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<東京怪談ノベル(シングル)>


束の間の休息

白鳥・瑞科はソファにもたれて、ゆったりと読書を楽しんでいた。厳しい任務続きで、読みたい本も満足に読むことができない毎日が続いていたが、今日は彼女の貴重な休日なのだ。戦いを忘れ、好きなだけ自由に過ごしてもよい特別な一日である。どれほど忙しくとも体が参ってしまうことはないが、心の疲れは隠せない。悪の犠牲となって苦しむ人々を見るたび、瑞科の心は傷つき、少しずつ消耗していく。敵を叩き潰すことはたやすくとも、人の心の傷を癒してやることはできないという苦しみ。それは瑞科の本質である慈愛の心が生む苦悩であり、どれほど彼女の戦闘能力が優れていてもなくすことのできない弱点でもあった。『教会』最強の戦力の精神的な安定を保つため、瑞科には定期的に休暇が与えられていた。
瑞科はこの日一日をかけて、音楽を聴いたり、お気に入りの本に目を通したりして、思い切り静かな休日を楽しんだ。いつもの修道女服や戦闘用ドレスではなく、ゆったりとしたワンピース型の部屋着を身につけている。
部屋は柔らかな間接照明の明かりに包まれている。瑞科は膝の上に乗せた本に目を落とし、夢中で物語を読み進めていた。長い髪が肩にかかり、ふっくらと盛り上がった女性らしいバストラインをなぞって流れ落ちる。可憐な美しい横顔はまるで一枚の絵画のようだ。彼女はそうしているだけで十分に魅力的で、それ以上のメイクアップやアクセサリーを一切必要としていなかった。澄んだ青い瞳と、柔らかに肩から背中に流れるつやのある栗色の髪、そして一片の非も見出せない見事なプロポーション。さりげなく部屋着を纏っているだけの瑞科は、それだけで完成された女性としての美しさを見せていた。瑞科があまり身を飾らないのは、今以上に女をアピールするものを付け加える必要がないからなのかもしれない。とはいえ、彼女の暮らしが質素で地味というわけではない。白い壁とベージュの絨毯、同色の無地のカーテン。確かに女の子らしい部屋とは言い難いが、傍らに置かれたサイドテーブルは、マホガニーの無垢木から作られた贅沢な品だ。製造から軽く100年を越える、古い、しかしとても大切にされてきたものであることがわかる。テーブルに載せられたティーセットも上品で趣味がよい。家具はそう多く設えられているわけではないが、本格的なアンティークで統一されていた。自分を華美に飾り立てることはしなかったが、食器や調度など、プライベートを充実したものにしてくれるアイテムには、瑞科は出費を惜しまなかった。
「ふう。そろそろお風呂に入らなければなりませんわね」
ぱたんと本を閉じて、立ち上がる。照明の光がグラマラスなシルエットを薄い部屋着越しに浮かび上がらせる。古風な装飾の施されたチェストをそっと開けると、瑞科が大切にしている、もう一つの秘密の贅沢品が現れた。
「今日はどれがいいかしら。ふふっ」
小引き出しの一つ一つに、可愛らしく整頓されて並ぶ下着。シルクにサテン、素朴なコットンと素材はさまざまだ。微笑ましい少女趣味を感じさせるものから、同じ女性でも思わずどきりとしてしまうような、なかなかセクシーな下着まである。美しい下着を集めるのは、誰も知らない瑞科の隠された趣味であった。特に繊細なヨーロピアンレースで飾られた下着には目がない。自由に、大胆に。誰に遠慮することもなく、たった一人で楽しめるこの趣味に、瑞科はひそかに支えられていた。少女のようにくすくすと笑いながら、今日の『お供』を選ぶ。
少し迷った後、大人っぽい黒の総レースのセットを手に取り、瑞科はバスルームへと向かった。するりと部屋着を脱ぎ捨て、脱衣籠に白いシルクの下着を落とすと、匂い立つような色香を発する身体が露わとなった。ふんわりとした長い茶の髪と、みずみずしい肌色とのコントラストが美しい。下着を外しても豊かな胸のラインが崩れることはなく、何もかもが完璧だった。花の香りのバスオイルを一滴熱い湯にたらすと、香りがたちまち暖められたバスルーム中に広がる。まろやかなラインを描く、女神像のような後ろ姿を残し、瑞科はくつろぎの一夜を締めくくる最後のイベント場――バスルームへと入っていった。

