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<東京怪談ノベル(シングル)>


深夜の招き猫


 待合室に飾った石像は、なかなか好評ではあった。美術品としては評価された。
 とは言え、それで爆発的に客が増えたというわけではない。
「魔女が福の神には、なれへんわなぁ」
 石像に語りかけつつセレシュ・ウィーラーは、ごしごしと雑巾を使い続けた。
 しなやかな裸身に天使の装束を巻き付けた、石の美少女。
 生きた人間なら自分で風呂に入れるが、石像である。セレシュが、こうして水拭きをしてやらなければならない。
「けど招き猫くらいには、なれるんちゃうか。今度、猫系のコスプレさせたろかー?」
 しっかりお客さん招いたってや……そう思いかけて、セレシュは首を横に振った。
「……あかんあかん。こないな思いで世話しとったら、がめつい付喪神になってまうがな」
 世話をする、という意識で、セレシュは石像の全身を雑巾で擦り続けた。
 大切にされた物には、善き魂が宿る。悪い扱いを受けた物には、悪しき魂が宿る。付喪神とは、そういうものだ。
「とにかくや。人様に迷惑かけるような化け物にだけは、なったらあかんで……ほれ、腕上げや」
 言われた通り、石像がひょいと片腕を上げた。
 普通の石像と違い、衣服と肌の間など、拭きにくい隙間部分が多い。だから石像自身に、こうして協力してもらわなければならない時もある。
 そのために簡易ゴーレム化の魔法をかけ、なおかつ人工精霊を宿してある。
 セレシュの命令通り、ほんの少しポーズを変える程度の事は、この石像にも出来る。が、自力で風呂に入るような事までは出来ない。
「介護でもしとるみたいやなあ……」
 丁寧に雑巾を使いながら、セレシュは呟いた。
 動けない人間に鍼を打って、動けるようにしてやった事はある。
 動けない人間の介護のような仕事は、した事がなかった。


 セレシュが夜中におかしな物音を聞くようになったのは、それから数年後の事である。
 自分以外には誰もいないはずの鍼灸院内を、何者かが歩き回っている。あるいは這いずり回っている。
 泥棒にしては、屋内を物色している様子がない。
 セレシュは嫌な予感がした。
「まさか……まさかやで。早過ぎやろ、付喪神って100年くらいはかかるねんで……」
 呟きながら、待合室を覗いてみる。
 嫌な予感が的中していた。
 台座の上に、石像がない。
 床に転がっていた。
 否、転がっているのではない。四つん這いの姿勢である。
 美少女の石像が、まるで生き物のように滑らかな動きで、四足獣の真似をしていた。
 石の肢体を柔らかくくねらせながら両手両足で歩行し、セレシュの足元に寄って来る。
 犬、いや猫の動きだった。
 呆然と固まっているセレシュを見上げながら、石の少女は前足、いや右手を動かした。可愛らしい握り拳を、手招きの形に上下させる。
「……招き猫になってくれるんかあ。ええ子やなあ」
 頭痛を覚えながらも、セレシュはとりあえず誉めてやった。
 人魂が、飛んで来た。
 驚いた事に、呪いのネックレスがまだ魔力を保っているらしい。あれを持っていて、美しくなれると信じながら妄執を燃やしている女性が、まだ何人もいるという事だ。
 そんな妄執そのものの生命力が、いくつもの人魂となって宙を漂い、石像にまとわりついている。
 複数の人魂を周囲に漂わせながら、招き猫の仕種を見せている石の美少女。その様は、まさに化け猫である。
「あかんわ、怪談になってもうた……」
 石像が化け猫になって徘徊する鍼灸院。宣伝にはなるか、とセレシュは思わなくもなかった。
「売り上げに繋がるかどうかは微妙やしな……ええか。夜中に動き回るのは構へんけど、お客さんいる時は、じっとしとかなあかんで」
 招き猫になったまま、石像が頷いた。
 言葉は話せない。が、話せるようになるのも時間の問題ではないかとセレシュは思った。


 数年が経った。
 ウィーラー鍼灸院の待合室に飾られていた石像が、いつの間にか撤去されていた。
 その代わり、というわけでもなかろうが、院長セレシュ・ウィーラーが最近、助手を1人雇ったらしい。
 まるで天使のような美少女であるという。
 彼女目当ての客も来るようになり、ウィーラー鍼灸院の経営状況は少しだけ好転した。


「招き猫の役目……きっちり果たしてくれとるワケやなあ」
 オクラとメカブの和え物を箸でぐっちゅぐっちゅと掻き回しながら、セレシュは呻いた。
「……けどなあ。少し前までは、うち目当てのお客かて、ぎょうさん来とったんやでええ」
「何をぶつぶつと過去の栄光に浸っておられますの? お母様」
 外見はあの魔女と変わらぬ美少女が、涼やかな美声を発した。
 鍼灸院の助手なので、とりあえず白衣を着せてみた。ロングコートのように全身を覆う、色気も何もない白衣である。
 ミニスカのナース服でも着せてみたら、もっと客入りが良くなるだろうか。そんな事をセレシュは思わなくもなかった。
「いつまでも掻き回していないで、さっさと朝ご飯を食べてしまって下さいな。片付きませんわ、お母様」
「お母様はやめえっちゅうに。何かボケ始めた姑みたいやんけ」
 ぐちゃぐちゃに混ざり合ったオクラとメカブを、セレシュは一気にガツガツとかき込んだ。
 他には、塩鮭の焼き物と煮干ダシの味噌汁、白米の飯にキュウリの糠漬け。
 この助手に朝食を作らせてみたのだが、まあ申し分のない出来ではある。
 助手と言うよりは家政婦のような仕事を、セレシュはこの少女にやらせていた。
 いずれ鍼灸や魔具関係の技術も教え込んでみようか、とセレシュは思ってはいる。
 点けっぱなしのテレビの中で、女子アナが華やいだ声を出した。
 海外のファッションショーの様子が、映し出されている。
 少女が、じっと見入った。そして言った。
「私も、こういう服を着てみたいですわ。こんな野暮ったい白衣ではなくて……ねえ、お姉様?」
「お姉様……まあ、ええわ」
 お母様よりましだ、とセレシュは思うしかなかった。
「お姉様だって、お召し物にもっとお金をかければ良いと思いますわ。実年齢はともかく、外見は若くてお綺麗なのですから」
「……いらん事言いになりよったなあ。うちのせいかなあ」
 苦笑しつつセレシュは、塩鮭も白米も糠漬けも、味噌汁で一気に胃の中へと流し込んだ。
 少し、のんびりとし過ぎた。そろそろ開店時刻である。
「はい、ごちそう様でした……っと。後片付けはうちがやっとくさかい、開店作業の方頼むわ」
「わかりましたわ、お姉様」
 鍼灸院である。出来れば、先生と呼んで欲しいところであった。