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<東京怪談ノベル(シングル)>


『錯節 -Blast Route-』

 高次元時空の景色を、こうして平面上に記されるだけの文字で表現するのは難しい。しかしかつてその難事を成し遂げた者が一人だけいる。彼、即ちこの膜上に初めて船を走らせた男は、それを海中に沈むシロナガスクジラに例えて「ビッグ・ブルー」と呼んだ。後年になって、彼が実際に触れた相では光の行き先が全く定まらず、人間が景色と呼べるような代物はなかったという間の抜けた事実が判明したのだったが、しかしそれでも航空事象艇を駆る船乗り達は、自分達を湛えるこの世界に対し未だにその言葉を捨てはしなかった。
 そんな大なる青に、一隻の老朽艦が浮かんでいた。時間風を受けるための帆も傷付き、一見して難破しているのかと思われるくらい酷い有様だったが、その中は今、久遠の都政府所属の環境保護局員達によって活気づいていた。
「艦長! もう演習開始に間に合わないぜ!」
「分かってるわよ! だからこうして急いでるでしょ!」
 うずたかく積まれた工具に囲まれながら、綾鷹郁は悲痛にも聞こえる声で叫んだ。
「そもそも何でこんな退役予定のボロ船で、最新鋭の旗艦相手に勝負しなくちゃなんないのよー! 動力壊れてるのよ、これ! 燃料だってほら! ほらほら!」
「今更怒っても仕方ないだろ! 司令部は評価してるんだよ。この程度じゃハンデにならないって。それに向こうもASM一発程度の装備なんだし」
「あっちはいざとなれば超生産能力が使えるじゃない! それに乗ってるのはあの智子ちゃん……何やってくるか分かんないよー!」
 頭を抱えぶんぶんと首を振る彼女の仕草に、今回副官に就いた男はお前もだろと嘆息を吐いた。彼は同じ職場かつ恋を求めるコンパ部の一員として、開けっぴろげな彼女が持つ男友達の中でも特に親しく長い間柄だった。つまり日常的にその恋愛での派手な失敗を目撃し、長々と愚痴を聞かされている身だけに、今目の前に見える郁のふわふわした栗色の髪や、ねだるように潤んだ瞳、感情によってピンと立ったりしおれたりする尖った耳の愛くるしさなどは、彼にはもう全く通用しないのだった。
 しかし真の女らしさは取り繕えなくとも、彼女の工作技術は本物だった。郁はじきにスパナ片手に勢いよく立ち上がり、高らかに宣言を行った。
「出来た!」
「よかった、間に合った! だが、これでも動けるようになっただけか……」
「ふふふ、あたしを見くびらないで! 修理と平行して既に一つの秘密兵器を開発済みよ!」
「おぉ!」
「この特製ECMとECCMを組み合わせれば、敵艦のこちらに対する情報を全時間線上で同時に改変可能なの……!」
「それはつまり……!」
「そう。つまり、今相手からはこの船がピカピカの超弩級戦艦に見えている!」
「見えて、いる?」
「そう、見えている!」
「だけ?」
 堂々と片手を腰に当てどこぞを指さす郁に、彼は気が遠くなる想いで口を開いた。
「何故そうやっていつもいつも誤魔化す方にばかり行くんだ! 結局誤魔化しきれないくせして……」
「何ですって!? 大体何の話してるのよ!」
「あぁ、だからこっちに配属されるの嫌だったんだ……」
「もー頭来た! あなたは今から清掃夫に降格!」
「演習に清掃夫がいるか!」
「艦長命令です! あたしはこれから敵艦を攻め込むのに忙しいんだから、もう話し掛けないで!」
「ちょっと、おい! 兵器もないのに!」
「うるさーい! 清掃夫に作戦に対する発言権はなし! 高次元時空上の戦闘では、情報こそが武器だって事を見せてやる……!」