次の日、瑞科が向かったのは『教会』の訓練室であった。正式にはこの日も休日であったのだが、開発部からのとある『お願い』を受けて、瑞科はあくまで私用という名目でやって来た。『お願い』の内容は、瑞科にとっても大いに楽しみとなるものであった。
「瑞科ちゃん、今日はありがとう。お休みなのにゴメンね」
そう言って嬉しそうに笑う小柄な女性は、瑞科が全幅の信頼を置く開発部の主任だ。年齢は瑞科よりだいぶ上だが、いつまでも少女のような可愛げを保っている。平均より低めの身長はその理由の一つだが、いたずらっ子のように笑う仕草、フランクな口調に加えて、何より開発主任を務めるに至ったまでの、飽くなき好奇心、探究心が彼女を若々しく保っていた。まるで妹のように瑞科をちゃん付けで呼ぶ主任は、目下その瑞科専用の新しい戦闘用ドレスの開発に腐心していた。その主任がどうしても完成前にテストしたいことがあるので頼む、とせがんだとあっては、瑞科はその求めに応えずにはいられなかった。
「とんでもない。自分のためでもありますもの。主任にはいつも感謝していますわ」
瑞科は心からの感謝の言葉を伝える。
「ありがと。早速着てみて? これなんだけど」
そういうと開発主任は、そそくさとスーツケースから装備一式を取り出した。瑞科のためだけに開発中の、最新型の戦闘装備だ。今までと同じく、なじみのシスター服をベースとしたデザインのように見える。受け取って違いに気づき、瑞科は驚きの声を上げた。
「まあ……なんて軽さ」
黒いドレスは絹のように軽く、独特の光沢がある。だが絹地とは違う、しっかりした芯のようなものを同時に感じた。
「軽いけど、三つの素材を張り合わせていてすごく強いのよ。引っ張ってみて?」
思い切って、ぴんと生地が張り詰めるほど引っ張ってみる。柔らかそうに見える布地は、引っ張られると予想外の強靭さを見せた。
「今迷ってるの。前のドレスみたいに防弾性を維持すべきか、防刃機能だけに絞ろうか。瑞科ちゃんは身軽だし、敵の銃弾を受けたこともないけど……」
主任は言いよどむ。開発陣は万が一の可能性を無視することは決してできない。あらゆる任務を無傷で成し遂げてきた『教会の守護天使』が、血を流す可能性を考えておかなければならないからだ。瑞科には、これからも敵に指一本触れさせることのない自信があった。だが、彼女の自信と開発チームの姿勢が同じであってはいけない。瑞科の力を信頼しているからこそ、開発者たちは彼女を守るために全力を尽くすのだ。
「防刃重視でお願いします。防弾はコルセットにつけていただければありがたいですわ」
瑞科の言葉に、主任の顔がぱっと明るくなる。
「それがいいね! 私もそう思ってはいたの」
「ええ。この素材の軽さ、本当に素敵ですわね」
「でしょう!? 光沢もちょっと高級って感じで、瑞科ちゃんに似合うと思って」
主任は瑞科の隣に立って、いかにも待ちきれないといった様子で、早く試着して見せてくれとせがむ。まるで子供のような態度に苦笑しながら、瑞科は訓練室隅に用意された衝立の裏で、手早く着替えを始めた。

