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すれ違い.2
「私の母は脱走事件で死んだんです。あんなみっともない真似をして……」
将校は下唇を噛み締め、母の死を恥じていた。
郁はそんな彼女を見詰めながら口には出さないものの、胸の中に湧き上がる思いに大きな溜息が漏れる。
戦死はエルフにとって輝ける最期。家族愛よりも名誉あることだ。それを彼女は心底恥じているようだ。
(人間は感情に負けるもんよね……)
郁はポンと将校に肩に手を置くと、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「頑なだな……。エルフにとっての戦死は名誉あることでしょ。少しは親を敬いなさいよ」
諫める郁に、将校は激しく首を横に振った。
「信念を曲げたくない」
そう反論してきた将校に、郁は呆れたように眉根を寄せる。
「信念を曲げたくないですって? 私は昨日まで虫が嫌いだったわ。でもそれじゃ駄目なのよ。時には信念を曲げてまでやらなければならないこともあるわ!」
そうやり返した郁の言葉に、きつく拳を握り締めて俯く将校だった。
*****
旗艦は大騒ぎになっていた。
先ほど三下が見つけたあの細菌。それは船殻を喰らう菌であると言う事が判明した。
「浸食度は妖精艦の法が高いのね……。まずいわ。このまま野放しにしておけば、妖精艦どころか全てが駄目になる……。すぐに妖精艦を探して! 見つけ次第追撃を開始!」
「りょ、了解しました!」
あやこの指示に従い、三下は妖精艦に追撃を開始し始めた。
その頃、妖精艦橋にて腐食が発見され、艦内は大騒ぎになっていた。
「大変です! 艦長! 妖精艦腐食が見られました! 菌です。船殻を喰らう菌が原因のようです!」
連絡を受けた妖精艦艦長は、騒ぎに駆けつけてきた郁を冷たい眼差しで一瞥し、そして追撃するべくやってきた旗艦へと視線を向けた。
旗艦がこの船をレーダー照射している……。
「……それが感染源ね」
ポツリと呟いた艦長は、郁を今一度振り返る。
その眼差しは疑ってかかっている以外の何ものでもないと言う事は、郁にも分かった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私を疑っているんですか? 友軍が菌をこちら側に感染させる動機が全く無いじゃないですか! 何を根拠にそんな……。大体、私はこの艦に乗艦中ですよ!?」
必死で否定する郁を艦長はフンと鼻を鳴らし、鋭い目つきで睨み降ろす。
「もはや理由など不要! この屈辱は返り血で灌ぐ!!」
「……っ!」
どんな言い訳も理由も聞き入れる様子のない艦長に、郁は絶句した。
「こんな、こんなことになるだなんて……」
研究室で三下は涙目になりながら、ややパニック状態に陥りつつ菌に対する対策を調査していた。
そんな彼の傍で一緒に調査していた女子が、慰めている。
「落ち着いて。規律の違いで起きる過ちは必然だわ。それを出来る限り失くす為の交流だもの。是非は上官が決める事よ。今はとにかく、目の前の問題に集中しましょう」
手を止める事無く、しかししっかりとした口調の女子に三下はぐっと歯を食い縛り、滲んだ涙を袖でぐいっと拭い去った。
「そ、そうですね。今はこの問題を何とかするのが先です」
女子と共に目の前にある問題に真摯に取り組んだ。
「旗艦の追撃があります!」
もうもうたる煙を上げて、追撃されている妖精艦では艦長が苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。
「何と言う……。敵対行為は明白ではないか……。ただちに臨戦態勢に入れ!」
そう指示を下した艦長は、背後で蒼白している郁を振り返った。そしてスラリと剣を鞘から抜き去ると郁に突きつける。
喉元に突きつけられた剣に、郁は冷や汗を流しながら艦長を見上げた。
「お前の忠義に問う。妖精か? 艦隊か?」
「そ、それは……」
突然迫られたその選択に、郁は背筋に汗が流れた。
「前者なら旗艦の弱点を言え」
「……っ」
郁の視界が泳いだ。躊躇うように何度も口を開きかけては閉じ、視線を足元に下げる。
「……わ、私は妖精と死ぬ覚悟です。でも……、艦隊は裏切れません」
悩んだ末、ようやく搾り出すように出した郁のその答えに、艦長は剣を降ろし郁の頬を撫でた。
「よろしい」
「……え?」
「簡単に暴露するような卑怯者は殺すつもりだった。お前の答えは合格だ。共闘しよう」
艦長の答えに、郁はほっと胸を撫で下ろした。
「あった!!」
三下は歓喜にも似た声を上げた。
菌に対する処置法を見つけ、それらの資料を手にあやこの元へ駆けつける。
