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<東京怪談ノベル(シングル)>


【勝利の条件と三日月の夜】


 シスターとはつまり、神に仕えるものである。
 時には祈りを捧げ、時には人に教えを説く。それは、人と神との橋渡し役とも言える。
 信じる者は救われる、という言葉もあるくらいだ。
 だが、だからと言って、信じるだけで全ての人間が救われるのなら、この世界に不幸や悲劇なんてものは、一つもないはずだ。現実は、そうはならないのは、どれだけ清らかで澄み切った心を持っていたとしても、人が生きていくには他に必要なものがある証拠でもある。
 もちろんそれは、白鳥・瑞科も例外ではない。敬虔なシスターたる瑞科であっても、この日本という国で生きていくには、信仰心だけでは生きてはいけない。
 衣食住が必要であり、人は一人では生きていけないという意味では友達や家族のような周りの人間との繋がりが必要であり、何よりも現実的な話としてお金が必要だった。
「さて、もうひと頑張りですわね!」
 瑞科は握り拳を作り、気合いを入れ直す。
「今日も気合い入ってますね、瑞科さん」
「これも仕事ですもの」
 隣の席の女性社員に返事を返し、パソコンに向かう。
 そう、今の瑞科は『教会』の表向き商社で、業務に勤しんでいる真っ最中なのだった。


「白鳥・瑞科君はいるかね?」
 扉の近くからそんな声がしたのは、今日の商社での業務も佳境を迎えていた時だった。
 扉の前に立っていたのは、頭に白髪の混じる、立派な口髭を蓄えたダンディな壮年の男性だった。他ならぬ、この商社の瑞科が所属する部署の部長である。
「はい、なんでしょうか?」
 瑞科は席を立ち、男に返事を返した。それだけで、殺伐とした職場に美しい薔薇が咲いたかのように、瑞科の周辺が華やぐのだから瑞科の美しさというのは計り知れない。
「急を要する用件だ。ついてきてくれるかね」
「はい」
 瑞科が席を離れようとすると、
「任務ですかね?」
 隣の席から、小さな声がかけられた。
「そうみたいですわね」
「頑張ってきて下さい」
 握り拳を作り、女性社員は可愛らしい見送りをしてくれる。
「ありがとうですわ」
 瑞科は彼女に微笑みを返し、席を離れる。
「それでは行こうか」
 男の後ろに従い、部屋を後にしようとしたところで――
 業務を続けていた社員全員が立ち上がり、さながら訓練された軍隊のように、統制された一糸乱れぬ敬礼を瑞科に送った。それは荘厳さすら窺える光景だった。
 瑞科もそれに倣い、敬礼を返し、
「行って参りますわ」
 柔らかな笑顔を残し、部屋を後にしたのだった。



「急な呼び出し、悪かったですね」
「いえ、これもわたくしの仕事ですから」
 瑞科が連れてこられたのは司令室だった。目の前には司令官である神父が椅子に腰掛け、瑞科に背中を向けている。
 瑞科をここまで連れてきた部長は扉のところに立ち、銅像のように瞳を閉じている。その立ち姿は、神父に忠実な執事のようでもある。やはりダンディだ。
「スーツ姿というのも美しいものですね」
 神父は椅子から立ち上がると、瑞科に振り返り開口一番、そんなことを言い、見惚れるほどの爽やかな笑顔を浮かべた。それがまた厭みもいやらしさもないのだから、神父の風格と人徳というやつだろうか。
「ありがとうございますですわ」
 瑞科は素直にお礼を告げる。神父は瑞科が最も信頼を置く人物だ。嬉しくないはずがない。
「今回、瑞科君を呼び立てたのは他でもない。急な任務が入ったんだ。今すぐ現場へ向かってくれるか?」
「もちろんですわ」
「瑞科君は本当に話が早いですね。今回の任務もいつもと変わらないものです。敵の殲滅。瑞科君にはいつも危険な任務ばかりを押しつけて申し訳ないのですけどね」
「いえ、そんなわたくしには勿体ないお言葉ですわ」
「いえいえ、瑞科君には本当に感謝しているのですよ。そして、信頼もしている。すまないがさっそく任務に向かってくれますか」
「はい」
「ご武運を祈っていますよ」
「はい!」


