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銀のティレイラ
「――ほとほと困ってるのよ。お願いできるかしら、シリューナ?」
「もちろん。これしきのこと、お安い御用。数日中には何とかして見せるから」
シリューナ・リュクティアの営む魔法薬店。そこを突然訪れたのは、彼女が『ちょっとした知り合い』と表現する類の女性だった。早々に種を明かしてしまえば、この女性は街ではそこそこ有名な銀製品を主流に扱った美術館を運営しており、シリューナとも浅からぬ付き合いがあった。決して大きな美術館ではないが、館長である彼女によって選び抜かれた、古今東西の趣味のよい品ばかりが集められている。時代もアンティーク、ヴィンテージから、現代作家の手によるものまで幅広い。新進気鋭のアーティストが作ったとされる銀製の小像などは、シリューナの『趣味の製作』に大いに参考になるものであった。
女性館長が本日シリューナの店を訪れたのは、魔法薬を扱う表の仕事とは異なる依頼のため、シリューナの類稀なる呪術と魔術の才覚が必要としてのことであった。彼女が言うには、倉庫、展示場のところ構わず、銀製品の紛失が相次いでいるというのだ。紛失、と言う遠まわしな言葉を最初こそ使ってはいたが、実のところこれは窃盗事件だ。ばれないとわかったのか、犯人の手口は日々大胆になっていき、ついに開館時間内に盗みを行うまでとなった。盗人の蛮行にはほとほと手を焼いていたのだが、先日とうとう犯人の姿に関する手がかりを得ることができたという。宝飾品をつかんで逃げるその姿には、小さいけれど鋭い角と、長く細い尾があったそうだ。犯人は魔族に違いない。
魔族はその名に反して、さほど魔力は高くない。過去の歴史にまつわる迫害が影響しているとも、混血が進みすぎて種としての特徴が失われたせいだとも言われていた。理由がどうであれ、現在魔族の多くはごく弱い幻術や黒魔術を使う以外は、生まれつき備わった敏捷性を生かして行動することが多いのだった。盗賊ごときに自分の魔術が遅れをとるとは思えない。捕まえるのはそう難しくはないだろうと、シリューナは二つ返事で女性の依頼を受けた。
「ああ、ありがとう、シリューナ! 頼もしいわ。それじゃ、お任せするわね」
晴れやかな表情を取り戻した女性館長は、前金をカウンターに置くと、店を後にした。面倒ごとによって追加料金が発生するようなら、遠慮なく請求して欲しい、と言い添えて。
「お姉さま? 今の方は?」
カウンター裏手から、ひょこりと少女が顔を出す。彼女の名はファルス・ティレイラ。シリューナと同じ黒い髪、赤い瞳。そして同じ竜族の系譜だ。弱冠も弱冠の15歳。心身共に成長が早いから歳相応には見えるものの、長い生を歩む竜としては幼児にも等しい存在である。同じ世界に渡って来た同じ種族の二人は、特別なことでもない限りいつも一緒に行動していた。年長のシリューナが魔法の師となり、ティレイラを教えるかたわら、ティレイラは魔法薬店の店員として働く。シリューナはティレイラを『ティレ』という愛称で呼び、妹のように可愛がった。ティレイラもまた、シリューナを『お姉さま』と呼び、一心に慕っていた。歳若いティレイラにとっては、世界のすべてはもの珍しく、面白げに見える。今の会話が自分にも関係あることなのか、知りたくてたまらないのだろう。好奇心の人一倍強い彼女の問いに、シリューナはあっさりと答えた。
「ああ、いいところに。新しい仕事を受けたから、ティレも一緒に来なさい」
「ええっ!? いいんですか? やったー!」
まるで素晴らしい贈り物をもらったかのようにはしゃぐティレイラを見て、シリューナはくすりと笑う。どんな辛気臭い場所でも、この娘がいれば決して退屈しない。さっさと依頼を済ませたら、二人でゆっくりと楽しもうか。シリューナは気の早いお楽しみプランを頭に上らせていた。
* * *
「手分けして見て回りましょう。私はこちらを見るから、ティレは倉庫を」
