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<東京怪談ノベル(シングル)>


運命の旅路


 命以外のものを全て失った少年が、ベッドに横たわっている。
 フェイトが助けてやれなかった少年。
 ……否。助けてやれなかった、などという消極的な言い方をするべきではない。フェイトは、そう思う。
 この少年の精神を粉砕してしまったのは、自分なのだから。
 あの戦いの最中、少年は叫んだ。
 お前だって僕と同じだ、化け物を心の中で飼っているんだ、と。
「……今になって、響いてきてるよ。あの言葉」
 物言わぬ少年に、フェイトは語りかけていた。
 フェイト。運命。それを受け入れ、戦ってゆく。そんな意味を、エージェントネームに込めてみた。
「格好付けてた……だけだよな、俺」
 今は、そう思う。
 運命を受け入れる。それがどれほど過酷な事なのか、あの時は全くわかっていなかった。
 何の覚悟も決めずに、フェイトなどという大層な名前を申請してしまったのだ。
 長期休暇をもらった。命じられた、と言っても良い。
 仕事上のミスが、目立つようになってきたからだ。
 自分を見つめ直して来い。
 戦闘実技練成場でフェイトを投げ飛ばしながら、教官は言った。
 自分を見つめるってのは、嫌なもんだ。見たくもねえ、一生隠しときてぇもんばっかり見えやがる。けど、そいつとは一生付き合ってかなきゃならねえ。出来の悪い相棒みてえなもんだ。無理矢理にでも何かいいとこ見つけて、受け入れてやれ。それが出来りゃ、運命を受け入れるなんて楽なもんだ。
 そう言いながら教官は、フェイトを何度も床に叩き付け、締め上げた。
 自分を見つめ直せ。
 そう言われてフェイトが真っ先に思いついた場所が、この病院だった。
 自分が生ける屍に変えてしまった少年。どこかで何か1つ間違っていたら、今頃の工藤勇太であったかも知れない少年。
 ほぼ脳死にも等しい状態で眠り続ける少年に、フェイトは言葉をかけた。
「……気楽なもんだよな、あんた」
 何も考えず、眠っていられる。
 今の自分よりも遥かにましだ、とフェイトは思った。


 病院の駐車場に停めてあった車が、盗まれていた。
 被害届を出すのも面倒なので、フェイトは歩いた。車があったところで、どこか行きたい場所があるわけでもない。
 気楽に入院している人間が、もう1人いる。
 ぼんやりと道を歩きながら、フェイトはふと、そんな事を思い出した。
「母さん……」
 あの少年のように、植物人間になっているわけではない。ただ心が壊れているという点においては、フェイトの母も同様であった。
 今は、日本のとある精神病院で暮らしている。
 入院費用は、フェイトがずっと負担していた。あの頃から、ずっとだ。
「よう」
 声をかけられた。
 車が1台、すぐ近くに停まっていた。運転席から、髭面の白人男性が顔を出している。
「どこ行くんだい、兄ちゃん。乗っけてってやろうか?」
「……行くあてが、あるわけじゃないんですよ」
「ワケありみたいだな……ま、何にしても乗ってけよ。もうすぐ暗くなる、日本人の坊やが無防備で出歩く所じゃねえぜ」
「どうも……」
 深く考える事もなくフェイトは、男に導かれるまま助手席に乗った。
「兄ちゃん、もしかして車盗まれたのかい?」
「ええ、まあ……」
「災難だったなあ。この国は、日本と違って無駄に広いからな。車がなきゃ、どこにも行けねえぜ」
 車を走らせながら、男が愛想良く話しかけてくる。
 適当に相槌を打ちながらフェイトは、思い出したくもない記憶を甦らせていた。
 母が、心を病んだ。
 その原因は父である。酒に溺れて暴力を振るう、最低な男だった。
 そんな父が、ある時、馬乗りになって妻を殴っていた。
 母を助けなければ。当時5歳の工藤勇太は、強くそう思った。
 その思いが、全ての始まりだった。
 気が付いたら父が、壊れた人形のように倒れていた。辛うじて生きてはいたが、全身あちこちで骨が折れていたらしい。
 何が起こったのかはともかく、妻に暴力を振るう事など出来なくなったのは事実だった。
 夫の暴力から救われたはずの母は、しかし全く安堵した様子もなく、5歳の息子を呆然と見つめていた。
 化け物を見る目だった。
(親父のせい、じゃない……母さんがああなったのは、単に俺が化け物だったから。だよな)
 フェイトは苦笑した。
 化け物を産み落として平然としていられる女性など、いるわけがないのだ。
 車が、いつの間にか止まっていた。
 運転していた男が、フェイトに拳銃を突き付けている。
「大人しくしな……俺の家まで連れてこうと思ったけどよォ、もう我慢出来ねええ」
 愛想の良かった髭面が、凶悪に歪んでいた。
「こ、ここでヤッちまう事にする……」
「……何を?」
 フェイトは、とりあえず訊いた。
「俺……何をヤられちゃうのかな」
「色付きが! 生意気なクチきいてんじゃねえええ!」
 男が喚いた。いつ引き金が引かれても、おかしくはない。
「俺ぁ特にてめえら黄色い連中が許せなくてよォー。白人の女より綺麗な肌しやがっ」
 言い終えぬうちに、男は吹っ飛んだ。運転席のドアもろとも、車外に吹っ飛んでいた。
 フェイトは何もしていない。ただ念じただけである。あの時のように。
「アメリカってのは最低な国だ……なぁんて思うつもりはないよ」
 フェイトも車の外に出て、男を追い詰めるように立った。
「あんたみたいな奴、日本にだって、いくらでもいるからな」
「ひっ……!」
 髭面の白人男が、ひしゃげたドアと一緒に倒れたまま、立ち上がろうとして立てずにいる。
 立たせてやろう、とフェイトは思った。
 思っただけで、男は立ち上がった。立ち上がった身体がメキッ、ボキッ! と鈍い音を鳴らす。悲鳴が上がった。
「あっぎっ! ぎゃあああああああ」
「懐かしいな。俺の親父も、そんな声出してたよ」
 自分の顔が歪んでゆくのを、フェイトは止められなかった。怒りの形相か、あるいは笑顔か。
「……踊れよ」
 男の身体が痙攣し、跳ねた。その両足が、凄惨な音を立てながら、おかしな方向に曲がった。
 表記不能な悲鳴を発しながら、白人男は倒れ、両腕両脚を壊れた人形の如く路上に投げ出した。まるで、あの時の父親のように。
「……止まらない……俺の、バケモノが……!」
 見下ろしながらフェイトは呻き、そして叫んだ。
「お前の、せいだぞ……お前が! 死んだりするからぁあああああ!」