 任務を遂行するに当たって大事なことが三つある。
一つは情報。敵を知ることは基本中の基本。だが、それを疎かにする無能な司令官というものは、この世に掃いて捨てるほどいる事を瑞科は知っている。その点、瑞科の上司である神父は己の命を懸けるに相応しい、心から尊敬し信頼できる人物だと、瑞科は思う。
 二つ目は己を知ること。所謂、孫子曰く、というやつだ。敵を知り己を知れば百戦危うからず。己を知るということは、言葉以上に難しい。己を知るとは、己を見つめるということ。そして、己を認めるということである。
そして、最後に必要なこと。それは着替えである。任務とはつまり、瑞科にとって晴れ舞台に等しい場所だった。晴れ舞台におざなりな恰好で立つのは不本意である。もちろん、戦闘をするに当たって戦闘服を着用するというのは当然のことだが、瑞科にとっての着替えとは、そういった一面も備えているのだった。
 それでつまり、何が言いたいのかというと、今の瑞科は自室で着替えをしながら、神父からの情報を確認しつつ、姿見で自分の姿を確認しているとこだ、ということだ。
今回の任務はとある組織の殲滅。構成員は五人。決して大きな組織とは言えませんが、油断は禁物ですわね。殲滅対象はいわゆる過激派と呼ばれる類の組織。武装していることは間違いなく、教会が殲滅に出るのは今回が初めてだが、別の組織が殲滅に乗り出し返り討ちにあったという情報もあるとのこと。やはり、油断は禁物ですわね。
 そんなことを考えている間に着替えは完了した。瑞科特注の戦闘服。基本の作りはシスター服。一見すると、戦闘服には到底見えないし、動きやすい服とも思えない。だが、一度着てみればそれがただのシスター服でないことは誰にでもわかるだろう。いや、実際に着てみなくても、手に持ってみただけでも分かるかもしれない。
 このシスター服は異常と言っていいほどに軽い。そこらのスポーツウェアなんかよりも遥かにだ。そして、シスター服にはあるまじきことかもしれないが、伸縮性にも富んでいる。あるまじきことに、は言い過ぎだったかもしれないが。
 それに、よく見ればデザインも普通のシスター服とはかなり異なる。最も顕著なのが腰の近くまで入った深いスリットだ。これも動きやすさを考慮してのものだが、見るものからすればそれだけの意味ではとどまらない。なにせ、このシスター服を着るのは瑞科なのだ。それはもしかすると、何よりの武器になりえる。チラリズムとは男を惑わす核兵器に他ならないのだ。
「よし、完璧ですわね」
 瑞科は姿見に映る自分の姿を見て、一つ頷いた。
胸を強調するコルセットに、純白のケープとヴェールをつける。スリットから覗くのは太腿に食い込むニーソックス。太腿には革製のベルトが巻かれており、そこには小ぶりのナイフが納まっている。靴は膝まである編上げのロングブーツだ。
 革製の装飾の在る手首までのグローブの下に二の腕までの白い布製の装飾つきロンググローブをすれば、まさしく完璧だ。
 体調も万全、準備も整った。さあ、任務開始である。


 荒んだ風が吹いた。ざわざわと瑞科の後ろに立つ一本の杉の木が揺れる。空に浮かぶ三日月と相まって、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。
 荒んだ風は純白のケープとヴェールも揺らし、そこから瑞科の顔が覗く。
 どうしてこう、悪いことをする組織というのは荒んだ場所を好むのでしょうか?
 思わずそんなことを思ってしまう。任務の度、こんな場所ばかりだ。後ろ暗い気持ちがあるのだろうか。それなら、悪いことなどしなければいいのに。
 瑞科の瞳に映るのは、教会だった。但し、教会の象徴である十字架は折れ、神聖さどころか、不気味さの漂う廃教会だ。
 あまり長居したい場所ではありませんわね。
 シスターである瑞科にすれば尚のことである。この場所は『教会』を侮辱されているようにも感じる。
 割れた窓に視線を向ける。しかし中の様子は窺えない。建物自体が死んでしまっているかのように、静まりかえっている。
 建物からは何の気配も感じられない。それはこの雰囲気のせいか、それとも本当に誰もいないのか、或いは敵が瑞科ですら感知することができないレベルで気配を隠しているのか。
 瑞科は一瞬だけ瞳を閉じる。自分の鼓動の音すら聞こえそうな静寂の中、瑞科は世界に溶けるような感覚をおぼえる。
 瑞科の体がふらりと横に傾いた。前触れもない瑞科の動きは、立ち眩みしたかのようでもあった。しかし、そうでないことがすぐに分かる。
 瑞科の背後に立つ杉の木に、銃痕が穿たれていた。サイレンサーによる狙撃だ。
 敵は確かに教会の中にいる。
 今の瑞科にははっきりと感じることができていた。情報通り。敵の数は五。
 さあ、狩りの時間ですわ。うっすらと瑞科の口元が、三日月をかたどった。