コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


暗黒の蛇と黄金の蛇


 深夜の、公園である。
 いささか曇り気味の夜空で、中途半端に欠けた月が頼りなく輝いている。
 その弱々しい月光の下で、2人の女性が睨み合っていた。
 共に、若い娘である。少女と言っても良い年頃だ。少なくとも外見は。
 片方は、白のロングコートか実験用白衣か判然としないものを着用した、金髪の娘。眼鏡の似合った、いかにも理系といった感じの美貌である。
 名はセレシュ・ウィーラー。この公園近くの雑居ビルで、鍼灸院を開業している。
 神具・魔具などと呼ばれる曰く付きの物品を、鑑定したり研究したりもしている。
 その鑑定の結果として彼女は今、もう1人の娘と対峙していた。
 黒髪の少女だった。
 フリルの豊かな、いくらかメイド服にも似たゴシック・ロリータ風の衣装が、嫌味なほど似合っている美少女である。
 外見は十代半ばの、その黒髪の魔女に、セレシュは問いかけてみた。
「……自分、歳いくつや。何千年サバ読んでんねん。正直に言わんかい」
「その御言葉、そっくりお返しいたしますわ。お姉様」
 魔女が、涼やかに嘲笑った。
「一生懸命、若作りをしておられますのね……痛々しくて、見ていられませんわ」
「そっちかて無理矢理な若作り、しとるみたいやねえ」
 言いつつセレシュは、右手に握ったものを、魔女に向かって掲げて見せた。
 一見すると何の変哲もない、金鎖と宝石のネックレスである。
 見る者が見ればはっきりとわかる禍々しさを漂わせた、このネックレスが、数日前にセレシュの研究室へ持ち込まれた。鑑定依頼であった。
 これを身に着けた女性が、すでに何人も命を落としているという。
 全員、恍惚とした表情を浮かべながら、骨と皮だけになって衰弱死していたらしい。
 命を吸収する魔具。命と引き換えに、着用者の外見的魅力を高めてゆく。
 それが、セレシュの導き出した鑑定結果である。
 このネックレスを身に着けていた女性たちは皆、美の絶頂で命を吸い尽くされ、死んでいったのだ。
 問題は、吸収された命が、どこへ行ったのかという事である。
 ネックレスの内部に溜め込まれていた、わけではなかった。この魔具は、吸収した命をどこかへと送り込む、通路でしかなかったのだ。
 送り込まれた先を今夜、セレシュはようやく突き止めたところである。
「一体……何人分の命吸うたら、そないにお肌ツルツルでいられるんや」
「数えた事もありませんわ。だって多過ぎますもの……命を削ってまで綺麗になりたい、お馬鹿でかわいそうな女の人たちが」
 優雅に、楽しそうに、魔女は笑った。
「そういった方々の、欲望と妄執に満ちた生命こそが……私に、永遠の若さを与えてくれますのよ」
「せやから、こんなもんバラまいて命を吸いまくっとると。そういうワケやな」
 セレシュは、ネックレスを思いきり叩き捨てた。
 同じネックレスがすでに多数、この魔女によって流通に乗せられ、世の中に出回ってしまっている。
 犠牲者をなくすには、大元の魔女をどうにかするしかないのだ。
「1度だけ忠告したる。アホな事やめて、とっとと魔界に帰りや」
「では私からも1つ忠告を。その化けの皮、あまり似合っておりませんわよ? 醜くおぞましい怪物の正体を晒しながら……無様に、お死になさいッ!」
 魔女の周囲に、夜闇よりも色濃い暗黒が生じ、渦巻いた。
 セレシュは、とっさに身を反らせた。微かな衝撃が、頬をかすめた。
 眼鏡の少し下の辺り。滑らかな頬に、一筋の細い裂傷が刻まれていた。鮮血が、ツ……ッと流れ落ちる。
 魔女の周りで、闇そのものが質量を有し、何匹もの黒い蛇の如くうねっている。その黒い蛇の1匹が、鞭のように空気を裂き、襲いかかって来たのだ。
 セレシュは、頬の鮮血を指先で拭った。
 血の汚れだけでなく、傷そのものが、拭い去られたかのように消え失せていた。
「あら、治療用の白魔法などお使いになりますの? 魔族の方が」
 魔女がせせら笑い、そして叫ぶ。
「化けの皮を切り裂かれるのが、そんなにお嫌? 人間の姿が、そんなに大切? 浅ましい事ッ!」
