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<東京怪談ノベル(シングル)>


ブラッド・ブライド


 バージンロードというのは和製英語で、米国ではウエディングロード、ウエディングアイルなどと呼んでいるらしい。
 とにかく通路上に敷かれた赤い布の上を、純白のウエディングドレスに身を包んだ花嫁が、父親にエスコートされながら歩み進んで行く。祭壇の近くで待つ、花婿のもとへと向かって。
 布が赤色なのは、ここがカトリックの教会だからだ。プロテスタントの教会では、白い布を敷く事が多いという。
 ……どうでも良い知識を、フェイトはひたすら反芻し続けた。そうしていないと、大きな声で笑い出してしまいそうだった。
 ワシントンDC市内の、とある教会。
 一組のカップルが、式を挙げている最中である。
 父親と腕を組んで歩く新婦は、ほっそりと美しい白人女性。
 祭壇の傍らに立つ新郎は、筋骨たくましい黒人男性。
 フェイトの教官である。
 がっしりと力強い身体に、タキシードがまあまあ似合ってはいる。
 厳つい顔面は、震えるほどに緊張し引きつって、滑稽極まる形相のまま硬直している。
(まったく、まるでIO2に入ったばかりの頃の俺じゃないですか……いやまあ、俺はそこまで面白い顔はしてませんでしたけど)
 正視出来ずに俯き、笑いを噛み殺しながら、フェイトは思い返した。
 あの頃の工藤勇太は、この教官に、ただ可愛がられるだけの日々を送っていた。それはもう、可愛がってもらった。叩きのめされ、投げ飛ばされ、絞め落とされた。弱ければどういう目に遭うのか、という事を身体で教えてもらう毎日だった。
 あの鬼教官と、この滑稽なほどに緊張しているタキシード姿の男が、同一人物。
 その事実だけでも、フェイトは懸命に笑いを堪えなければならなかった。
 身を震わせるフェイトに、教官が緊張・硬直しながらギロリと視線を向けてくる。
 フェイトは音を立てずに咳払いをしつつ、ちらりと目を逸らせた。
 その際、黒いものが一瞬、視界の隅をかすめた。
 ひらひらと舞う衣服、のように見えた。
 続いて、刃の閃きのようなものが見えた。
 考える事もなく、フェイトは床を蹴った。跳躍に近い疾駆。
 黒い花嫁が、白い花嫁に襲いかかっている。視界に飛び込んで来たのは、そんな光景だ。
 どす黒いウエディングドレスに身を包んだ人影が、刃物を振りかざしている。そして、新婦とその父親を一まとめに叩き斬ろうとしている。
 否、刃物ではない。大型のナイフにも似た、鋭利なカギ爪である。
 フェイトとほぼ同時に、新郎が動いていた。
 大柄でたくましいタキシード姿が、花嫁とその父親をまとめて庇い、襲い来るカギ爪に背を向ける。
 その広い背中が切り裂かれる……寸前でフェイトは、カギ爪を生やした何者かの腕を、横合いから掴んでいた。
 信じられないほど、冷たい腕だった。
 五指と掌を麻痺させるほどの冷たさに耐え、フェイトはその腕を捻り上げる。
 捻り上げられた黒衣の花嫁の細身が、裏返るように回転した。
 もう片方の手のカギ爪が、とんでもない方向から閃いてフェイトを襲う。
 人間の動き、ではなかった。獣じみた動き、とも違う。正常な骨格を持つ生物の動きではない。
 一閃したカギ爪を、フェイトは跳び退ってかわした。当然、掴んでいた腕は解放する事になってしまう。
 その時には教官が、花嫁と義父を、まとめて抱き運ぶようにして遠ざけ、避難させていた。
 参列客たちが恐慌に陥り、逃げ惑っている。
 新郎の友人として招かれていたIO2隊員たちが、手際良く避難誘導を行っている。
 そんな状況の中、フェイトは黒衣の花嫁と対峙していた。
 黒いウエディングドレスを着ている。それだけは、わかる。
 そのドレスの中に、いかなる身体が入っているのか。それがしかし、こうして正面から睨み合っていても判然としないのだ。
 黒い花嫁衣装の中で、影のようなものが蠢き揺らめき、細身の人型を形成しているようにも見える。それが左右のカギ爪を生やし、眼光をギラギラと燃やしている。
 憎しみの、眼光だった。
「あんた……」
 明らかに人間ではないものを相手に、フェイトは会話を試みた。
 その時にはしかし、黒衣の花嫁の姿は消え失せていた。
 憎悪の眼差しだけが、そこに残っているように、フェイトは感じた。


 同じような事件が、どうやら連続して起こっているらしい。
 黒いウエディングドレスに身を包んだ何者かが、結婚式場に乱入しては新婦を殺害する。
 すでにメリーランド州で3名、ヴァージニア州で5名もの女性が犠牲となっており、東海岸の『黒い花嫁』事件などと呼ばれて合衆国全土を騒がせているようだ。無論、面白半分に騒いでいる輩もいるであろうが。
 犠牲者が8名に上るに及んで、ようやく1つの事実が判明した。
 それは犯人が人間ではない、という事である。
 警察でもFBIでもなく、IO2が管轄すべき事件であるという事が、ようやく判明したのだ。


