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<東京怪談ノベル(シングル)>


優しき断罪者

薄暗い礼拝堂の中、ステンドグラスのはめ込まれた天窓から虹色の光が細く差し込む。その光の下には若い女がひざまづいていた。黒い修道女服に身を包み、頭を垂れて祈りを捧げているように見えた。女の前の一段高い場所に備えられた説教台には、黒尽くめの男が立っている。神父然とした男が、シスターと思しき女に向けて低い声で語りかけるその言葉は祈りでも説教でもなかった。

「審問官、白鳥・瑞科(しらとり・みずか)。任務を与える」
神父を見上げてうなずくシスターの青い目が、きらりと光った。

『教会』から与えられる任務は、いつも突然だった。そのどれもが過酷。成功以外の結果は許されない。だが先ほどのシスター――白鳥・瑞科はその困難な要求すべてに、完璧に応え続けてきた。世界の歴史の裏で人知れず、秩序と平和を乱す悪を排除し続けてきた『教会』。人々が当たり前のように享受している平和は、影の平和維持組織によって作り上げられたものであった。瑞科は若干21歳にして『教会』に属する現代最高の武装審問官の一人、断罪の聖乙女。力で世を乱す存在を、同じ力で以って排す。シスターは仮の姿、血なまぐさい戦場こそが、彼女の居場所であった。

質素な修道服をするりと脱ぎ捨て、瑞科は戦支度に取り掛かった。決して他人に見せることのない美しい素肌がさらけ出される。続いて頭をすっぽりと覆っていたウィンプルを外すと、隠されていた茶色の長い髪があふれ出した。専用更衣室のひんやりとした空気の中で、彼女は手馴れた様子で準備を整えていく。体の線が見えない厚地の黒いシスター服の代わりに手に取ったのは、鈍い光沢を放つ黒いロングドレス。しっとりとした生地のドレスに袖を通し、背中に走る長い隠しファスナーを閉じると、首元から上半身、腕先まではぴったりと体を覆い、腰から下は深く切れ込んだスリットとフレアーで大きく広がったワンピースの形になった。ある程度の防弾性および防刃性を持たせた高機能素材でできた、瑞科専用の戦闘用ドレスだ。大胆なアレンジを施したシスター風コスチュームのようにも見える。黒いドレスの上からは女性的な体のラインがはっきりとわかった。生地のかすかな光沢が、彼女の持つ絶妙なカーブを光で縁取り、さらに強調する。
その上には、腹部と腰部の保護のために同色のコルセットをつけた。こちらはボーンが入り、ドレスよりもしっかりとした素材でできている。留め金とベルトで胸下をきっちりと固定すると、タイトに引き締められたウエストに対比して、バストが飛び出さんばかりの迫力を示す。腰も張り出し、まるで砂時計のような魅力的なラインを描いた。続いて白い太腿までの長さのソックスをつける。瑞科は微妙な透け感のあるサイハイソックスを、よじれのないように丁寧に伸ばしていった。危険なまでに深いスリットの素肌がわずかに見えるところで止まる。着圧の高い幅広のバンドで締められ、かすかに生まれたソックスと太腿の段は、年頃の娘らしい隙を見せており、妙に生々しい色気をかもし出していた。次にロッカーの脇に立たせていた白いブーツを手に取り、編み上げの紐をてきぱきと締め上げていく。悩ましいボディラインを誇示するドレスは黒、その下に隠された美脚を包むのは白で統一された。
このコーディネイトにさらに加えるのは、再び白。修道女にはつき物の、肩を覆う純白のケープ。そして、いつものウィンプルとはまったく趣の異なる、軽やかな白いヴェール。まるで花嫁を思わせる薄絹で頭を飾ると、淑女のような白いロンググローブを取り出す。上質ではあるもののごく普通の布製だ。縁の刺繍と幅広のレースが美しい。二の腕までを白く覆うグローブの上から、さらに革製のショートグローブをつける。こちらは戦闘のための装備だが、せめてもの乙女心か、美しく白く染められ、可愛らしい花の装飾がつけられていた。
身支度が終わると、ふう、と小さく息を吐いて、瑞科はまっすぐに姿勢を正した。セクシーな肢体を見せ付ける黒いドレスに清楚なヴェールやグローブ、白と黒、特殊素材とレースの装い。さまざまなコントラストが、瑞科という一人の女性にまとめ上げられる。仕上げとして腰には美しい意匠の剣帯が下げられた。かなり小ぶりで、せいぜいが護身用か儀式用かといったところだが、瑞科はそれ以上の武器を持とうとする様子はない。手を組み合わせて、誰にも聞かれることのない祈りを小さくつぶやくと、照明を消し、静かに部屋を出て行った。

