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死神の時代
日本。第二次世界大戦終結直前の、とある地方都市である。
この街では、やがて大変な事が起こる。
それが起こる前の街の様子が、映し出されていた。
記録映像である。
その中で、数名のTC(航空事象艇乗員)が、何やら忙しげに街の中を調べ回っている。
結果、破けた衣類の切れ端が見つかった。スカート、であろうか。
灯火を掲げた男の姿、のようなものも見えた。
TCたちの背後で、影が蠢いている。
そこで、映像は切れた。
「これだけじゃ、何が何だか……」
綾鷹郁は呟いた。
鍵屋艦隊・旗艦である。現在、脱走者を追跡中であった。
このところ、久遠の都からの脱走者が相次いでいる。どうにか捕縛出来た者もいれば、逃げおおせたまま行方をくらませてしまった者もいる。
その全員に共通する点が、1つある。
今の記録映像に映っていたTCたちである、という事だ。
無許可で発進・離陸して現在、久遠の都上空を突っ切るように逃亡し続ける航空事象艇。その乗員も、やはり記録映像内で調査任務を遂行していたTC2名である。
「B11・542388号艇乗員に告ぐ。これが最終警告です。速やかに停止し、こちらの誘導に従いなさい。繰り返す、B11・542388号艇……」
脱走者を乗せた事象艇が、こちらのオペレーターからの警告を無視しながら飛び続ける。
このままでは、久遠の都の防空システムに引っかかる。そして容赦なく撃墜される。
「……貴女の出番よ、郁さん」
艦長・鍵屋智子が言った。
「爆発を起こさないよう機関部を破壊し、B11・542388号を停止させなさい」
「……簡単に言ってくれるわね。まあ、やるけど」
「クロノサーフ選手権・ウザかわ女子部門5連覇者の実力……見せてもらうわよ」
「モテかわじゃ言うとるき! きさんワザと間違うとるろうが!」
この女を、殺さない程度に破壊する事は出来ないものか、と郁は少しだけ思った。
郁にとっては、個人用事象艇で少しだけ飛び回り、狙いを定めてミサイルを発射するだけの作業だった。
それで機関部の破壊には成功した。
B11・542388号事象艇は大破する事なく、建物や人を押し潰す事もなく、胴体着陸を決めた。
犠牲者など、1人も出なかったはずである。
だが、胴体着陸した事象艇内部には誰もいなかった。
「外にもいない……参ったなぁ」
郁は頭を掻いた。乗員を殺してしまった、などと上層部には判断されてしまうかも知れない。死体が見つかったわけではないのだが。
「隊長、船内にこんなものが」
いなくなった乗員の捜索に当たっていた女兵士の1人が、遺留品の入った袋を持って来た。
ズタズタになった、軍服の切れ端だった。
「あと、おかしな足跡もいくつか発見されました」
「ああ、これね」
船内から外の地面へと続く足跡を、郁はじっと観察した。
人間やダウナーレイスの足跡、ではなかった。強いて言うなら、爬虫類のそれに近い。
「こんなもの残して、どこ行っちまったのかしらね。まったく……」
「ここにいますよ、隊長」
その女兵士が、言いながら震えた。
「皆……ここに、いますから……」
「は? ちょっと貴女……」
わけがわからずにいる郁の眼前で、その女兵士の全身から、軍服がちぎれ飛んだ。
露わになったのは、怪物の姿だった。
直立した人間大のトカゲ、いやカメレオンか。
美しい女兵士が、そんな奇怪な生物に変わりながら、大きく凶暴に口を開く。
長い舌が鞭のように伸び、郁を襲う。
何が起こったのかを考える暇もなく郁は、姿勢を低くして踏み込んだ。鞭のような一撃が、頭上を高速で通過する。
それと同時に、郁は小銃を突き込んだ。銃剣ではなく台尻の部分を、怪物の腹部に叩き込んでいた。
人型カメレオンの身体がズドッ! とへし曲がり、崩れ落ちる。
白目を剥いて気を失った怪物を抱き止めながら、郁は呻いた。
「これって……もしかして、伝染病……?」
「し、しかし病原体反応はありませんが」
呆然と事を見守っていた兵士の1人が、ウイルス感知測定器を片手に言う。
伝染病であるにせよ、ないにせよ、何か悪しきものがこの時代に持ち込まれたのは、どうやら間違いなさそうであった。
では、どこから持ち込まれたのか。
例の記録映像が撮られた場所……すなわち第二次大戦終結直前の、あの街からだ。
郁は映像を、仮想現実空間で再現してみる事にした。自分のTC訓練でも使用されたシミュレーターである。
それの機能によって再現された街の中に今、郁はいる。
あと何日かで、凄惨な事態を迎える事となる地方都市。
そこで何事かを調査しているTCたちの背後で、影が蠢いていた。
郁は周囲を見回した。
8月の日差しが眩しい。が、このような影を落とすような物は見当たらない。
「何なの、これ……うっぐ!?」
郁の全身が、痙攣した。
「そ、そんな……あたしも……? 何で……」
痙攣する全身から、服がちぎれ飛んだ。
「遅かったわ……!」
仮想現実シミュレーターで再現された街の中に、鍵屋智子は息を切らせて駆け込んだ。
綾鷹郁の姿は、どこにもない。