 鍵谷智子がブリッジで女王様然とした艦長像を演じ、嬉々として演習開始点を迎えた瞬間の事だった。何の脈絡もなく、突如として旗艦の真後ろに巨大な船が出現し、クルー達は騒然としていた。
「うろたえるな!」
 しかし鍵屋は不敵な態度を崩す事もなく、腕を組んだまま大声で叱咤すると、空間ノイズによるジャミングが問題なく動作しているのを確認し鼻で笑った。
「こんなピンポイントに座標指定して移動出来るはずがないわ。一帯に光情報を垂れ流しているだけに過ぎないはず。重力!」
「出現と前後して、微弱なものが観測されています」
「ふん、小賢しい! 無視して構わないわ。神経系は全て時空震の探知に回して。見つかり次第……」
 と、そこで彼女の朗々とした指示はロックオンアラームによって遮られた。更に軽微ではあるが間違いなく物理的な振動、明滅する赤色照明が続き、最後には旗艦に張り付く老朽艦の映像がモニターに映し出された。
「やったー! これで一勝ね!」
「どうもー……」
 唖然とする面々のもとに入った通信は、手を叩いて喜ぶ郁と居心地悪そうに苦笑する副官によるものだった。対する鍵屋のこめかみには青筋がくっきりと浮かび、片方の口端がぴくぴくと吊り上がっている。
「ちょっと貴方達、一体どういう戦法取っているのかしら……?」
「ほら、やっぱり怒られた」
「でもこの距離での一方的なロックオンは、勝利条件を十分満たしてるわ。問題ない問題ない」
「問題大ありよ! まるで体当たりじゃない! 実戦考えてるの!?」
「往生際が悪いなあ、智子ちゃん」
「ちゃん付けで呼ぶな! いきなりこんな手の込んだ電子戦仕掛けてくれちゃって、どうせろくな武装も用意してないんでしょう!?」
「やっぱり見抜かれてる」
「う……。それじゃ、もし抵抗するのなら、こちらの船の動力部をフル稼働させて臨界点を超えさせます……!」
「堂々と自爆をちらつかせて脅迫しないでちょうだい! そもそもこんな正確なジャンプをどうやって……。空間ノイズを取り除けたとしても、ここまで小規模な目標に、その貧弱な探知装備で潜らず直接辿り着くなんて、とんでもない確率よ」
「それはあたしの腕と、勇気?」
「勇気?」
「勇気……って要するに勘じゃない! 不安定な真空の泡に飛び込んだりした時のリスクを考えなかったの!?」
「あー……。やっぱりあたし、勇気あるなあ」
「「おい!」」
 こうした不毛なやりとりは、司令部の介入によりひとまずは収まった。結局両艦はもう一度ランダムジャンプを行ってから第二戦という運びになり、あっけらかんとした表情で手を振る郁に、鍵屋は威嚇するように歯ぎしりを送っていた。

