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<東京怪談ノベル(シングル)>


真珠にとらわれて

家々の屋根が遥か下に見える空中に、力強く、風を切る音が響く。音の主は黒髪の少女。小柄な少女の背からは、不釣合いなほど大きな翼が生えていた。不思議なことに、翼は少女の赤いワンピースを突き破ることなく生え出ている。しかし決して幻ではない。全ては彼女の竜族の血が成せる業だった。よく見れば、少女の体には竜の尾も角も備わっている。竜の少女、ファルス・ティレイラは、己の持つ能力を存分に生かして、配達から探し物まで請け負う便利屋を営んでいるのだった。
「こんにちはー! ティレイラのなんでも屋さんです!」
地上に降り立ち、竜の徴が掻き消えると、ごく普通の少女にしか見えない。人間の姿を取ったティレイラは、街外れの屋敷の扉を叩いた。返事がないと知ると、首を傾げて眉をひそめ、さらに強く木製の扉をどすどすと叩き始めた。――ごく普通の少女というには、少々元気に過ぎるかもしれない。
「おー、これはこれは。早いね、待ってたよ」
扉を太鼓のように叩き続けることしばし。やっと戸口に家人が現れ、扉を開く。ティレイラを迎えたのは、彼女と同じぐらいの背格好の少女だった。年齢も同じぐらいだろうか。奇妙な装飾のついた帽子に、ぶかぶかとした長い黒衣を身に着けている。長い茶の髪はぼさぼさで、研究に夢中の若い魔女といった風貌だ。
「さー入って入って。今日はよろしくね」
促されて中に入ると、屋敷は思った以上に広い。長い廊下にも、開いたままの広間にも、所狭しと書籍が詰まれ、呪具が置かれていた。元の色が何かわからなくなった黒ずんだ毛皮、不気味な光を放つひびの入った水晶。傍らの檻には得体の知れない生き物がおり、不愉快な声を上げている。散らかる屋敷をすたすたと行く依頼人の後ろを歩きながら、ティレイラは彼女が見た目よりずっと年上なのだろうと考えていた。若いとは言えども竜族の端くれ。ティレイラは自分に似た、悠久を往く者が持つ特有の何かを、この少女に感じ取っていた。通路の一番奥で少女は立ち止まり、くるりとティレイラに向き直る。
「それじゃー、お願いした通り、今日は片づけを頼むね。とりあえずはこの奥の間を何とかしてくれればいいから」
ずり下がった帽子をかぶり直しながら少女が指差す先には、ちょっとしたカオスが広がっていた。さすがのティレイラも、本の上に本棚が乗っているのを見たのは初めてである。
「ああ、重くはないから大丈夫だよ。全部軽くしてあるから」
「あはは……はぁ、はい」
「そこら辺ので遊びながらでいいから、のんびりやってちょうだいな。あたしは二階にいるからね。たまに見に来るから。お願いね!」
言いたいことだけ言い終えると、少女はさっさと部屋を後にする。後には戸惑い顔のティレイラだけが残された。部屋に目を戻すと、先ほどと変わらぬ散らかり放題の混沌の風景が広がる。
「遊びながらでいいって、言ってたよね」
ティレイラの赤い瞳がきらりと光る。好奇心に満たされた時の目だ。部屋いっぱいの怪しげな道具や書籍に圧倒されるどころか、彼女はこれらを弄びながら存分に仕事ができるという、願ってもない状況に早くも夢中になっていた。
「よーし! 頑張ろっと!」
腕まくりをすると、意気揚々とティレイラは本日の『戦場』に足を踏み入れた。長いスカートが歩みにあわせて翻るさまは、さながら勇者のマントのようである。

