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心、解かれる者
「ちょっと!動くんじゃないわよ!」
「キャンッ!」
「何よその声、まるで私が苛めてるみたいじゃない」
「─ギャン!」
「あっ、こら! 泡だらけで逃げるんじゃないの!」
バスルームから話し声が響く。
話し声と言っても、片方はキャンキャン鳴いているだけなのだが……
それは犬ではなく、イアルという名を持つ人間だった。
…半年前までは。
──わたしと一緒に行こう。 いつか人に戻ったら、…仲良くなれると良いわね。
そう言って、イアルを抱き寄せたあの日から、エヴァの傍にはイアルがいた。
イアルは現在は『人』ではない。
以前、イアルは依頼を受けて魔女の退治に挑んだものの、返り討ちにされ、魔女とその館を守る番犬の一匹にされていた。
エヴァに助けられた時には、既に精神まで野生化した状態だった為、簡単にはもとに戻らないようだ。
本日は、そのイアルのお風呂。
実質、半年以上シャワーすら浴びていなかったせいで、綺麗なはずの肌も、美しいはずの金の髪もボロボロ。
それどころか、近くにいると異臭がするレベルだったので、エヴァがイアルのお風呂を決行。
オーナーの解体費用がなく放置されている元高級ホテルを、エヴァは無断で使用中。
表からは閉鎖されている為、簡単には見つからず、そこに電気や水を勝手に使用して快適に暮らしている。
つまり、ここがエヴァの隠れ家。
そしてイアルのお風呂タイムは……
苦戦していたようだが、なんとか終了出来たようだ。
「ちょっと、何してるのよ!」
お風呂が終了して、ようやく一息つけるかと思ったところにエヴァの大声が響く。
先程も言ったが、現在のイアルは『人』ではなく『犬』。
シャワーを浴びて綺麗になった体で、今度はエヴァの部屋を汚し始める。
いわゆる粗相をあちこちに。
エヴァは片手を額にあてて俯き、ハァー…と長い溜息を吐く。
二人の共同生活ではあるのだが、エヴァは本当にペットを飼い始めたかのような状態で苦労しているようだ。
「それを片付けるのは後ね…。 行くわよ」
エヴァのその言葉に反応したのか、ピッと顔を上げて駆け寄っていくイアル。
そしてエヴァは、そのままイアルを一緒に外へと連れ出す。
どこかへ向かうらしい。
エヴァはイアルを出来るだけ連れ歩き、一緒に戦わせていた。
どうやら、戦い続けることで呪いの力を消費させ、呪い自体を解こうと考えているようだ。
そして今日向かう場所は小さな美術館。
恐ろしいほどに精巧に作られた、美少女や美女のブロンズ像が沢山ある美術館のようだ。
***
「誰もいないわね」
エヴァとイアルは中に入り、キョロキョロと周囲を見回した。
自分達以外に人はいないはずなのだが、何故か沢山の人間の気配がする。
「……?」
エヴァはピタリと足を止めた。
進もうとしていた先、真正面に一体、こちらへと手を差し伸べている像が見えたようだ。
「この像、泣いてる…?」
そっと手を伸ばして、その涙に触れようとした瞬間、ガンッ!と地震のような衝撃が一度。
「キャアッ!」
そしてその衝撃の直後、突然エヴァを掬い上げるように、床から二つの透明の物体が現れた。
───ドンッ!
