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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜愚かなモノたち〜


 黒い細身のスーツ姿の女性が、43階建ての大きな白いビルのエントランスに吸い込まれて行く。
 道行く人たちがつい、その歩く姿を目で追ってしまうほど、彼女はひどく官能的な後ろ姿の持ち主だった。
 黒い網のストッキングは彼女の白い細足をわざと浮き立たせるように覆い尽くし、わずかに見えるなめらかな肌が視線を誘う。
 スリットが入ったタイトスカートは彼女の腰つきを際立たせ、豊満な胸を強調するようにウェストで大きく絞ったジャケットも、その内側で花のように開くフリルつきの絹のブラウスも、彼女の魅力を存分に知らしめるだけの存在だった。
 建物は何の変哲もないビジネスビルで、ある商社の看板が入り口に燦然と輝いている。
 多方面にビジネスを展開しているため、その名は誰もが知っているような有名な会社で、主に外国との貿易によって利益を得ていた。
 スーツ姿の彼女――白鳥瑞科(しらとり・みずか)がそこに入って行ったのは、偶然でも私用でもなく、れっきとした「任務」のためであった。
 ここは表向きは商社の顔をしているが、その実態は教会の秘密拠点のひとつである。
 教会は全世界にこうしたものを多数持っていて、あらゆる指令を迅速かつ正確におこなうことができるような仕組みになっていた。
 瑞科は受付を素通りし、セキュリティゲートをくぐり抜けてエレベーターに乗り込んだ。
 場所は17階、ここは初めて来た場所だったが、彼女が迷うことはほとんどない。
 まっすぐな髪をふわりと翻してエレベーターを降りると、いくつもあるドアのひとつの前に立ち、バッグからカードキーを取り出して、ドア横のパネルに触れさせた。
 ドアは音もなく開き、瑞科をすんなりと受け入れる。
「よく来たな、白鳥瑞科くん」
 奥には重厚な雰囲気を持つ机が置かれ、初老と言ってもいいくらいの男性が、静かに座して瑞科を待っていた。
「私がここの支部長だ。君の噂は聞いている」
「ありがとうございます」
 瑞科はゆっくりと優雅に一礼して、やわらかく微笑した。
 瑞科の戦歴には過去に失敗というものが存在しない。
 だから「噂」はすべて、成功譚でしかないのだから、彼女は感謝の言葉以外、口にする必要がなかった。
 男は満足そうにうなずくと、一枚の紙を彼女の方へと押しやった。
「今回の任務だ。この地区で起きていることだから、本来はこの地区の担当者が処理すべき問題なのだが、先日現場に向かった担当者が無残な遺体で見つかった。検死の結果、彼の傷跡から察するに、敵には主力級のモノが複数いる。並大抵の審問官では歯が立たん」
「主力級、ですか…」
「それに、彼らには知能が備わっているようで、人型に擬態する力もある。彼はそれを見抜けなかったようだ。背中への一撃は不意打ちによってつけられたものだった」
 瑞科は赤い唇をきゅっと引き結んだ。
 支部長は机の上で指を組み、ほんの少し声を落とした。
「応援が必要かね?」
「いえ、ひとりで十分ですわ」
 即座に否定して、瑞科はまた微笑した。
「敵の戦力に憂えたわけではございませんわ」
 言って、自らの格好を見下ろし、肩をすくめるような仕草をした。
「せっかく今回の任務のためにと、スーツを新調しましたから、少しだけ気を付けなければと思いましたの」
 支部長は一瞬、あっけに取られたような顔になる。
「主力級複数体を相手にするような任務だというのに、君はスーツの心配かね?」
「ええ…何か?」
 自分の発言にどこかおかしいところでもあったかと、目をまばたかせた瑞科に、支部長は豪快に笑い声をあげた。
「はっはっは、噂には聞いていたが、実に君らしい台詞だな、瑞科くん。それでは指令は追って出す。待機してくれたまえ」
「はい。失礼いたします」
 瑞科は支部長に礼をし、その部屋を辞した。
 
 
 
 待機と言われたので、彼女はそのまま、自身のスポーツカーで公道を走っていたが、彼女たちにしかわからない専用の回線で、至急現場に向かうようにとの指示が下った。
 どうやら先日の戦いの勝利に味をしめ、のこのこと教会の領域に出て来てしまったようだ。
「仕方のない方たちですこと…」
 薔薇色のため息をつき、瑞科は方向を変え、指令の命ずる場所へと一直線に走り出した。

〜END〜