依頼人の言葉通り、部屋にある全ての物は驚くほど軽かった。おそらく軽量化の魔法が施されているのだろう。まるで自分が世界一の怪力の持ち主になったようだ。本棚だろうが大きな箱だろうが、思いのままにひょいひょいと持ち上がるのが面白くて、ティレイラはかなりのスピードで片づけをこなしていった。大荷物をどかした後は、丁寧に掃き清め、水を含ませた後堅く絞った布で拭いていく。蜘蛛の巣とほこりで灰色に染まっていた家具が、本来の色を取り戻していく様子は実に気分がよかった。床に散乱したままの本ははたきをかけて、きれいに拭いた本棚に戻していく。呪具は呪具で、まとめて扉のついた棚に移動させた。こうしておけば、必要なものがすぐに取り出せるはずだ。ティレイラは自分の掃除の成果に誇らしさを感じながら、満足げにうなずいた。
「うーん、完璧! もうちょっとで終わるし、少し休んじゃおう」
ティレイラは箒を棚に立てかけると椅子に腰を下ろし、小鳥を模した小さな呪具をいじって遊び始めた。嘴をつつくと、羽ばたくように翼を広げて鳴く。可愛らしい姿をしているこの呪具にも、何か重要な用途が隠されているのだろう。残念ながら小鳥の真の能力はティレイラにはわからなかったが、つついて遊ぶだけなら知らないままでも十分だった。小鳥を棚に戻すと、次に紫の布に包まれた水晶を手に取り、次々と現れる異国の風景に、しばしの間見入った。じきにそれにも飽きてしまったティレイラの目に留まったのは、部屋の隅にある大きな鏡台だった。
「あれ? これ、動かせる?」
磨いている時は気づかなかったが、鏡台には小さな猫のような足がついており、押すとその方向にとことこと歩く仕掛けになっていた。獣の足がついた鏡が愉快でたまらず、ティレイラは何度も向きを変えては鏡を押し、とことこと4本の足が動くのを見て楽しんだ。押しすぎて部屋の中ほどまで進んでしまい、慌ててもとの場所に戻す。戻したところで、ティレイラはにんまりと笑い、鏡の横にある物体に近づいていった。
「最後はこれ。ずーっと、気になってたのよね」
好奇心の塊であるティレイラが、遊びたい気持ちをぐっと抑えてまで、最後のお楽しみに取っておいた物体。それは彼女の背を越えるほど大きな、巨大な二枚貝であった。開いた状態で鎮座していたこの貝だけは、ほとんど汚れのない状態であった。内側の虹色をたたえた光沢が美しい。貝の下部分はふわふわとした大きな一枚のクッションが敷き詰められており、触れるとしっとりとしていて弾力があった。
「大きいしとってもきれい。宝石にも負けないわ」
ティレイラはうっとりと貝の輝きを見つめ、すべすべとした内側を撫で、滑るような感触を楽しんだ。
(「クッションは何かしっとりしてるけど……貝の身を再現してるのかな?」)
「お疲れさまー。わあ! 見違えるようにキレイになってるね。ありがたいよ」
貝を見つめるティレイラの側には、いつの間にか依頼主である魔女の少女が近づいてきていた。にこにこと機嫌よく、鏡の淵に手をついてティレイラを覗き込む。
「あっ、お疲れさまです。ほとんど掃除は終わりましたよ」
「声をかけても返事がないから、来てみたんだけど……わっぷ!」
「ひゃっ!」
体重をかけすぎたのか、鏡は四つの足でまたとことこと歩き出した。支えを失った少女はティレイラにぶつかって倒れる。少女の重みを支えきれず、ティレイラは二枚貝の内側に転げ落ちてしまった。とたんに貝は蓋を閉じ、ばくんと言う音を最後にティレイラの視界は真っ暗になる。
「わ! わー! だして! 出してくださーい!?」
貝の開け方など知るはずがなく、入り口をがりがりと引っかいてみるが、蓋はぴくりとも動かない。外からの音も聞こえなくなってしまった。闇の中、座るには少し窮屈な高さに閉じ込められ、ティレイラは這いつくばって必死に打開策を探した。だが、決定的に事態が悪い方向に向かっていることを彼女はすぐに知ることとなる。自分の体が冷たく湿った、薄膜に覆われ始めているのだ。薄膜は隙間なく体を覆い、自由を奪っていく。気づけば体の下のクッションがまるで生きているように脈打っていた。
「こ……これって……」
宝石や貴石の知識のある彼女は、すぐに思い当たる。この巨大な貝は真珠貝で、しかも、本当に、生きている。ティレイラを異物だと思い込み、真珠層で包みこもうとしているのだ! この後自分がどうなるかは容易に予想できる。今すぐこの戒めを解かなければ、竜人型真珠が出来上がっておしまいだ。無様な姿で白く固まる未来の自分を幻視して、ティレイラは懸命に手足をばたつかせ、もがく。
(「た、助けて! 誰か!」)
だが、どんなにやっても薄膜を破ることができなかった。翼を広げる余裕もなく、炎は生み出そうとする側から膜の湿り気に覆われ潰される。そうしている間にも、真珠貝はもぐもぐとうごめきながら次々と膜を生み出し、さらにぴったりとティレイラを包み込んでいく。次第にティレイラの動きは緩慢になり、ついにほとんど動けなくなった。ティレイラは自分から動くのを、やめた。
(「……ああ、冷たくて気持ちいいー。全身パックみたい……」)
いかなる理由からなのか、真珠の膜に包まれていると、何ともいえないひんやり、しっとりとした心地よさが体中に染み渡る。自由を奪われれば奪われるほど、ティレイラはもっとこのままでいたいと思ってしまうようになった。それは真珠の膜のせいなのか、体を封じられることに慣れすぎてしまっているからなのか。
(「も、もう……いいや……どうにでもなーれ……)」
眠るように、夢見るように、ティレイラの意識は真珠の中に沈み込んでいった。

「あちゃー! 手遅れだったかあ」
依頼人の少女がやっとのことで真珠貝をこじ開けると、そこには真珠像と貸したティレイラが横たわっていた。身を投げ出し、まるでうたた寝をしているかのような姿勢で、目を閉じ、安らかな笑みを浮かべている。自然界には決してありえぬ形の真珠を目にした小さな魔女の顔に、それまでとはまったく違った表情が浮かぶ。大きな目をすうと細め、にやりと笑うその顔は、狡猾さと凄みを感じさせる、まさに魔女らしいものであった。
「ふふふ……お片づけだけじゃなくて、こんなところでも協力してくれるなんて」
硬質化したティレイラの体を抱きしめるようにして貝から取り出す。魔女は同じぐらいの体格のティレイラ像を軽々と運び出し、広げたビロードの上に横たえた。
「これは素晴らしい。いい照りじゃないの」
魔女は淡い虹色をにじませた、真珠色の指先から肩、腕、胸元までを撫でまわし、感嘆のため息を漏らした。艶めく声でささやく魔女は、少女の姿のままであるのに、先ほどとはまったく違って大人びて見える。
「人体をこの貝で封じるとこうなるのか……ふうむ。持ち主である私も知らなかった、勉強になる」
ひとしきり眺め終わると、真珠のティレイラの頭をぽんと叩き、するするとした手触りを味わいながら頬を寄せる。
「お手伝いありがとう、ティレイラさん。お片づけのほかにもう一つ……しばらく研究材料として役に立ってもらおうかな」
返事のできないティレイラの顔を見つめ、くすくすと笑う。
「報酬はおまけしておくから。ね!」
ティレイラは部屋のわずかな光を受けて、淡く輝くことしかできなかった。