「え?!」
何が起こった、とそう考える暇もなく、エヴァは地面へ倒される衝撃を受けた。
二つのそれらは左右から中央にいる者を捕らえ、カプセルの形を成す。
──そのカプセルの中には、エヴァではなく、イアルがいた…。
そしてそのカプセルの中に、魔法のタールが流し込まれる。
イアルは怯えたような表情で、タールを頭から被った。
…エヴァの身代わりとなって。
「───!!」
その様子を見たエヴァが、イアルのほうを見て何かを言おうと口を開いたが、何故か言葉は出なかった。
「あら、予想外のものが捕れたわね」
不満そうに呟く聞こえる。
エヴァがキッと鋭い瞳で、声の聞こえた方向を見た。
美術館の女館長のようだ。
…つまり、今回の敵。
「──私の友達に、何してくれてるのかしら…?」
エヴァがユラリと立ち上がり、女館長を真っ直ぐに睨んでいる。
「狙ったものとは違うけど、まぁ、これでも綺麗なブロンズ像が作…れ……る…?」
女館長の言葉が、まるで最後に疑問符でもついているかのように揺れ上がる。
不自然な途切れ方をした言葉を最後に、女館長は床へドサリと落ちた。
「………」
黙ったまま、それを冷たく見下ろしているエヴァ。
その指先には血がついていたが、エヴァが何をしたのかは定かではない。
ただ、恐ろしく冷たい瞳が真っ直ぐに相手を見ていた。
イアルをブロンズ像にされ、血液が沸騰したエヴァは、見えない程、気づかない程の速さで、女館長を床へと倒した。
その唇からは一切の言葉もなく、倒れた女館長をもう一度見ることもせず、イアルのカプセルへと向かう。
──ガコン。
鈍い音を立てて、カプセルからイアルが出てくる。
…いや、エヴァによってカプセルから抱え出された。
「私の友達に、なんてことしてくれるのよ……」
重く冷たくなったイアルを抱きしめて、エヴァは一筋の涙を零した。
魔法のタールから元に戻す方法はない。
もしかしたら、どこかにその方法があるのかもしれないが……
少なくとも、今のエヴァにそんな力はないのだ。
「ありがとう、ごめんね……」
そう言って、エヴァはイアルの像の手を握り、唇に口付けを落とした。
──ピシッ…!
「……?」
繋いでいた手から、音が聞こえる。
エヴァがゆっくりと手を離してみると、イアルの指先に亀裂が入っていた。
その指先から、全身に向かって細かく沢山の亀裂が走り……
──パァン!!
ひときわ高い音を立てて、イアルの全身を覆っていたブロンズが粉々に砕け散った。
「う……」
唇から小さな声が漏れ、ゆっくりと瞳が開かれる。
「まさか……」
エヴァが目を見開く。
自分の腕の中にいるイアルは、今、確かに人間に戻っていた。
驚いた顔をしているエヴァの頬へとイアルが手を伸ばす。
そして指先で、イアルの頬の涙を救った。
「何故、泣いているのですか……?」
イアルの唇から言葉が紡がれた。
「ユー!喋れるの?」
自分の涙よりも、ブロンズ像から戻ったことよりも、まずはそこに驚いたようだ。
…先程まで、四つん這いで歩き、キャンキャンと鳴いていたのだから無理もない。
「えっ、は、はい……」
状況がサッパリ飲み込めず、ビクビクしているイアル。
そんなイアルを見て、エヴァは、ハハッ…と小さく笑いを零した。
「ユー、名前は?」
「え?」
「さっき咄嗟に呼ぼうとしたのよ。 でも、貴女の名前を知らなくて何も言えなかったわ」
「そう、なんです、か……?」
「そうよ。 ──もう一度聞くわ。 貴女の名前はなんていうの?」
「イアルです。 イアル…、ミラール。」
「そう。 良い名前ね。」
そう言うと、エヴァはそのままイアルを抱き上げて歩き出した。
おそらく、またあのエヴァの隠れ家へ、一緒に帰るのだろう。
「私は、エヴァ。 エヴァ・ペルマネント。 ──宜しくねイアル。」
fin
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ご依頼ありがとうございました。
今回は続編ということで、前回と関連性を持たせつつ
タイトルを『心、解かれる者』とさせて頂きました。
ようやく言葉が繋がった二人、これから良い友情が芽生えれば良いなと思います。
また機会がありましたら、宜しくお願い致します。
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