 ワシントンDC市内の、とある教会。
 一組のカップルが、式を挙げている最中である。
 通路上に敷かれた赤い布の上を、純白の衣装に身を包んだ花嫁が、父親にエスコートされながら歩み進んで行く。
 それを花婿が、祭壇の近くで待ち受けている。がっしりと力強いタキシード姿を、緊張させながらだ。
 筋骨たくましい、黒人男性である。
 花嫁は対照的に、ほっそりと華奢な美女であった。純白のウエディングドレスが、優美な細身を包んでいる。ベールを目深に被って俯いているが、うっすらと透けて見える顔の輪郭は端正で、たおやかな美貌を容易に想像させる。
 新郎と同じく緊張した足取りで、バージンロードを歩む花嫁。
 その傍らで、黒い影が揺らめいた。
 どす黒いウエディングドレス。肉体か霊体かも判然としない、暗黒そのものの姿。
 それが、純白の花嫁に襲いかかる。
 カギ爪が、刃物の如く閃いた。
 花嫁の美貌を覆う純白のベールが、無惨に切り裂かれる。
 その下から、黒髪が現れた。白い肌が現れた。が、それは欧米人の白色ではない。
 東洋人の、黒髪と肌であった。
 ドレスから露出した両肩や二の腕は、ほっそりと華奢、に見えて無駄なく鍛え込まれ、柔軟な筋肉がしっかりと引き締まっている。
 疑いようもなく、男の体格であった。
 露わになった顔立ちは、可愛らしく整って、化け方次第では女性にも見える。
「だからって……何で俺が、こんな事っ!」
 ウエディングドレスを着せられたフェイトが、ぶつくさと文句を呟きながら拳銃を構え、引き金を引いた。
 対霊処理を施されたマグナム弾が、黒い花嫁を撃ち抜いた。
 音声にならぬ悲鳴を、フェイトは確かに聞いた。
 黒いウエディングドレスがちぎれ、人型を成す黒い影が崩れてゆく。
 そんな状態のまま、しかし黒衣の花嫁は猛然とカギ爪を振るった。憎悪を宿した一撃が、フェイトを襲う。
 もう1度、銃声が轟いた。
 崩れかけていた黒い影が、完全に崩れ散り、消え失せてゆく。2発目の対霊銃弾。だが、フェイトが放ったものではない。
 硝煙立ちのぼる拳銃を握っているのは、新郎であった。
「危ないとこだったな」
「本当……大ピンチでしたよ、教官」
 花嫁姿のまま、フェイトは言った。
「バージンロード歩き終わる前に出て来てくれて、本当に助かりました……誓いのキスまでに出て来てくれなかったら、どうしようかと思いましたよ」
「舌まで入れてやろうと思ってたんだがなあ」
 ニヤニヤと笑っていた教官の顔が、いくらか沈痛に引き締まった。
「……さっき連絡があった。お前が言ってた通りの場所で、死体が見つかったらしい」
「やっぱりね……」
 ズタズタにちぎれた黒いウエディングドレスを、フェイトはそっと拾い上げた。
 その黒さは、血の色だった。
 これを着ていた女性は、着衣がどす黒く染まるほどの血を流したのだ。
 先日、少しだけ触れた、黒い花嫁の憎悪の思念。それをサイコハック能力で分析し、フェイトは全てを知った。
 ウエディングドレスを着て、結婚式場へ向かう途中。まさに幸せの絶頂へと至る途中で、彼女は死んだのだ。
 事故に遭い、崖下へと転落したのである。
 呪いの念が血染めのドレスに宿り、怪物『黒い花嫁』となって、殺人を繰り返した。
 そのような真相が今更、明らかになったところで、殺された女性たちが生き返るわけではなかった。


 だからと言って、IO2の職員が幸せな結婚をしてはならないという事ではない。
 教官の結婚式は後日、滞りなく行われた。
 その披露宴の場でフェイトは、
「や、やめて下さい! この国の自由に、そこまで染まる気はないですからっ!」
 悲鳴を上げながら、逃げ回っていた。
 花束やプレゼントを抱えて追い迫って来る、IO2の先輩職員たちからである。ちなみに全員、男性だ。
「なあフェイト坊や。このワシントンDCってとこはよォー、同性婚が認められてんだぜぇえ」
「お、おめえの花嫁姿が! 忘れられねーんだよォオオオオ!」
「結婚しようフェイト君! 幸せにする! 絶対、幸せにするから!」
「お、俺のために! またウエディングドレスを着てくれー!」
「冗談じゃない! ちょっと教官、助けて下さいよ! あんたが立てた作戦のせいで、こんな事に!」
 教官も花嫁も、笑って見ているだけで助けてはくれなかった。