「はーい! お姉さま、行って参ります」
「気をつけなさい、それともう少し静かに」
「わかってまーす!」
わかっていない大声で返事をしながら、ティレイラはぱたぱたと倉庫の方へ走っていく。
閉館後の夕刻。やはり人気のない時間が怪しいだろうと、シリューナは来館者のいなくなった美術館内を探索することから始めた。初日に何らかの手がかりが見つかればよし、犯人が現れたらその場で捕まえればよい。翼を持つ自分とティレイラの二人から逃げ切ることは難しいはずだ。いざとなれば魔法を使おう。彼女にとって、この依頼はかなり安全かつ、簡単なものであった。ティレイラを単独行動させても大丈夫だろうと判断し、彼女は二手に分かれての探索を提案した。多少の失敗があったとしても構わない。楽しい楽しい『お仕置き』の時間が追加されるだけだ。どう転んでも自分はいい思いしかしない。誰も見るものがないのをよいことに、美貌に似合わぬにまにました笑いを、シリューナは一人浮かべるのだった。
「うわぁー……なんかすごいものがいっぱーい」
倉庫に着いたティレイラは、整理棚がびっしりと並ぶさまを見て感嘆の声を上げた。彼女も竜族のならいとして、美しい物にはそれなりに目が利く。どれもこれもしまっておくのはもったいないほど見事なできばえだ。つい手を伸ばして触れてみたくなるが、思いとどまる。彼女の性質、好奇心は今までのところ自身に災いをもたらすことが多かった。珍しいアイテムに手を出して、痛い目を見たことも一度や二度ではない。
「うん、自重自重。今日は気をつけなきゃ」
美術品を分類し納めている背の高い棚で仕切られ、倉庫の中はまるでちょっとした迷路のようだ。体をぶつけないよう、そろそろと慎重に狭い通路を進んで行く。静かに、静かに。もし泥棒がいたりしたら大変だ。何列目かの棚を過ぎ、角を曲がると、そこには予想だにしないものがいた。
若い女。いや、少女だ。同じぐらいの年頃だろうか? だが、見た目の年齢はあてにはならない。ティレイラよりもさらに濃い褐色の肌に、黒いぴったりとした革鎧を身に着けている。短めの黒髪からは二つの小さな角が伸び、腰の辺りからは細く黒い尾が見えた。胸には不恰好に膨らんだ、大きな袋を抱えていた。窓から差し込む月明かりを受け、袋の中の塊がきらりと輝く。
「あっ! 魔族!」
心に浮かぶが早いか、ティレイラは口に出してしまっていた。美術館の倉庫にいる魔族。そこから導き出された結論は、彼女の頭の中で留まることができずに、続けて口をついて出る。
「ど、どっ! どろぼう! 泥棒!」
どうやら正解であったらしい。あっけにとられていた魔族の少女の表情がさっと変わる。
「ちっ! ばれたか!」
身を翻して走り去ろうとする姿に、ティレイラは反射的に得意の火炎を放った。狙いは確かであったが、素早くかわす泥棒少女のせいで、棚に炎が当たって火花が散る。衝撃で棚の美術品が揺らぐのを見て、ティレイラの血の気が引く。
「おいおい、放火する気か? 大胆だな〜」
(「ダメ、炎は使えない!」)
ティレイラは第一の攻撃手段をあきらめざるを得なかった。魔族の少女はティレイラの失態をあざ笑う。
「ほい、こっちからも魔法をお見舞いだよ!」
魔族がこちらに向けて指を差す。同時に暗闇が投げかけられ、ティレイラの視界は真っ暗になった。……かと、思われた。魔力をよく知る竜族の血によって、ティレイラは暗闇が単なる幻覚であることを知る。幻の闇を振り払い、泥棒少女を追ってティレイラはすぐに走り出した。
「待てー! 泥棒っ!」
けらけらと笑いながら、身軽に逃げ回る魔族の少女。棚によじ登り、飛び降りたかと思うとものすごい速さで次の整理棚の列に隠れる。盗んだもの以外には興味はないのか、美術品を蹴り転がしてもお構いなしだ。
「このままじゃ大変なことになっちゃう……ええい! しかたなーい!」
