|
運命は十字架を背負う
公園と言っても、日本のそれとは桁が違う。何しろ世界遺産である。
フロリダ半島南端部。先日、事件のあったマイアミ市に近い、某国立公園。
歩きながらフェイトは、貰い物の菓子をもりもりと齧っていた。
手作りの、マフィンである。
マイアミ市内の事件で助け出した女の子から、感謝のメッセージと共に送られて来たものだ。
IO2は非公開組織のはずだが、こういう贈り物の類は、しっかりと届けてくれる仕組みが出来ているらしい。
「俺が……人から感謝される身分になるなんて、ね」
呟きながらフェイトは、いくらか固めのマフィンを咀嚼するのに少々手間取っていた。
子供の手作りである。申し分なく美味い、とは言えない。
固いのは、恐らく小麦粉を練り過ぎたからだろう。感謝の気持ちを込めて、丁寧に丹念に練り混ぜてくれたに違いない。
マフィンを作る時の小麦粉の混ぜ具合というものは、いくらか粉っぽさが残るくらいでちょうど良いのだ。それで、ふっくらとしたマフィンが出来上がる。あまり丁寧に練っては、このように固くなってしまう。
あの女の子には返事の手紙を出さないといけないが、ただ美味しかったよとお世辞を書くべきか、このような偉そうなアドバイスを書いてみるべきなのか、フェイトは迷った。
あの年齢の女の子だと、そろそろ男のお世辞など見透かしてしまいそうである。味の正直な感想を、知りたがっているかも知れないのだ。
鳥の声が複数、聞こえて来た。近付いて来た。
公園でくつろいでいる時に、寄って来る鳥。日本では大抵、鳩である。
だが今、フェイトの足元に群がって来ているのは、アオサギとペリカンであった。大きなクチバシで、何か狙っていそうな様子である。
手作りマフィンの入った包みを抱き寄せながら、フェイトはとりあえず会話を試みた。
「……やらないからな。これは俺が、労働の対価として正当に得た報酬なんだ」
日本語が通じたとも思えないが、とにかく鳥たちが騒ぎ始めた。
アオサギの鋭いクチバシが、ペリカンの大きなクチバシが、フェイトの足をつついたり挟んだりし始める。
「よ、よせってば。公園の生き物に餌やっちゃいけないっての、日本でもアメリカでも同じじゃないのかっ」
鳥の群れから逃げ回るフェイトを、子供たちが指差して笑っている。親たちが、それをたしなめている。
いや、一緒になって笑っている親の方が多いようにも見える。
アメリカ人らしいおおらかさだ、とフェイトは無理矢理、思う事にした。
休暇である。
正直、何をしたらいいのかわからなかったので、国立公園に来てみた。
「ふう……やれやれ、まいった」
マフィンの最後の一切れを紅茶で流し込みながら、フェイトは息をついた。鳥たちは、公園の職員が上手く追い払ってくれた。
少しは落ち着いた気分になりつつフェイトは、マフィンと一緒に送られて来た手紙を開いてみた。
あの女の子の、少したどたどしい感謝の言葉が綴られている。
「人助けが出来た……なんて思うのは、自惚れかな。やっぱり」
お前、正義の味方かよ。他の奴は助けても、僕の事だけは助けてくれない正義の味方。
先日の銃乱射事件の元凶となった少年は、そんな事を叫んでいた。
誰にも助けてもらえないまま彼は、己の精神を肉体から分離させる能力を身に付け、あのような事件を引き起こしたのだ。
その精神のみを、フェイトは破壊した。
肉体の方は現在、とある大病院で、植物人間として扱われている。
女の子は助かった。あの少年を助ける事は、出来なかった。
フェイトとて理解はしている。この世の全ての人間を助ける事など、出来はしない。
「出来るわけ、ないよな……俺の力で、人助けなんて……」
この世で最も忌まわしい力。
あの少年と同じものを、自分は間違いなく持っているのだ。
子供の泣き声が聞こえた。女性の悲鳴も聞こえた。他の客たちの、どよめきもだ。
幼い白人の男の子が1人、湿地帯にぐっしょりと座り込んで泣いていた。
そこへ、何匹ものワニが迫り寄って行く。
男の子の母親であろう女性が、いくらか離れた所で悲鳴を上げていた。少し目を離している間に、子供が湿地帯にはまり込んでしまったのだろう。
「普通にワニがいるんだよな、この国は……」
ぼやきつつ、フェイトは湿地帯に歩み入っていた。
ワニたちを刺激しないよう足取り静かに、靴とズボン裾を濡らしながら、男の子に近付いて行く。
そんなフェイトに、何匹ものワニが、ぎろりと視線を向けてきた。
「や、やあ。はっはははは、まあまあ」
フェイトは、とりあえず愛想笑いを返した。
「理性的に、冷静にいこうよ。爬虫類ってのはクールな生き物なんだろう? 冷血動物だけに……ああ、別にアメリカンジョークじゃないからな」
自分で何を言っているのか今一つわからぬまま、フェイトは身を屈め、男の子を抱き上げた。
そのまま、睨んでくるワニたちの間を、ゆっくりと歩き抜ける。
この公園の生き物たちとて、人間を襲わなければならないほど飢えているわけではない。
まるでフェイトの冗談に呆れ果てたかの如くワニたちは、湿地の奥へと這い去って行った。
「……やれやれ、受けなかったな」
苦笑しつつフェイトは、抱き運んで来た男の子の身体を、母親の近くに下ろした。
「あ……ありがとうございます、日本人の方!」
泣きじゃくる息子を抱き締めながら、女性が礼を言ってくれた。
頭を掻いて曖昧な返事をしつつ、フェイトは空を仰いだ。
(人助け……出来てる、のかな? 俺……)
忌まわしい、あの力は使わなかった。それでも、子供を1人助ける事は出来た。
忌まわしい、あの力を使った。それでも、あの少年を助ける事は出来なかった。
力など、あろうとなかろうと、出来る事と出来ない事がある。
考えてみるまでもなく、当然の事であった。
植物人間、と言うよりも、本物の植物だった。
鉢に入れられ、水と養分を与えられる。ただそれだけの存在。
ベッドの上で眠り続けている少年を、フェイトはじっと見つめた。
彼の精神を破壊し、覚める事のない眠りにつかせてしまったのは、フェイト自身である。
目を逸らせる事は、許されない。
「俺は、あんたを助けられなかった。それは忘れないよ」
フェイトは声をかけた。
応えなど、返って来るわけがない。構わず、語りかけた。
「これから先、何人も……助けられない相手が、出て来るだろう。それでも俺は」
戦い続けるしかない。人を、助けるために。守るために。
それをフェイトは、口には出さなかった。
はっきり言葉にした瞬間、何やら陳腐で安っぽいものになってしまう。そんな気がしたからだ。
|
|
|