* * *

無人のトンネルの中を、こつ、こつと硬質なヒールの音を立てて歩く。この先は工事中、ということになっていた。だが実際はそうではない。地盤が予想以上に弱いことが判明して、工事は無期限中止となっているのだ。中途半端に掘られて放置されたトンネルに、もはや人が訪れることはない。うち捨てられた工事現場は、今や悪の温床となっていた。
神父に扮した上官からの通達を思い出す。敵は邪教団員、任務は殲滅ただ一つ。異界の異形の中で最も忌むべき存在、悪魔を崇拝し、混沌を現世に撒き散らそうとしている連中を根絶やしにするのだ。金を奪い、人を洗脳し、火を放ち、魑魅魍魎さえ利用する。すでに悪魔との契約を済ませ、更なる悪行を行おうとしているとの情報もある。おそらく真実だろう。だからこそ、瑞科に任務が与えられたのだ。決してしくじるなと告げられている。

「失敗など、ありえません」
ずっと押し黙っていた瑞科が、初めて言葉を発する。静かな歩みを止め、きっと顔を上げると、青い瞳がわずかな光を受けて輝く。
「悪徳に耽るものたちは、わたくしが裁きますわ」
瑞科は再び歩む。トンネルの最奥部まではかなりの距離があった。しかし、彼女は一歩一歩自分の足で歩き続けた。ヒールの音は広いトンネル内に反響し、遠くまで聞こえるだろう。それでよかった。自分たちを裁くものが、近づいている。それを邪教徒たちに理解させるのだ。高く、遠く響く靴音は、まるで罪人に打ち込む戒めの杭の音のようであった。

(「聞こえますわね? この音が。――あなた方を滅する誓いの音が」)
(「さあ、出ていらっしゃいませ。最後ぐらい、正々堂々と立ち向かってごらんなさい!」)

どれほど歩き続けただろうか。あまりの暗さに、瑞科はペンタイプの小さな懐中電灯を取り出した。一応電池は入っているが、切れてしまっても構わない。電撃を操る能力――言うなれば『魔法』のような能力を瑞科は有していた。身に備わったこの能力を使って、壊れない程度、うまく点灯してくれる程度に直接電気を流してやればいいことだった。だが、無駄に能力を消費することもない。スイッチを入れ、頼りない細い灯りを頼りに、瑞科は前へ前へと進んだ。

* * *

堂々と歩み出てくる者もなければ、不意打ちを企む卑怯者もないまま、ついに瑞科は工事が放棄された、行き止まりの目的地にたどり着いた。目の前にあるものは、コンクリートの外壁が続くだけだった道中の風景とは大きく異なる。体育館ほどの、巨大な天幕。赤と黄色の縞模様だったなら、愉快なサーカスのテントにでも見えたであろうそれは、不気味な赤と紫色の模様に覆われていた。情熱と高貴を現す二つの色が、邪悪に歪められている。見るに耐えない醜い光景に、思わず瑞科の形のよい眉がひそめられた。表に人影は一つもない。

力を込めて、足を一度、踏み下ろす。たん、とコンクリートの床を打つ靴音が、高い天井に跳ね返りこだまになって響いた。ふわりと長い髪をなびかせ勇ましく、ブーツの音も高らかに、瑞科は堂々と正面の天幕をくぐる。さびた骨組みに取り付けられた、天幕のシートの内側にも表と同様のひどい色彩が広がっており、じっと見つめているとめまいがしそうだ。瑞科はシートから目をそらし中の様子を注視する。禍々しい場にいるのは、自分以外すべて悪魔崇拝教団の信者たちだ。こちらに目もくれず、一心に怪しげな儀式に没頭している。何語かもわからない、気味の悪い祈りの旋律が耳障りだ。高く響く靴音に今やっと気づいたといった風を装い、祭壇の前にいた長衣の男がゆっくりと振り返る。天幕と同じ悪趣味な赤と紫に加えて、おかしな紋章までついた長衣に身を包んだ男は、瑞科を上から下までじろじろと眺め回す。瑞科は嫌悪感を押さえながら、下品な視線を無視して男を睨みつけた。

「『教会』の者だな。女一人とは、なめられたものだ」
「おっしゃいますのね。私一人で十分ですわ」
「そんな破廉恥な格好をして、信徒をたぶらかすつもりか?」
「心外ですわね。機能性を追及した、立派な仕事着でしてよ」
「女の部品をちらつかせた仕事着とは、恐れ入るな」
瑞科は無礼で粗野な男の問いに、涼しげな顔で応える。話しているうちに、ひれ伏し、悪魔像を拝んでいた信徒たちが立ち上がり、自分をぐるりと取り囲んでいることには気づいていた。狂信に取り付かれ、敵意を露わにしている者もいれば、個人的な欲望が勝り、いやらしい目で見つめる男もいる。