人型でいるときはめったに使うことのない竜の力を解放する。ティレイラの本性は竜であるのだから、どの程度まで解放するのかは己の自由にできた。機動力のハンディを埋めるため、飛翔の能力を。そう心に決めるだけで、ティレイラに紫色の皮膜を持つ翼が開く。同時に竜の角と尾が現れた。
「げっ! 竜人だなんて聞いてねーよ!」
「言ってないもん! 竜の力、見せてあげるわ!」
力強くティレイラが羽ばたくと、風もないのに驚くべき推進力が生まれる。いくら身軽ですばしっこいと言っても、空を自在に飛ぶ相手からは逃げ切れない。倉庫中を逃げ回り必死であがいたものの、とうとう魔族の少女は宝物をしまった袋ごと、ティレイラに捕まえられてしまった。
「捕まえた!」
角をつかみ、自分の体で小柄な魔族の少女を押さえ込む。久しぶりの『手柄』にティレイラは大いに興奮していた。思えば失敗続きの日々だった。その半分は自業自得、自分が原因であったので言い訳はすまい(あとの半分は『お姉さま』のいたずらだったが)。失敗を埋め合わせるどころか、大いに挽回できるチャンスが今、目の前にある。美術品泥棒の捕獲! 私だってやればできるんだ! ティレイラはシリューナが喜び、自分を抱きしめ誉めそやす最高のストーリーを頭に思い描いた。
「あー負け負け。まいりましたー」
ティレイラの下敷きになっている魔族の少女は、棒読みのセリフを吐き、ふてくされている。
「こらあ! 盗んだもの出しなさい! 返してください!」
「はいはい。これね」
あっさりと少女は抱えていた布袋をティレイラに差し出した。ティレイラが袋を受け取ろうとしたその時、
「アンタさ。もうちょっと人を疑いなよね」
少女がにやりと笑う。と、素早く袋に手を突っ込み、精巧な網目模様が刻まれた銀細工の腕輪を取り出して手のひらに乗せた。驚いたティレイラは袋を両手に持っていて、とっさの行動が取れない。少女は何やら聞きなれない言葉で呪文を唱えた。広げた手のひらに載せた腕輪がぐにゃりと歪み、溶け始める。
「ちょっ! 何するのよ、腕輪が――」
「今返すよ。そーれ!」
腕輪から生まれた銀の液体を投げつける。魔族娘が作り出した得体の知れない液体を、ティレイラは頭からかぶってしまった。
「きゃっ!」
熱くはない。痛みもなければ、湿った感じもない。それ以上のおかしな感じはしなかった。また魔族の幻術だろうか。きびすを返して逃げる泥棒少女を、黒い髪を銀に染めてティレイラは追う。翼を広げて飛翔すれば、窓に手をかけ、飛び上がろうとする少女の腕を難なくつかむことができた。
「ありゃま。竜には効きづらいのかねぇ、めんどくさいな」
「何を言ってるの! 観念しなさい!」
「観念するのはそっちだろ?」
と、魔族の少女はティレイラの開いている方の腕を指差した。髪から落ちて流れる銀色の液体は、腕に届いている。そのさらさらとした液体が少しずつ染み込み、ティレイラの片腕と長い黒髪が――硬質で、鈍い輝きを放つ、銀に変わり始めていた。動かない。
「えっ!? えっ、嘘!?」
「死にゃあしないからさ。飛び回って疲れたろ、ゆっくり休んでな」
形勢の逆転にしてやったりと言った顔で魔族の少女は言う。じわり、じわりと銀に変わっていくティレイラを一度だけ振り返ると、袋を拾い上げ、そのまま館内へ入っていく。
「今日は大漁だぁ! あっちの方からもいただいていくとしますかね」
もはやなすすべなく、笑いながら小さくなっていく魔族を見送ることしかできない。涙目になってただおろおろするばかりのティレイラ。手を伸ばすが、もちろん相手には届かない。
(「何でこうなっちゃうの!?」)
一度しまった翼を再び現出させ、懸命に羽ばたく。しかし、すぐに翼も銀に変わる。絶望し、がっくりとついた膝も銀に染まった。
(「もうやだ! うわーん!」)
嘆きもむなしく、とうとうティレイラは銀の彫像になり果てる。ひざまづきながら片手を差し伸べ、両の翼を大きく広げた姿勢でかちりと固まってしまった。その姿は去るものを追い悲しむようにも、助けを求めているようにも見えた。