「正確な発見はまだ出来ていませんが処置法を見つけました! すぐに妖精艦への通知をお願いします!!」
「でかしたわ!」
あやこは三下の報告を受け、すぐに目の前のモニターにしがみついた。
「艦長! 応答して! 菌に対する処置法を発見したわ。そちらの艦は腐食が激しい。すぐにこちらの駆除協力を受理してちょうだい!」
その連絡を受けた妖精艦では、艦長が吐き捨てるように呟く。
「罠だ。お前の申し出は断る!」
そう切り替えしてきた妖精艦艦長に、あやこはギリッと歯を食い縛った。
「何が罠よ! このままじゃあなたの艦は沈んでしまうのよ! それでもいいのっ!?」
いきりたちそう怒鳴るあやこに、妖精艦艦長はチラリと郁を見た。その視線を受けた郁はハッとなる。
艦長は私に指揮権を委ねている……と。
「やはり罠だな」
そう呟いた妖精艦艦長に、郁が反論しようと口を開きかける。がそれよりも早く彼女の傍にいた中尉が口を開いた。
「誤解です! 人間は妖精と違い命を粗末にしない!」
中尉の言葉に、艦長は目を見開いた。
「何……? 貴様、買収されたか?」
「そ、そう言うわけでは……」
艦長は郁に視線を戻すと、しばし見詰めそして口を開いた。
「よし綾鷹。……お前が撃て」
「な……」
「出来るだろう?」
「……」
郁はぎゅっと拳を握り締め、就任前にもらった浮きを手に取った。
そして挑むように艦長を見上げる。
「分かりました……。至近距離で撃てば旗艦は沈みます。私は艦長と共に死にます!」
ポケットに収めていた浮きを取り出すと、艦長はギョッとしたように目を見開いた。
まさか自決するつもりなのだろうか。
そう勘違いした艦長は郁の手からその浮きを取り上げる。
「何を考えている! まだ早い!」
声を荒らげた艦長に、郁はぐっと拳を握った。
旗艦内には、突如として緊急信号が発せられた。それを見たあやこは即座にモニターに向かい声を荒らげる。
「緊急信号よ! 事象艇回収!!」
あやこがそう指示した時だった。
「随分と威勢のいい奴だな」
思いもよらない言葉が背後からかかり、あやこが弾かれるようにそちらを振り返るとそこには妖精艦長が立っていた。
「艦長……!? なぜここに……」
いるはずもない人物がここにいる事に驚き、あやこは目を見開いた。
妖精艦長があやこに歩み寄ろうと足を踏み出すと、ふいにモニター越しの郁が声を上げる。
『今この瞬間から、あなたは艦長罷免よ!』
「!?」
「な……っ!?」
突如として罷免通達を受けた要請艦長は驚愕してモニターを見上げ、そしてあやこもまた同様にモニターを見詰める。
『今後の支持は私がするわ。藤田、降伏しなさい!』
「なんですって……!?」
降伏要求を宣言されたあやこは唖然とした表情で郁を見た。
郁は真っ直ぐにあやこを見詰め、そしてその目は何かを訴えているように感じられる。
『降伏要求が呑めないのなら、ブチ殺すよ! 藤田!』
その言葉とは裏腹に、彼女の訴える眼差しを察したあやこは静かに頷いた。
「分かったわ……。あなたの指示に従う」
郁はこちらの意図する無言の訴えを理解してくれたあやこに感謝しつつ、体全体から脱力した。
その後、旗艦の駆除協力を得て妖精艦は無事事なきを得て、艦長が戻ってくる。
郁は艦長の前に歩み寄った。
「綾鷹……貴様……」
「艦長の座を返還します」
そう言った郁に、艦長はカッと目を見開いた。
「アンタ……最低よっ!!」
怒鳴るように声を荒らげた妖精艦長は、拳を振り上げると郁の頬を思い切り殴り飛ばした。
殴られた郁は横倒しに倒れ、痛む頬を押さえて艦長を見上げる。
「出て行けっ!!」
完全に憤激している艦長に、郁はよろよろと立ち上がるとすぐに中尉が傍に駆けつけてきた。
中尉は郁を抱え起こしながらそっと呟く。
「尊敬しますよ……。案外エルフ流を判っていらっしゃる」
「……」
「私はあなたに少しの間でも付き従えられて良かったと思ってますよ」
そう付け加えるように囁いた中尉は、にっこりと微笑みかけてくる。
彼女のその微笑に、郁は泣き出したい気持ちに包まれた。
*****
妖精艦から帰ってきた郁は、あやこの顔を見るなり堪えていた涙が溢れて泣き出してしまった。
「何でこうなるの……? こんなはずじゃなかったのに……」
「あなたは良くやったわ」
「でも……」
「未知が不安を呼び、懸念が確証になる。仕方ないわ……女の子だもの」
背中をさすり、あやこはやんわりと微笑んだ。
「何ていうのかしら。猜疑心の雪だるまって感じかしらね?」
そう付け加えるあやこに、郁は涙目のままクスッと笑い頷いた。
「……あるある!」
「信じあうのは難しいわ。ほんとに」
少しでも元気を取り戻した郁に、あやこはホッと安堵した。
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