 辛うじて一命を取り留めた父は、しかしその後、勇太の前にも妻の前にも姿を現さなくなった。
 母はそのまま心を病み続け、日常生活もままならなくなった。
 患者を人間扱いしてくれる精神病院に母を入院させるには、金がかかる。
 だから工藤勇太は、あの研究施設に買われる事となった。
 当時5歳の勇太に、あの男たちは連日、わけのわからぬ薬を投与し続けた。虐待同然の実験も続いた。
 その実験で、満足のゆく結果が出なかったのだろう。男たちは勇太に罵声を浴びせ、暴力を振るった。
 悲鳴を上げる勇太の口に、おぞましいものを突っ込んできた。
 自分が何をされているのかわからぬまま、勇太はただ恐怖を感じていた。
 その恐怖が、弾けた。
 気が付いたら、男たちは倒れていた。と言うより、ぶちまけられていた。全員、原形をとどめていなかった。
 それでいい。研究施設の所長が、言った。
 それで良いのだよ勇太君。やっと、素晴らしい結果を見せてくれたね。君は、やれば出来る子なんだよ……
 何が出来るのかを勇太が理解する前に、研究施設はIO2によって潰された。
 勇太は救出され、今に至る。あの時に目覚めた凶暴なものを、体内に棲まわせたまま。


 教官の言う通り、見たくないものばかりが見えてくる。見たくない夢ばかり見てしまう。
 そう思いながら、フェイトは目を覚ました。
 森の中だった。大木の根元に、フェイトは横たわっている。
 超能力と呼ばれる技能の中でも、特に難度の高いのがテレポートである。感情が昂った時に使用すると、このように見知らぬ場所へと飛ばされてしまう。
 ここはどこなのか。アメリカ国内であるのは、間違いなさそうだが。
 そんな事はどうでも良い、とフェイトは思い直した。どこか行きたい場所があるわけでもない。
「俺……何やってんだろうなあ……」
 フェイトは己を嘲笑おうとしたが、笑えなかった。
 心の中で化け物を飼い、持て余しながら、自分は何をしているのか。どこへ行こうとしているのか。
 IO2に入って、その答えを見つけたつもりだった。が、それは錯覚だった。
 自分は、何も出来ていない。どこへも行けていない。
 あの監獄のような研究施設の中から、自分は1歩も外に出てはいなかったのだ。
「お前が……連れ出してくれたんじゃ、なかったのかよ……」
 失われてしまった面影に、フェイトは呆然と語りかけた。
 応えなど、返って来ない。
 その代わり、足音が聞こえた。木の葉を踏む、微かな足音。
 小さな人影が、フェイトの傍らで立ち止まった。