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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


翡翠の瞳と蒼玉の瞳


 いくらか霧が出て来たようである。
 濃霧というほどではない。湿気を孕む白い薄闇の中に、生い茂る木々の形が朧げに見て取れる。
 その霧の中に、少女は佇んでいた。
 フェイトの視覚をまず強烈に刺激したのは、瞳の青さである。幻想的なアイスブルーが、薄膜のような霧の中で妖しく輝いている。
 長い黒髪が風に揺れ、ゴシック・ロリータ風の衣装に包まれた細身をサラリと撫でる。
 その黒髪と鮮烈な対象を成す、白い顔。人間ではあり得ない美しさだ、とフェイトは思った。精巧な人形に、命が宿ったかのようである。
 アイスブルーの瞳が、じっとフェイトを見つめた。
(…………読めない……?)
 翡翠の色の瞳で、ぼんやりと眼差しを返しながら、フェイトはそう感じた。
 自分の能力をもってしても、この少女の瞳から、心を読み取る事が出来ない。
(むしろ、俺の方が……読まれてる……?)
「読めないわ……何も、見えない」
 少女が、声を発した。
「暗く、汚く、濁っていて……何も、見えないわ」
「汚く濁ってる、か……そりゃそうだ。俺、バケモノだから」
 フェイトは苦笑した。
「だから、俺なんかには近付かない方がいい……家へ帰りなよ、お嬢さん」
「帰るわ。貴方と一緒に」
 少女が、フェイトの傍らで屈み込んだ。
 アイスブルーの瞳が、翡翠色の瞳を、じっと覗き込んだ。
「暗く、汚らしく、濁ったものが……貴方の魂を、隠してしまっている」
 人形のような美貌に、ほんの少しだけ、表情らしきものが浮かんだ。
「……あたしに見せてよ、貴方の魂を」


 ここがペンシルバニア州、デラウェア川流域に広がる森林地帯である事はわかった。
 アデドラ・ドールと名乗ったこの少女は、その森の奥深くに、1人で小屋を建てて住んでいる。
 女の子が1人暮らしをしている小屋に、アデドラは構わずフェイトを招き入れ、食事を振る舞ってくれた。
 シチューかスープか判然としないものが一皿、粗末なテーブルに置かれている。
 それをフェイトは、スプーンで一口だけ、すすってみた。
 味がしない。もともと味付けがなっていないのか、それとも今の自分では何を食べても味がわからないのか。
「お口に合わなくても、食べておきなさい。生きるために」
「……俺の命なんて、気遣ってくれるのかい?」
 フェイトは訊いてみた。
「見ず知らずのあんたが、どうして?」
「言ったはずよ。あたし、貴方の魂を見てみたいの」
 テーブルの向こう側から、アデドラが眼差しを向けてくる。
 アイスブルーの瞳が、フェイトをじっと観察している。
 観察されるのには慣れている、と思いながらフェイトは言った。
「それなら、俺を殺してみればいいんじゃないかな……」
「今の貴方を殺しても、美味しい魂は獲れないから」
 冗談とも思えぬ口調である。
「知らないの? 死んだ人間の魂なんかより、生きてる人の魂の方が、ずっと綺麗なのよ」
「それは……知らなかったな」
「お願い。綺麗な魂を、あたしに見せてよ」
 この少女が何者なのかは、やはりフェイトにはわからない。アイスブルーの瞳からは、相変わらず何も読み取れない。
 ただ、何となくわかった事が1つだけある。
「あんたも……バケモノを飼ってるんだな、自分の中に」
(俺と同じ……か)
 シチューかスープかわからぬものを、フェイトはもう一口、舌の上に流し込んだ。
 味らしきものが、少しだけ感じられた。