 闇の蛇たちが、一斉にセレシュを襲った。
 避けず、逃げずに、セレシュはただ防御を念じた。
 光が生じた。
 白く輝く光がインクとなり、空中にいくつもの紋様を描き出す。様々な文字や記号を内包した、真円。
 そんな光の紋様が4つ、セレシュの周囲で白く輝き、暗黒の襲撃を弾き返す。
 毒蛇のような鞭のような形を成していた闇が、弱々しくちぎれて消えた。
「なっ……」
 狼狽を露わにして立ちすくむ魔女に向かって、4つの光の紋様が、輝きを強めてゆく。
「うちの化けの皮なあ、めっちゃ分厚いねん。そないな攻撃じゃ剥がせへんでえ」
 にっこりと、セレシュは微笑んで見せた。
「そっちは……メッキが剥がれてきとる、みたいやねえ」
「お……お待ちになって、お姉様……」
 愛らしい美貌を青ざめさせながら、魔女が後退りをする。
「わ、わかりましたわ。魔界へ帰らせていただきます、もう2度と人間界へは出て参りませんから……」
「よろしい。最初っから素直にそう言うとけばええんや」
 攻撃的に輝いていた紋様が4つとも、消えて失せた。
 その瞬間。魔女の細腕から暗黒が鞭のように伸び、セレシュの両腕と胴体をビシビシッと束ね縛った。
「貴女の魔力は封じましたわ……油断大敵、ですわねぇえ」
 青ざめていた魔女の美貌に、高慢な笑みが浮かんだ。
「このまま、貴女の命も吸い尽くして差し上げましょうか? でも、あまり美味しそうではありませんわねえ」
「そう言わんと、吸えるもんなら吸ってみい……胃袋が石に変わるくらい、珍味やでえ」
 セレシュの言葉に合わせ、長い金髪の一部が揺らめきうねった。まるで、金色の蛇のようにだ。
 その蛇が、眼鏡に絡み付く。
 うねる金髪が、セレシュの美貌から、眼鏡を取り外していた。
 青い瞳が、何に妨げられる事もなく魔女に向けられる。魔女を、睨み据える。
 勝ち誇った、高慢な笑みを浮かべたまま、魔女は動かなくなった。
 艶やかな黒髪が、ふわりと夜風に舞いつつ硬直した。軽やかなフリルが、ひらひらと揺らめきながら固まった。
 たおやかな細身が、固く動きを止めたままユラリと倒れる。
 フリルが、全て砕け散った。
 ゴシックロリータ風の衣装が、ガラス細工の如く砕け散っていた。
 飛び散ったのは、細かな石の破片である。
 可愛らしい下着をまとう、しなやかな半裸身が、月光の下に晒された。
 露わになった下着姿を隠そうともせず、魔女はただ、勝ち誇ったような笑みを浮かべ続けている。
 柔らかなボディラインを有した、固い石像が、そこに横たわっていた。
「無様に死なせたる……思うとったけど、気ぃ変わったわ」
 セレシュの背中から、金色の光が広がった。
 ふわ……っと軽やかにはためく、黄金色の翼。
 それが、セレシュの身体を縛る暗黒を、引きちぎり飛び散らせる。
「腐ってく死体が残るよりか、マシな死に方やと思うで」
 石像に変わった魔女の美肌に、セレシュはそっと指を走らせた。
 欲望に満ちた生命を吸収する事で若々しく保たれたボディラインを、くすぐるようになぞってゆく。光を宿した、指先で。
 美しく引き締まった脇腹、ふっくらと美味しそうに膨らんだ尻と太股。細く綺麗な二の腕に、形良く豊かな胸の膨らみ……柔らかな瑞々しさを形としてとどめたまま、しかし固く石化した魔女の肢体に、セレシュは光をインクとして何かを書き綴っていった。指先に感じられるのは、美肌の柔らかさではなく、紛れもない石の固さと冷たさである。
 半裸の美少女の石像。その全身あちこちに、光の文字が出現していた。封印の呪文。
 この魔女は今や全てを封じられ、魔力も意思も失った。もはや単なる石像である。
 出回っている呪いのネックレスが人の命を吸う事も、もうないであろう。吸収した命の、送り先が失われてしまったのだから。
 出来たての石像を、セレシュはじっと観賞した。
 勝ち誇った高慢な笑顔が、いささか見る者の神経を逆撫でする。そう感じた。
「ちょう恐がらしたり絶望させたり、するべきやったかな……」
 この間の、夢魔の少女の石像の方が、いくらか出来がいい。
 そう思いながらセレシュは、物言わぬ魔女に背を向け、歩み去った。