倉庫の方から、何かが崩れるような物音。そしてティレイラの声と、見知らぬ女の声。シリューナは竜の鋭敏な感覚で聞き取った音がする方に振り返る。暗闇をじっと見つめていると、小走りに近づいてくるものがあった。角と尾がある。大きな袋を担いでいた。
「見つけた」
白く輝く魔法の矢を作り出し、人影に向けて放つ。
「うわっ! まだいたのか?」
続けて迫る光の矢をかわしながら、魔族の少女はシリューナを見た。
「暗いところでこんな光るもの、避けられないわけねーだろ!」
「あらそう」
シリューナは平然と、幾筋もの矢を放つ。少女はそのすべてを華麗に避けた。
「ざまあないね、姉ちゃん! 逃げさせてもらうよ」
得意げに言い捨てて走り出そうとしたが、脚が動かない。踏み出したはずの右の脚は、冷たい石に変わり始めていた。
「なっ……。て、てめー!」
「私、魔法の矢しか撃ってないなんて言ったかしら」
歯噛みする少女に、皮肉を込めてにっこりと笑う。呪術の達人たるティレイラは、魔法の矢の連発の中に、石化魔法を仕込んでいたのだ。見抜けなかった魔族の敗北は決定している。石化の進む少女に歩み寄り、宝物の入った袋を奪い取る。
「これは返してもらおうかな」
怒りか驚きのためか、口をぱくぱくとさせるだけの泥棒少女は、情けない格好のまま石像と化した。
「これでよし、と。それにしてもティレは何をしているのやら」
泥棒像を放置して、シリューナは倉庫に向かった。室の中ほどで彼女が見たのは、銀の像に変わってしまったティレイラの姿。思わず、ほう、と声が漏れる。このまま美術館に展示しても遜色ないほどの、見事な銀の等身大少女像。片手を差し伸べ、ひざまづいたまま背をぴんと伸ばして、竜族の証である翼と尾が映えるポーズに仕上がっている。わずかな光を反射して、少女の体は静かにきらきらと輝いていた。
「おやおや、今回は私の出る幕はなしのようね。一体何が起きたのやら」
それは、後で尋ねればいい。今は、知らぬ間に作り上げられた新作の彫像を愛でるのが先だった。
「ふうむ……銀の封印というのもなかなかいい」
日ごろからこの手の呪文を扱っているシリューナには、彫像化の解除もまた容易いことであった。だが、自ら楽しみを殺してしまうような、そんな無粋なことはするはずがない。じっくり、ねっとりと、この最高の銀の美少女像を目と手で楽しんでやるのだ。そっとティレイラの像を抱き起こす。唇が触れそうなほど間近で、さまざまな表情の入り混じった少女の顔を鑑賞する。ふっと息を吹きかけ、光が縁取る頬を人差し指の爪でそっとなぞりながら、シリューナは銀のティレイラにささやきかけた。
「ティレ。あの程度の相手にこのざまだなんて。情けない」
少しだけ厳しい顔を作ってみせる。ティレイラに自分の言葉がはっきり聞こえているのはわかっていた。答えることのできない少女を、軽く言葉で責めてやる。
「竜の力を使ってもダメだったのね。お仕置きをしなければ。あなたはしばらくこのままよ」
もし口を利くことができたなら、ティレイラは何と答えただろう。どんな表情を見せただろう。それを想像するだけでも、楽しくて仕方がない。シリューナは小さく笑いながら、出来立ての銀のティレイラ像を撫で回す。大きく広げた翼の先を、しなやかにたわめられた形で固定された尾を。硬さの中にどこか柔らかさを感じる、銀独特の手触りを存分に楽しんだ。自分独りだけのための、可憐な銀の竜少女の像。見つめているだけでぞくぞくとする悦びが心に生まれてくる。
(「実にいい。この感覚があるから、ティレで遊ぶのはやめられない!」)
「さて、彼女には無事解決の連絡をするとして……追加報酬は、このティレでいいかしらね」
存分に楽しんだ後で、シリューナはそう言った。彼女にとっては、思いもよらぬところから最高の褒美が与えられたのだから。
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