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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔女から聖女へ


 世の中に出回ってしまった商品を1つ残らず回収するのは、不可能である。
 少なくとも自分には無理だ、とセレシュ・ウィーラーは思う。
 何故ならば、商品の購入者1人1人に金を払わなければならないからだ。鍼灸院にしても魔具関係の仕事にしても、それほど儲かっているわけではない。
「アホらし……何でうちが、あんたの代わりに金払わなあかんねん」
 呪いの装身具を大量に売りさばいた張本人に、セレシュは文句を言った。
 言われた相手は何も言い返さず、勝ち誇った表情のまま、静かに石化している。
 石像と化した魔女。
 とりあえず公園から工房へと運んで来たは良いが、それからが問題であった。
 石像など砕いてしまえば良い、というものでもないのだ。
 大勢の女性たちに買われてしまった呪いのネックレスを、回収するのは不可能。すなわち生命力を吸収して魔女へと送り込む経路は、これからも生き続ける事になる。
 石像を砕いたとして万が一、自己修復のような魔力が働いたとしたら。その魔力の根源として、女性たちの生命力が消費されてしまいかねない。
 ネックレスの魔力が完全に失われるまで、この石像を魔法的に隔離しておく。それは不可能ではないが、セレシュがずっと隔離魔法を使い続けていなければならない。その間、他に何も出来なくなる。当然、鍼灸院も魔具鑑定も休業である。休業は即、廃業・失業に繋がる。
 工房内に、いくつもの人魂が現れた。
 外見美に対する妄執をたっぷり含んだ、女性たちの生命力。
 それらが多方向から石像に激突し、跳ね返りつつ、未練がましく飛び回る。
「ああもう、人ん家にまで入って来たらあかんやろが……」
 魔法の捕虫網を振り回しながら、セレシュは途方に暮れた。
 このままでは冗談抜きで、石像が付喪神に変わってしまう。外見が美しいだけの、性悪な付喪神か精霊が誕生してしまう。
 おかしい、とセレシュは思った。戦いに勝ったのは、自分であるはずなのだ。
 勝者である自分が、しかし先程から、何やら翻弄されてはいないか。敗者である、この石像の魔女に。
 勝ち誇った笑みを浮かべる、石の美少女。
 その不愉快極まる笑顔が、捕虫網を持って右往左往するセレシュを、じっと見下ろしている。
「おんどれ……首もいだろか、ほんま」
 眼鏡越しに、セレシュは睨み返した。
 せめて1発殴ってやろうかとも思ったが、手が痛くなるだけなので、やめておいた。


 黴臭い埃が、大量に舞い上がった。
 数十年、下手をすると百年近く開いていない本である。
「うっぷ……まさか、こないなもん引っ張り出す事になるなんて」
 鼻と口を押さえながら、セレシュは頁をめくり、古代語の文字列を目で追った。
 とりあえず現時点で出来る事と言えば、生まれるかも知れない付喪神や精霊が、せめて真っ当なものとなるよう手を加える事くらいである。
 目的の古代語呪文を発見し、それを頭に叩き込んでから、セレシュは書庫を出て工房へと戻った。
 石像には、白い服を着せてある。
 ベルニーニの天使像に似た感じの、布を身体に巻き付けたような衣装である。肩や胸元、それに太股などは、やや扇情的に露出している。
 セレシュは、少しだけ眼鏡をずらした。
 天使のような白い衣服が、灰色の石の衣に変わった。
「ちっとはマシな芸術作品に作り変えたる。感謝しいや」
 天使の衣をまとった魔女の石像に向かって、セレシュは軽く片手を掲げた。
 そして、先程の古代語呪文を呟く。
 石像が、ゆっくりと動いた。
 ゴーレム化の魔法呪文である。と言っても、あまり本格的なものではない。石像を一時的に動けるようにして、ポーズを変えさせる。その程度のものである。
「左手もうちょい上げて、首傾けて……胸の谷間、強調してみよか。そうそう、そんな感じや。あーこら、脚は開かんでええ。尻も振らんでええっちゅうに。強調するのは胸だけや」
 セレシュの指示通り、石像が姿勢を変えてゆく。
 勝ち誇ったような不愉快な笑みは、慈愛に満ちた天使の微笑に変わっていた。
 石でありながら柔らかさを感じさせる肢体には、同じく柔らかなまま石化した衣装が巻き付いている。
 全てを抱擁する感じに広げられた、左右の細腕。その間では、ふっくらと瑞々しい胸の膨らみが2つ、天使の衣装によって締め付けられ、深く柔らかな谷間が生じている。
 衣装の裾は大きく割れて、形良い太股が若干あられもなく、こちらに向かって踏み出していた。
「ま……こんな感じやね」
 息をついてから、セレシュはもう1つ呪文を呟いた。
 青白い光が1つ出現し、漂い、石像の中へと入り込んで消えた。
 制御のための、人工精霊である。何か不測の事態が起こったとしても、これで石像の凶悪化や暴走を防ぐ事が出来る。
「……問題は、こいつらやな」
 聖女に生まれ変わった魔女の石像。その周囲を、いくつもの人魂が未練がましく飛び回っている。
 この石像は、とりあえず鍼灸院の待合室にでも飾っておくしかない。
 大勢の人間に見せて、美しいと思ってもらう。
 その思いが、女の妄執そのものの生命力による悪影響を、少しでも和らげてくれる……事を期待するしかない。
「魔女よりも、あんたらの方が難儀やなあ……ほんま」
 ぼやきながらセレシュは、魔法の捕虫網を振り回した。