その代わり、街の風景の一部が微妙に歪んでいる。その歪みが、うろうろと移動しているように見える。
そちらに、智子は歪計を向けた。空間の歪みを測定し、その歪みの原因を感知するための機器である。
反応があった。
それと同時に、風景の歪みから何かが高速で伸びた。
長大な、舌である。それが鞭のように智子を襲う。
ビシッ! と衝撃が起こり、その舌が跳ねた。智子の眼前で、目に見えぬ壁にでもぶつかったかのように。
目に見えぬ速度で手刀を振り下ろした何者かが、智子を背後に庇いながら、ゆらりと身構えている。
ほっそりとした、セーラー服姿の美少女。
「助かったわ、玲奈さん」
智子の言葉に、少女……三島玲奈は、無言で頷いた。
舌を弾かれた怪物が、風景の歪みの中から姿を現しつつある。いくらか痛そうに身をよじりながら、保護色を薄れさせてゆく。
人型のカメレオンが、そこに出現していた。少女らしい柔らかな身体の曲線と、いくらか残っている茶色の髪に、綾鷹郁の原形が辛うじてとどまっている。
爬虫類状に異形化した顔面が、牙を剥き、吠えた。もはや怪物の声だった。
「郁さん……貴女を元に戻してあげるには、この子を目覚めさせるしかなかったわ」
呟きつつ智子は、背後から玲奈の肩を軽く叩いた。
「殺さない程度に、お願いね玲奈さん」
「…………了解」
静かに応えつつ、玲奈はセーラー服を脱ぎ捨てた。
いささか凹凸に乏しい細身を包む、白の体操服に濃紺のブルマ。
そんな格好になりながら、玲奈は気合いの声を発した。
「さあ……来い!」
言われるまでもない、といった勢いで怪物が襲いかかって来る。玲奈の方からも、踏み込んで行く。
いかなる激突が起こったのか、智子の動体視力で捕捉する事は出来なかった。
とにかく激突の激しさに土煙が舞い、立体映像が歪んだ。
玲奈の細身が、揺らいでいる。体操着が破け、ブルマがちぎれ、肌が裂ける。
それら全てを飛び散らせながら、光が奔った。
破壊光線。玲奈の胸から、迸っていた。
人型カメレオンが灼かれながら吹っ飛び、悲鳴を上げてのたうち回る。
そこへ、三島玲奈が歩み迫る。今の綾鷹郁どころではない、怪物の正体を露わにしながら。
「無駄よ、郁さん。冷静に戦える時の貴女ならともかく……怪物と化して理性を失っている今の貴女では、この子に勝つ事など出来はしないわ」
保護色をまとって逃げようとする郁を、玲奈が容赦なく取り押さえている。その様を見つめながら、智子は静かに呟いた。
「この暴力二女には、ね」
「ほらほら、ブルマだけじゃなくてアンスコも着けなくっちゃあ」
醜悪な人型カメレオンから可憐なダウナーレイスへと戻った郁が、着付けの指南を強行している。人間の美少女の皮を被り直した、三島玲奈に対してだ。
「スク水とビキニは着た? そうそう、褌を忘れちゃ駄目よん」
「ふ、褌? 何で?」
「海亀様への感謝の気持ちよぉ。海亀様はね、とっても頼りになる神様なんだから」
仲良くなってしまった少女2人の近くで、鍵屋智子は沈思していた。
遺伝子治療によって、郁を元に戻してやる事は出来た。
人間やダウナーレイスを、カメレオンの怪物に変えてしまう病気……否、霊的兵器。それは特定パターンの影を媒介として、宿主の遺伝子を書き換えてしまう。
旧日本軍が行った、このおぞましい発明を調査すべく、有能なTCの一団が、あの時代のあの地方都市へと向かった。そして怪物と化した。
あの街一帯が、この霊的兵器の実験場と化していたのだ。
「旧日本軍……ではないわね。これは間違いなく、あれの副産物」
ちらり、と智子は仲良し少女2人の方を見た。
「……ちょっと、重ね着し過ぎじゃない? ゴテゴテしてすっごい動き辛いんだけど」
「慣れよ慣れ。この服装をね、恐がってくれる敵さんだっているんだから。ふふっ、ようこそ40世紀へ!」
「40世紀? もうそんなになるの? ちょっと眠ってただけのつもりだったけど」
玲奈が戸惑っている。
最凶の生体兵器・暴力二女。
そのルーツとも言うべき、忌まわしきものの名が、智子の記憶の中から浮かび上がって来ていた。
「事象艇型生物兵器……RENA」
対龍戦争末期、妖精王国において建造された、最強最悪の切り札。
その副産物である霊的兵器が、時代を超えて旧日本軍に流れ、あの地方都市に根付いてしまっている。放置しておけば、人型カメレオンのような怪物が、これから際限なく生み出されて来る。
あの地方都市もろとも、焼き払うしかない。
「あの災厄を……私の手で引き起こす事になるのね」
E=mCの2乗……この方程式を、あの時代の米軍に教授する。ただそれだけの事である。
郁と玲奈が、セーラー服を脱がし合ったり、テニスウェアやスクール水着を着せ合ったりして、はしゃいでいる。
米軍への工作をこの2人に命じようとして、智子は思いとどまった。人類最大の罪とも言える、あの忌まわしい災禍に、この少女たちを巻き込んではならない。
死神の役割は、自分が果たす。
そう思い定めながら、智子は呟いた。
「影は、光の中に葬るしかない……という事ね」
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