 悲鳴が聞こえた。断末魔の、絶叫だった。
 死にゆく人間たちの、最期の叫びが、おぞましく悲痛に渦巻いている。
(……何だ……これ……)
 フェイトは呻いた。いや、呻いたつもりだが言葉にはならない。
 声は全て悲鳴となって喉の奥から迸り、響き渡る。
 フェイト自身も今、悲痛な絶叫を響かせて死んでゆく人間たちの1人だった。
 断末魔の悲鳴、ではない声も聞こえる。
『いいぞ、これだけの人間の命を使えば……』
『出来る。今度こそ、完成する』
『我らの手で、作り上げる事が出来る……賢者の石を!』
 熱を帯びた、狂人たちの声。
 同じだ、とフェイトは思った。あの研究施設にいた男たちと同じような輩が、ここにもいる。そして今、おぞましい実験を行っている。
 死にゆく人々の叫びが、フェイト1人に集中した。
 死への恐怖、絶望、死にたくないという思い、生きたいという願い……その全てが、あらゆる方向からフェイトに群がり、ぶつかって来る。入り込んでくる。
 フェイトは悲鳴を上げた。


 自分の悲鳴で、フェイトは目を覚ました。
「はあ、はぁ……はあっ……」
 息をつき、寝汗を拭う。
 粗末なベッドの上だった。
 同じようなベッドがもう1つ、いくらか距離を隔てて置かれ、その上ではアデドラがぼんやりと上体を起こしていた。
 窓から降り注ぐ月光の中で、彼女はどこかを見つめている。この小屋の中ではない、この森の中でもない、このアメリカという広い国ですらない、とてつもなく遠いどこかに、アイスブルーの瞳が向けられている。
 フェイトは、とりあえず声をかけてみた。
「ごめん……俺が、起こしちゃったのかな。変な寝言で」
「気にしないで。悲鳴が聞こえるのは、いつもの事だから」
 アデドラが答える。
 悲鳴。それは今フェイトが夢の中で聞いていたものと同じなのか。
 いや、今のはそもそも本当に自分が見ていた夢なのか。
 そう思いつつ、フェイトは訊いてみた。
「……賢者の石って、何?」
「…………」
 アデドラは答えない。
 彼女の傷を抉るような問いであるかも知れないのは、フェイトも承知の上だ。
「あんたの夢を、覗き見するつもりはなかったよ。けど伝わって来ちまったからさ」
「……あたしも別に、隠すつもりはなかったから」
 ここではない、どこか遠くを見つめたまま、アデドラは言った。
「今、貴方の目の前にあるのが、賢者の石よ」
「……俺、IO2ってとこに勤めてるんだけど。平たく言うと、オカルトっぽい事件を専門に扱ってる職場でさ」
 フェイトは、語ってみた。
「黒魔術とか錬金術とか、そういったものに関しては最初に一通りレクチャー受けさせられたよ。で、賢者の石ってのは……錬金術の世界では究極のアイテムなんだって? 屑鉄を金塊に変えてみたり、どんな怪我でも病気でも治したり。あれば不老不死も夢じゃないっていう、あの賢者の石の事? でいいのかな」
「そのレクチャーでは、肝心な事を教えてないみたいね」
 アデドラがようやく、フェイトの方を向いた。
「賢者の石を、どうやって作るのか……っていう」
「……教わってるよ。そういう事件も、過去に何回かあったみたいだしな」
 大勢の人間の命。それが賢者の石の材料であるという。
 本当かどうかはわからない。ただ、錬金術にかぶれた犯罪者が、賢者の石を求めて大量殺人事件を起こした事例もある。IO2のデータファイルに残っている。
「それじゃ、今の夢は……!」
 フェイトは息を呑んだ。
「そういう事、なのか……?」
「賢者の石は完成したわ。あの錬金術師たちが期待していたものとは、ずいぶん違った形でね」
 淡々と、アデドラは語る。
「不老不死をもたらすもの……と言うより賢者の石そのものが、不老不死の化け物なのよ。たくさんの魂を取り込んで、出来上がった怪物……」
 己の胸に、アデドラは小さな片手を当てた。
「みんな、まだ悲鳴を上げてるわ。あたしの中で……ね」
 夢の中で、痛々しくおぞましく渦巻いていた絶叫を、フェイトは思い返した。
 死への恐怖、絶望、死にたくないという思い、生きたいという願い……そんなものに満ちた悲鳴が、アデドラの中では、常に渦巻いているのだ。
(俺は……)
 自分の中には、化け物が棲んでいる。それを抑えられずにいる。
 だから何なのだ、とフェイトは思った。
(俺は、何……自分1人が、地獄を見てるような気になって……!)
 このアデドラという少女が己の内に閉じ込めてしまったものと比べれば、ずっとましではないのか。
 フェイトには、悲鳴は聞こえない。
 だがアデドラは、もはや何をしても助からぬ者たちの悲鳴を、絶望の叫びを、常に聞いているのだ。
「みんなが言うのよね。自分たちばっかり苦しむのは、嫌だって……一緒に苦しむ、仲間が欲しいって」
 アデドラが再び、遠くを見つめた。
 もしかしたら、己の内で悲鳴を上げ続けている者たちを、見つめているのかも知れない。
「だから、あたし今まで、たくさんの魂を狩り獲って食べたわ。最初に狩ってあげたのは、あの錬金術師の人たち。その後も……まあ、死んでも誰も文句言わないような人だけを選んできたつもりよ」
 少女の可憐な唇が、少しだけ歪んだ。微笑んだ、のであろうか。
「でも、そういう人たちの魂って不味いのよね。ドロドロと汚らしく濁った魂は、もうお腹いっぱい……綺麗な魂を、食べてみたいわ」
「……俺、自分の中にバケモノ飼ってて、それで苦しんでるつもりになってたよ」
 フェイトは言った。
「けど、俺のバケモノなんて……あんたに比べりゃ可愛いもんだって気がする」
「褒め言葉だと思っておくわ」
 会話に飽きたかのように、アデドラは寝転んで毛布を被った。
「お休みなさい……また変な夢見たら、遠慮なく悲鳴上げていいわよ」


