨てられた館など、人の寄りつかなくなり、何かしらの怨念などが籠る場所というのが、比較的そういった存在が現れやすい。
しかし、ビル街のような、人が多く、活気のあるような場所には、滅多に現れないものなのだ。
それにしても寂しい光景ですわね。
普段、人が大勢いる場所であるからこそ、人ひとりいなくなり、物音一つしないというのは、余計に静けさを助長する。
さて、殲滅対象の異形か魑魅魍魎だかは存じ上げませんが、その御仁はどこにいらっしゃるのかしら。
瑞科は首を回し、辺りの気配を探る。
瑞科は武装審問官ではあるが、霊能力者というわけではないのだ。霊的反応を捉えて、相手の居場所をつきとめる、というようなことは出来ない。魑魅魍魎が相手だとしても、その気配を察知するやり方は、人間を相手にするのと同じ要領だ。
音、視線、空気の流れ。そういったものから、いわゆる気配というやつを探る。
「そこねっ!」
瑞科は背後にそびえ立つ二対の高層ビル、その間にある薄暗い路地に視線を止めた。
と同時に、重心を足の親指の付け根に移し、いつでも動きだせる体勢に構える。
瑞科の今の服装はスーツだ。しかも、ミニのタイトスカートという、動きやすさからはかけ離れたものである。それに加え、普段、愛用している剣はおろか、武器と呼べるようなものは一つもない。
「さて、何が出てくるかしら」
圧倒的不利な状況であるはずなのに、瑞科の口元には笑みが窺える。
野生の獣。瑞科が感じた気配を例えて言うなら、そんなちりちりと肌を刺すような威圧感だった。虎がでるか、熊がでるか。そんなふうに瑞科は身構えていたのだが、ビルの間から現れたものは、紛れもなく人の姿をしていた。
このビル街にふさわしい、スーツ姿の痩せた男。ピッチリと七三に分けられた前髪からは、几帳面さが窺える。そんな男だ。
男は視線をまっすぐ瑞科に固定し、ゆっくりと近づいてくる。見た目はどこにでもいるサラリーマンなのだが、男から感じる気配はやはり、野生の獣のような鋭さがある。
「あなたが通報のあった怪物さんですのね」
男との距離はまだあるが、瑞科は警戒を緩めることなく、男に問いかけた。
「……」
男からの返事はない。黙ったまま、ただまっすぐ瑞科のほうへ歩いてくる。
一歩、また一歩と、男が近づいてくる。ついに男は瑞科にあと一歩で手が届く所まで歩み寄ってきた。
いつでも動ける構えを解きはしないが、それでも瑞科はそこから動くこともしなければ、男に攻撃を仕掛けることもしなかった。
それに対して、男もただ近づいてきただけで、攻撃を仕掛けてくる仕草などはいっさい見せなかった。
瑞科は背を反らすほどに、首を上向け、男の顔を見る。
始めに見た時は、どこにでもいるような、スーツ姿だった男。しかし、今、瑞科の目の前に立つ男は、二メートルを超える身長に赤い肌、額からは二本の角を生やした、鬼の姿をしていたのだった。
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