「瑞科ちゃん、まーだー?」
衝立の向こうから、頻繁に声がかかる。本当にこの人は無邪気で愛らしい。せっかちな態度さえ憎めない主任に瑞科も思わず笑いながら答える。
「背中のファスナーを留めたらドレスは完了ですわ」
「あ、私閉めるよ! 手伝う!」
瑞科が答える前に、主任は着替え中の瑞科の元に駆け込んできた。
「まあ、主任ったら。待ちきれませんのね?」
「そうよー。乱入乱入。はい、背中向けて」
まるで姉妹のように笑い、じゃれあうように試着を進めていく二人。瑞科は自分を特別扱いすることのないこの女性主任が好きだった。まるで姉に世話を焼かれているような気持ちになるが、それも悪くない。
「あらら。瑞科ちゃんのナイスバディを甘く見てたわ」
ワンピースを身に着けた瑞科の腕を上げさせたり、体をひねらせたりしながら、主任は無念といった風にぼやく。素材が変わったせいで、強度は上がったが、伸縮性はやや落ちている。そのおかげで、今までの寸法では微妙に窮屈になってしまったようだった。
「前身頃の接ぎ方を変えようかな。うーん……」
額に指を当て、主任は難しそうな顔をする。
「次までにぴったりに合わせるからね。素材はこれでOKってことで、デザインの希望があれば教えてね」
瑞科は、主任の真摯な姿勢に答えるべく、真剣に新素材のドレスをつけた自分の姿を鏡に映し、確かめた。基本的には黒いシスター衣装風のドレスという従来のコンセプトを踏襲したデザインだ。素早く動き回る瑞科の戦闘スタイルを生かすため、ロングスカートの左右には、太腿の上部まで深く切れ込んだスリットが入っている。脚を広げても邪魔にならず、太腿のベルトから装備をすぐに取り出せるような作りだ。素材のせいか以前より光沢が強く、光が強く当たるところは銀色めいて見える。上半身はぴったりと首から腕、胸までを覆う作りだ。ふっくらとした胸の曲線が浮かび上がって刺激的な眺めだが、任務の時にはこの上からシスターの白いケープをつけるので、少しだけボディラインのアピールは弱まる、はずだ。
「ケープのデザインどうしようか? 無地だとさみしくないかな」
フィッティングについてのメモを取りながら、主任が問いかける。
「修道女のケープですから、あのままで問題ありませんわ」
「補強も兼ねて、裏に白のレースを貼るのはどう? 少しでも気分よく戦って欲しいから、何でも言って」
主任の心遣いが嬉しく、つい笑みがこぼれる。

次に、瑞科は完全武装の姿で訓練場に立った。コルセットにグローブ、ブーツまで、全てを身に着けた状態である。ドレスが仕上がったら、他のパーツも新型にあわせて誂えてもらえると聞き、真剣な顔つきの裏で、瑞科の心は乙女らしい喜びに踊っていた。
「じゃあ実際に動いてもらうね。はいっ!」
主任のかけ声と同時に、無数の小さな弾がピッチングマシーンに似た機材から吐き出される。ただのプラスチック弾だが、瑞科を狙う銃弾という設定だ。瑞科は重力を振り切って飛び上がり、壁を蹴って回転する。一瞬遅れてスリットで分けられたスカートが、瑞科のすらりとした両足の描く弧を追う。剣を振る動きに合わせてドレスの上半身部分が伸縮し、バストラインを大胆に浮き上がらせる。背後の壁に美しいシルエットに映しながら、瑞科は演舞のように華麗な回避行動を取り続けた。
「やっぱり上は見直さないとね。内側にパワーネットを貼ろう。うん、そうしよう」
主任は瑞科の動きを捉えたカメラの映像を横目に、ぶつぶつと自分の考えを口にし、まとめ上げようとしている。こういう時の彼女は真剣そのものだ。絶え間なく吐き出される弾をひらりひらりと交わしながら、瑞科は小さくつぶやいた。
「いつもありがとうございます。主任」
「えっ、何? いつもあしがさむい?」
「もう、主任! 違いますわよ!」
「スリット縫っちゃう?」
「まあ! 結構です!」
最前線で戦う者と、その戦いを陰から支える者。秩序のために共に戦う二人の女たちは、今重すぎる使命を忘れ、心から笑い合っていた。