(「50人といったところかしら。武器は……」)
信徒たちはだぶだぶとした不恰好な服に身を包んでおり、武装についてはよくわからない。
(「やってみればわかりますわね」)
腰の小剣をすらりと抜き放ち、瑞科は首領格と思しき長衣の男に問う。切っ先は男の胸元をまっすぐと指していた。
「今すぐ活動を中止なさい。ご自分たちが何をしているか、わかっていますの?」
「勿論だ。より偉大な目標のために我らは動いている」
「悪魔にこびへつらうことが偉大ですって?」
「そうだとも。悪魔様の恩寵を受けぬ凡人にはわからんか」
「ええ、わかりませんわね。寄付と称して金品をかき集め、悪魔を使って人々を犯罪に導く、そんなたわけた『恩寵』がこの世にあるなんて存じ上げませんでしたわ」
ずばずばと言葉で切り込む瑞科に、長衣の男は一瞬たじろぐ。信徒たちの間にも、戸惑いが小さなどよめきとなって広がっていった。

この女にこれ以上しゃべらせてはまずい。男は芝居がかった調子で両手を高く掲げ、信徒に呼びかけた。
「我が同胞たちよ、このいかがわしい女を捕らえよ! 服を剥ぎ取り、鎖で戒めて悪魔様への供物とするのだ!」
同時に、手にしていた長い杖を突き出す。ねじれた杖の先についているのは、悪魔を模した不気味な顔。その両目にはめ込まれた赤と紫の石が光ると、とたんに信徒たちの顔から生気が消えた。一瞬の後、表情のないすべての顔が、まったく同じ怒りの表情に塗りつぶされていく。

「洗脳……! あなたは信徒たちの心を殺す気ですの?」
「何を言う。悪魔様のため、自分の望みをかなえるため。同胞は進んで己の魂を捧げたのだ」

人格を消し去られ、悪魔の尖兵となった信者たちは、ローブを脱ぎ捨てる。あまりにも粗末な垢じみた衣服は、信者たちが人間らしい生活を送っていないことを示していた。手に手に握られている武器は、棒や鉄パイプ、手斧、鉈。銃などの近代武器を手にしているものは数人だけだった。おそらく、信徒たちの多くは元一般人なのだろう。純粋に救いを求めただけの善良な人間もいるかもしれない。その結果がこれなのか。そう考えると、瑞科の心は痛んだ。

「色仕掛けでは我が兵士たちは止められんよ。さあ、どうする?」
長衣の男の挑発的な言葉。瑞科は無言で、再び小剣を構えなおす。
「そうか。では存分に痛めつけてやろう。泣いて命乞いをしても許さんぞ。……やれ!」

男の号令で、一斉に自我を失った信徒たちが飛び掛かる。先頭に立つ、鉄パイプを振りかざした男を瑞科はまっすぐに見た。目には光がなく、ただ怒りの表情だけを浮かべている。速度と重量を加えて振り下ろされた、その鉄パイプを瑞科ははっしと受け止めた。いや、実際には手でつかんだわけではない。瑞科の手のひらからは目に見えない何かが放たれており、その不可視の力場がパイプを受け止めているのだった。これが彼女の持つ、電撃と並ぶもう一つの超常の力、小型の重力弾を生み出す力であった。重力の乱れに、柔らかな茶の長い髪が揺らめき、白いケープと軽やかなヴェールがはためく。腰下まで切れ込んだドレスのスリットからは白い生地に包まれた太腿が露わとなった。

「少しお眠りくださいませ」
優しく、幼子を寝かしつける時のように。信徒に語りかけると、己の手で鉄パイプをつかむ。パイプを通じて流れた電流に撃たれ、信徒はびくんと一度跳ねると鉄パイプを取り落とし、そのまま昏倒した。瑞科は振り向き、残りの心を失った信徒たちに対峙する。洗脳と強化によって、おそらく戦闘性能は上がっているのだろう。だが、所詮は『ただの』人間だ。瑞科の戦闘行動は定まった。殺さない。前に出て来た者、戦闘能力の低い者、武装の貧弱なものから片付けていく。小剣で雑な振りを受け流し、武器に電撃を流し、鳩尾に重力弾を叩き込むと、信徒たちはばたばたと倒れていった。まさに赤子の腕をひねるような容易い戦いであったが、決して気分のいい戦いではなかった。これでは無抵抗の一般人を殴り倒しているも同然である。意識を失った信徒たちが、何かから解放されたような表情を浮かべていることだけが、瑞科にとって慰めだった。信徒の大半が地に伏した後には、長衣の男を含む数人の邪神の徒が残された。

「不殺か? 甘いな」
「この方々はあなたに操られているだけですわ。殺す理由などございません」
「後悔しても知らんぞ」
「まさか後悔など。ありえませんわ」
瑞科の口から語られる、絶対の自信。あらゆる戦いをただ一人で征してきた、『教会』の聖乙女だからこそ、言葉にできるものだった。決して和解に至ることのない会話を終わらせるサインとして、白いグローブに包まれた長い細い腕を邪神の僕たちに伸ばし、手のひらを軽く上向けた。そのまま指で、こちらへ来いという仕草を作る。
「許しがたい罪人たちよ。あなた方の敗北は決定しています。かかっていらっしゃい」

私の断罪のステージへようこそ――!

