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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜ビルの谷間に降り立つ女神は〜

 白鳥瑞科(しらとり・みずか)は、自らのスポーツカーで、颯爽と現場に現れた。
 紺色の細身のスーツ姿は、雑踏の中に建つ古ぼけたビルには少々似つかわしくないが、彼女はまったく気にしていない。
 本来なら彼女は、専用のシスター服で戦うのだが、今回はそのまま直行したためにこの格好のままだった。
 いつもの服は防護服にもなる素材で作られ、彼女の身の安全を確実に保証してくれるものだ。
 しかし今日はちがう。
 普通の布でできている。
 彼女はあまりに自然にトランクから愛用の剣を取り出した。
 そして無造作とも言える仕草でそれを携えると、背筋を伸ばし、凛とした空気を従えて現場への階段を登って行った。
 瑞科には、過去の組織の者たちによる失敗など、気にもかける必要がない。
 今日の勝利は変わらず、彼女自身もまた無傷だろう。
 敵は油断しているのか、部屋の中から下品な笑い声が廊下にまで響いてくる。
 確かに、今回の敵は、教会の手の者をかなり殺めている。
 少しばかり自信過剰になっていたとしても、まあうなずけよう。
 だが、今回の相手はそれらとは別格だということも、感じ取れなかったようだ。
 気配を隠しもせず、堂々と正面から入って来た瑞科に、かろうじて人型をした、体長3メートルはあろうかという生き物が揶揄するように上から見下ろした。
「おお、とうとう教会も人手不足になっちまったようだな。こんな弱っちいのを送り込んできやがるなんてなあ!」
 あからさまな嘲笑にも、瑞科は涼しい顔だ。
 赤い唇に軽やかな微笑を浮かべると、歌でも口ずさむような弾んだ声で言った。
「ご心配なく。教会の人選は正しいとすぐにわかりますわ」
 瑞科はゆっくりと敵に近づいて行く。
 一瞬瑞科の台詞を理解し損ねた敵だったが、自分の方が馬鹿にされたのだと気づくと、丸太のような腕を振り上げ、怒りの咆哮でビル全体を揺らした。
「貴様ああああああ!ぐちゃぐちゃになるまでたたき潰してやるぞおおおお!」
 瑞科の頭上に腕が振り下ろされた。
 それは思った以上に速く、瑞科が視線を上げたときには真上に迫っていた。
 轟音とともに、腕が床に大きな穴とがれきの山を作る。
もうもうとした土煙の中で、満足そうに敵はニンマリと笑った。
「口ほどにもねえ!小娘の分際で!俺に逆らおうなんて百年早いんだよおおお!」
 そう声に出したとたん、重い音をさせて右腕が床に転がった。
「はれ?」
  すっとんきょうな声をあげ、敵が首を傾げる。
 自分の腕が床にある理由がわからないようだ。
 瑞科は艶めく髪を風のようにひるがえして敵を振り返り、剣を軽く振って血を落とした。
 スーツはひとつも乱れておらず、ひねられた彼女の細い肢体が妖艶に床に影を作る。
「そろそろ終わりにいたしましょうか。懺悔するには十分な時間を与えてさしあげましたもの」
 百合に似た清らかさが、彼女の全身を包み込む。
 まるで慈悲の女神のような姿だった。
「貴様、よくもおおお!」
 敵は激怒し、遮二無二残った腕を振り回して突っ込んでくる。
 瑞科はゆるやかに身を翻すと、小さく祈りの言葉をつぶやき、一歩前に踏み出した。
 瑞科の姿が視界から消える。
 敵は怒りに駆られながらも、瑞科を見失って四方を見回した。
 その首が、何の前触れもなく、コトンと床に落ちた。
 ふわりと床に降り立ったのは、微笑む瑞科だ。
 聖なる杖のように宙空から手元に血塗られたおどろおどろしい剣を無感動に引き寄せ、それでも心に湧き上がる勝利の余韻に存分にひたりながら、返り血ひとつ浴びていないその身を、まっすぐ出口に向かわせて、彼女は屠った敵を見もせずに静かにそこを立ち去った。

〜END〜