 機嫌の悪い鍵屋智子には近付くな。それはこの艦に乗った者達がまず肝に銘じる注意事項であり、綾鷹郁に対し恋愛面での欠点を述べるな、というのと同程度の重要性を持った厳重な規則とも言えた。
 だから今、透過性を目一杯高くした全球型コンピューターの中で、複雑な計算式を打ち込み妖しい笑みを浮かべている鍵屋に、周囲のクルーは冷や汗を流すしかなかった。何をやっているのかは誰も何も理解出来なかったが、彼女がいかにして郁をいたぶって負かすかを考えているという事だけは、全員知っていた。
「智子ちゃんー」
 が、そこに間の抜けた通信が入った。
「何? もう命乞いをしても遅いわよ。それとちゃん付けはやめて」
「何か救難要請を受けちゃったから、ちょっと行ってくるね。一応ポイント送っとく」
「はあ? こんな所に一般艇が紛れ込むなんてあり得ない……」
「お爺ちゃんばっかりだから迷っちゃったんだって。エンジントラブルみたいで……あっ、いけない。あのままじゃ自壊しちゃう。それじゃあねー」
「お爺ちゃんって、そんなの理由に……」
 しかしその言葉を待たずして、郁の可愛らしい顔はとっくに画面から消えていた。とは言え鍵屋もそこまで大事に捉えた訳ではなかった。彼女は一息つくと、むしろ準備する時間が増えたくらいに考えて、再び作業に移ってしまった。
 それからほんの少し経ったくらいに、バチッという耳障りな音と共にブリッジのスクリーンが一瞬波打った。最初は鍵屋も、「今のは?」と手を止めもせずに何気なく聞いただけだった。先程ちらと見た多胞体時計が、まだ演習開始点のいくらか前を示していたからである。
「ねえ、今のは?」
「どうやら……センサー機能の一部が破損したようです」
 オペレーターがそう言い終わった瞬間、また似たようなダメージが艦を襲った。そしてその時には、皆が襲撃を受けた事を理解していた。
「あいつ、またふざけた事を……! 向こうの艦へ通信!」
「強力なジャミングで所在が掴めません!」
 再び各種計器が跳ね上がった後、そのいくつかが無反応になった。今はとにかく動くしかないと、鍵屋はひとまず先程報告を受けたポイントに船首を向けた。だがどんなに速度を上げても、徐々にセンサー類はその機能を失っていった。
 いくら郁が優れた技術屋だとしても、向こうにあるものだけでこの性能の攻撃手段を作り出せるというのは考えにくい。彼女はコンピューターへの入力を続けながらも、この事態に焦った様子も見せずに考え続けていた。
「残骸だけです!」
「データ取って」
「しかしその間……」
「目しか狙ってないわ。そんなものくれてやりなさい」
 その通りに、センサー系統は程なくしてほとんどが沈黙してしまった。しかしこの短い時間で、鍵屋は優れた状況的判断をいくつも下していたのだった。
「とりあえず今組んだプログラム通り移動して」
「了解」
「動かしているの、郁じゃあないわね。彼女だったらこんなにちゃんとした攻め方してこないもの。開始を待たずに不意打なんてのもね」
「それじゃあ、誰が?」
「救助するって言ってた連中に乗っ取られでもしたのかしら。向こうの性能を考えれば、彼女が技術的に協力を強いられているのは間違いないけれど。センサーばかり狙うのも、逃げおおせるのが最終目的と考えればしっくりくるし」
「……新手です!」
 僅かな情報の変化、ほとんど信号の乱れと言っていいくらいのそれを読み取った観測員が叫んだ。
「ポイントは分かりませんが、互いに時波ホーミングミサイルを使用したようです。つまり、恐らく協力関係にはありません。政府装備とも異なります」
「この忙しい時に!」
 副官の女が悪態をついた。
「むしろこれではっきりしたじゃない。どこかに演習の情報が漏れていたのよ。それで小汚いハイエナが寄ってきた」
「超生産能力を稼働させますか?」
「そんな時間はないわ。一発で十分」
「しかしこの状況で、撃ちっ放し式のASMをどうやって……」
「あの綾鷹郁が操縦していないのなら、動きは簡単に予測出来るわよ。さっきの一連の攻撃から、向こうの運動パターンはもう割り出してある。プログラムはしておいたから、後はこのポイントで発射するようになっているわ」
 鍵屋は立ち上がると、羽織っていたいかにも狂科学者らしい黒いコートを脱ぎ椅子にかけた。
「あの、しかし郁さん達が乗っている船をどうするつもりで……?」
「潰すつもりで」
 ニヤアっと八重歯を見せながら口角を上げるその様に、場は凍り付いた。そんな空気を気にもせずに、彼女はその場で動きやすい服へ着替えながらカラカラと笑った。
「嘘、嘘。まあ彼女の事だから一発で何とかするでしょう。それじゃあ、小型艇に特殊部隊の訓練経験がある人達を集めておいてね」
「艦長も行かれるんですか?」
「もちろん。こんな面白そうな事、存分に楽しまなくっちゃ」

 老朽艦に直撃したASMは、その場に激しい時間風と空間ノイズをまき散らした。眼前で起こる嵐のような歪みに、新手の船は正確な情報を得られず大混乱に陥っていた。そして彼らは、ジャミング下におけるそのあまりに精密な射撃を政府の援軍によるものと判断し、大破したらしい獲物を捨ててあっという間に遁走してしまった。
「まっこと情けない!」
 損壊一歩手前の老朽艦の舵を握りながら、郁は鼻息荒く憤慨した。爆発で床に放り出され目を回している男達を尻目に、彼女は残燃料を正しく把握した数秒の全速運転により、華麗に現場を離脱したのだった。
「リスクも背負わんと、楽して稼ごうしゆうからじゃ! こんごくどうが!」
 頭を押さえ立ち上がる彼らに対し、郁がこうして怒った際の妙な方言を隠そうともしないのは、隙を見て手持ち材料から完成させた原始的な銃をその手に持っているから、というだけではなかった。彼女はミサイル直撃というこのとんでもない作戦のあらましをすぐさま本能的に理解し、そんな事を平然とやってのけるたった一人の人物をある意味で信頼していた訳である。
「あら、やっぱり無事だったのね」
 戦闘員を引き連れて現れたその不遜な少女に、郁は近くの男を一人殴り倒しながら、鈴の鳴るような声で答えた。
「なんちゃじゃないぜよ!」
 見た目に反して屈強なその賊共を制圧するのに、先陣切って暴れ回ったのは、どの男隊員でもなくこの二人だった。綾鷹郁と鍵谷智子は、どこかフラストレーションを晴らすように、可憐な四肢を振り乱し、バリバリと敵をなぎ倒していった。