残った男たちは、熟練の戦士であることが伺えた。男の一人が手を振り下ろすと、瑞科の素肌が露出した部分、すなわち顔と脚を目がけて、細く鋭い投げナイフが迫る。瑞科は事もなげに飛び退り、2本のナイフをかわした。次にまるで蹴り技でも放つように右脚を高く上げ、ひねりを加えて下ろす。その動作によってたっぷりと生地を使ったスカートが、スリットを境に前後に大きく広がった。ふわりと舞ったスカートは、瑞科を守る外套のようになって、残りの2本のナイフを弾き落とした。一瞬露わとなった両の美しい足は、再びそっと隠される。特殊素材でできたドレスには、ほころび一つなかった。では銃ならどうかと、2〜3メートルの至近距離から別の信徒が発砲する。銃声のしたほうを見た瑞科の両の手からは、またも小型の重力場が発せられた。空気が歪んで見えるほどの、物理法則を無視した魔の重力場に、銃弾は絡めとられ握りつぶされる。次の瞬間、ナイフの男は剣で喉を裂かれ、銃の男は重力を纏った重い乙女の一撃に、顎を砕かれ倒れた。悪魔に魂を売り渡した者どもの目に最期に映ったのは、漆黒と純白、女神のような完璧なシルエットを描く女の姿。

もう動けるのは二人の信徒と、長衣の男だけになっていた。さすがに男たちの顔に焦りが浮かぶ。
「あら? そこのお二人は洗脳されておりませんのね」
瑞科は小剣を鞘に収めながら問いかける。
「強化を行うのは、一定ランク以下の信徒だけだ……」
長衣の男に、先ほどまでの尊大さは欠片ほども残っていない。狼狽した様子で、『洗脳』の種明かしをする。
「そうでしたの」
ぽつりと答える瑞科。その青い瞳には激しい怒りの炎が宿っていた。
「純粋に救いを求めて集まってきた方ほど、無碍に扱ってきたんですのね……!」
長衣の男は、自分より遥かに小柄な若い娘に、言い知れぬ恐怖を感じた。
「やれ! 女に武器を抜かせるな!」
「裁きを受けなさいませ!」
瑞科と男は同時に叫んだ。長衣の男は杖をかざし、長い呪文を唱えだした。同時に二人の男が武器を手に迫る。瑞科はもはや小剣を抜かない。男たちを見据えたまま、天を指差すように右手を高く上げる。その指先に、手のひらに、青く光る電光が集まっていく。放電の枝が大きな雷玉となり、薄暗い天幕の中を青く白く、激しく明滅する。大きな稲妻が出来上がり、邪教徒たちを撃つ。一瞬だった。長衣の男の呪文は完成することなく、不吉なシンボルを掲げた杖は真っ二つに裂ける。毒々しい色柄の長衣はぶすぶすと煙を上げ、男たちは黒焦げの物体となって、最期の言葉すらなく転がった。胸の悪くなるような臭いが漂う。

「私の相手になるには、少々力不足でしたわね」
雷撃によって出来上がった生焼けの死体に背を向け、瑞科は倒れた一般信徒たちの元へ向かう。白い手袋や靴下が汚れるのも構わず、床に膝をついて、ひとりひとりの息を確認する。敵に指一本触れさせることのなかった彼女が、自ら倒れた者たちの手を取り、頬に触れ、心配そうに怪我の様子を伺っていた。

「よかった。皆気絶しているだけですわね」
にこりと笑う。洗脳がうまく解ければよいのだが、それは瑞科にはわからなかった。
「この方たちはやり直せますわ。新しい、正しい救いの道がきっと見つかりますもの」
通信機を手に取り、『教会』に連絡する。首謀者および武装信徒の殲滅の報告と、洗脳されていた一般信徒の保護の要請を行った。一般信徒は武装しておらず、殲滅対象とは判断しなかったことを強調する。最後に、同教団関連の任務があれば、また任せてほしい、と告げる。救済者にして執行者。優しき武装審問官、白鳥・瑞科の任務は完了した。だが、これですべてが終わるはずもない。

「次も必ず私が」
小さな、しかしとてつもなく重い誓いと共に、瑞科はどこか遠くを見つめた。