 長居をするつもりはなかった。ただ、一宿一飯の恩義というものがある。
 それを返す事になるかどうかはわからないが、とにかくフェイトは、森の近くのとある町に出て来ていた。
 食料品等の、買い出しである。
 アデドラ・ドールの料理の腕前は、自分とさほど違わない、とフェイトは見ていた。
「じゃ、まあ俺が何か作っても、不味いとは言われないよな」
 こう見えても自炊派である。一通りのものは作れる、つもりでいる。
 IO2の仲間たちにも、何度か振る舞った事がある。評価は、まあまあだった。
 親日家を自称する教官が1度「ミソシル」を作ってくれた事がある。
 味は悪くなかったが、どう味わってみても「味噌汁」ではなく「かき玉汁」だった。キクラゲが入っていたので、恐らく中華料理と混同している。
「みんな今頃、仕事してるんだろうな……」
 公園のベンチに座ったまま、フェイトは空を見上げた。
 そろそろ、休暇が終わる。
 教官に言われた通り、自分を見つめ直す事が出来ているのかどうかは、わからない。
 ただ、己の中に化け物を抱え込んでいるのが自分1人ではない、という事はわかった。あのアデドラという少女が、教えてくれた。
 買い込んだものを傍らに置いたままフェイトは、ついでに買っておいた新聞を広げた。
 全米を騒がせた、というほどではないが凶悪殺人犯が1人、逮捕されたらしい。
 有色人種ばかりを狙って犯行を繰り返していた白人の男で、両手両足が折れた状態で道端に倒れていたという。化け物に襲われた、などと口走っており、精神鑑定で無罪を勝ち取ろうという魂胆ではないかと思われる。
 そんな記事が、まず目に入った。
 その近くに「LOST CHILD」という欄がある。行方不明中の、子供たちだ。
 多い、とフェイトは思った。嫌な予感もする。
 人間の犯罪者の仕業なら無論、警察の出番なのだが。
「……何やってんだ、俺は」
 フェイトは呻いた。思わず、新聞を握り締めていた。
 子供が大勢、行方不明になっている。
 その子たちは今、どんな恐怖を味わっているのか。親たちは今どんな思いで、我が子のいない日々を過ごしているのか。
 それに比べて、自分は。
「自分の中に、バケモノがいる? そいつを飼い馴らせないから苦しい? だから仕事が出来ない……? お前、何甘ったれてんだよフェイト……!」