コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


人魚は魔女の入り江で

1.
「綺麗な海ね! すごく素敵…!」
 響(ひびき)カスミの嬉しそうな声を聞いて、イアル・ミラールは微笑んだ。
「よかった…喜んでくれて。カスミ、疲れてたから気分転換になればと思って」
「そ、そんなに疲れたように見えた? 私」
 ここのところ休日返上で家でも仕事をしていたカスミ。久しぶりにできた本当の休みに、イアルはカスミを東京近郊にある海へと連れだした。
 小さな入り江の海岸でとても綺麗な場所。しかも穴場のようで人がいなかった。
 風光明媚、その言葉がよく似合うその場所でイアルは嬉しそうに波と戯れるカスミに声をかけた。
「日差しも強いし、熱中症が心配だから飲み物を買ってくるわね。何がいいかしら?」
「じゃあ、お茶をお願いできる? 冷たいのがいいわ」
「ふふっ。わかったわ」
 今日はカスミの疲れを癒すためにここに来たのだ。イアルは楽しげなカスミを優しく見つめつつ、近くのコンビニへと足を運んだ。
 夏の日差しの下、1人波と遊ぶカスミの姿がどんどんと遠ざかる。
 ちょっとした違和感だった。だが、イアルはそれに気が付かなかった…。

「そこのアナタ」
 そう呼びかけられたカスミは振り返った。
 白い白衣に黒髪の女性が静かに佇んでいる。とても綺麗な女性だった。
「なにか?」
 カスミがそういうと、女性は音もなくカスミに近づいた。そう、まるで砂の上を滑るように。
 そして、カスミの前で止まるとじっとカスミを見つめ、スッと目を細めた。
「ここは魔女の薬草の栽培所と言われている場所。それに呪術の媒体も生育しているの。立ち入りは禁止なのよ」
 咎めるように女性はそう言うので、カスミは申し訳なさそうに謝った。
「ご、ごめんなさい。知らなくて…」
 そんなカスミに、女性は冷たい声で言い放つ。
「…嫌だわ。アナタみたいな人がいると、私なんてゴミだわ」
「…ゴミ?」
 困ったようにカスミが聞き返すと、女性はブツブツと何か小さく呟いている。
 カスミは逃げた方がいい気がしたが、イアルがここに戻ってくるまでは…と思った。
 だが、それが間違いだった。
 海から無数の海藻がカスミの体を捕えて岩場へと固定する。
「な、なに!? なんなの!?」
 焦るカスミにゆっくりと、女性は語りかける。小さな小瓶を手に持って。
「逃げられないのよ。アナタは…ゴミ以下になっておしまい」
 小さな小瓶の中で揺れる液体は、カスミの口の中へとゆっくり流し込まれた…。


2.
「魔女のプライベートビーチ?」
 買い物をしたイアルに、コンビニの店員は首を縦に振った。
「あそこにはいかない方がいいよ。必ず悪いことが起こるから。地元のヤツは絶対に近づかないんだ」
 イアルはコンビニの店員に軽く礼をすると、急いで海へと戻る。
 人がいなかった意味が分かった。あまりにも綺麗すぎた海。それは魔女の仕業。
 カスミ、無事でいて…!
 イアルは懸命に走った。だが、波打ち際にカスミの姿はなく、1人の白衣の女が佇んでいた。
「すいません。ここにいた女性を知りませんか?」
 息を切らせたイアルが訊くと、女性はスッと海を指差した。
 イアルがその先を見ると、大きな魚影が見えた。
 いや、それは魚影ではなかった。カスミだ。だけど、あの姿は…!

「彼女は人魚姫になったのよ。可愛そうな人魚姫。こんな入り江に迷い込んで…最後には泡になって消えてしまうというのに…」

 驚いたイアルが振り向くと、白衣の女は薄笑いでカスミを見ている。
 この人が、魔女!?
 イアルが身構えると、魔女はふふっと笑った。
「あらあら、大変。この入り江には人魚を喰らうケダモノがいっぱいいるのよ。彼女、必死ね…ふふっ」
 見れば、カスミは確かに何かから逃げるようにあちこちを泳ぎ回っている。
「カスミ!!」
 イアルは無我夢中で海に飛び込んだ。海の透明度は抜群で、カスミの居場所がすぐに分かった。
 そして、カスミが何に追いかけられているかも。
 巨大な目が4つある魚のようなものや、触手の先に口が付いた植物のようなものがカスミを追いかけている。
 浜辺から見ただけではわからなかった。こんなものがこの海にいたなんて…!
 真っ白な海底のサンゴ礁に、逃げるカスミの影が映る。どうにかして、カスミを助けなければ!
「カスミ! こっちへ!」
 ザパッと海面に顔を出してイアルは叫んだが、カスミはちらりとイアルを見ただけでイアルの元に来ることはなかった。
「何故!?」
「知らないの? 人魚姫は記憶喪失なのよ? 可哀そうなお姫様…ほら、もう食べられてしまってよ」
 魔女の顔が嫉妬の微笑みで歪む。イアルは再び海中に潜り、カスミを追う。
 カスミの体に細く白い触手が絡みつき、触手がキラキラと光る何かをカスミから奪っていく。
『た…す………』
 もがくように手をイアルに差し出したカスミは絶望と恐怖に震え、届かぬ叫びを残したまま石化した。
 イアルはカスミを触手から引きはがして海面へと急ぐ。
「…はははは! あははははははは!!!!」
 笑い声が響き渡る。魔女の嫉妬に狂った笑い声が。
 イアルは、カスミを安全な場所に置くと…魔女へと飛び掛かった!


3.
 魔女への一撃は足を狙った。動きを封じるのは初歩だ。
 だが、魔女は浮いていた。イアルの一手は空振りに終わった。
「お友達が石になって悲しいの? 大丈夫よ。悲しさなんてすぐに忘れてしまってよ? 人間なんて、そういう生き物だわ」
 浮き上がっていた魔女の足を掴み、イアルは地面へと思いっきり叩きつける。
 まさか、叩きつけられるとは思っていなかった魔女は、受け身を取ることもできずに砂浜に沈む。
「カスミはあなたに何かしたの!? 何もしていないのになぜ!?」
 魔女の上に馬乗りになり、魔女をまっすぐに見据える。
 イアルの瞳は怒りによってさらに赤く光っている。
「…アナタにはわからないの? 美しい女がいる限り、私のような存在には誰も気が付いてくれない。綺麗であるというだけでもてはやされる女の影に、私はいるのよ。そんな! 綺麗なだけの! 女のために!!」
 魔女は醜い嫉妬を吐きだした。それはどんな女性にもある心。
 綺麗になりたい。綺麗でありたい。
 そして歪んでしまった心は他者を憎む嫉妬に替わる。
 綺麗になれないのはアイツのせいだ。綺麗と言われないのはアイツがいるからだ。
 イアルも同じ女性だから、その気持ちは理解できた。でも、カスミをこんなひどい目に遭わせる理由にはならなかった。
「あなたは美しいわ。美しいのに自分をきちんと見ずに、後ろ向きになってしまっているのね。自信を持って。あなたは美しいわ。前向きになって…ちゃんと自分を見て。心まで醜くなってしまったらダメなの」
 魔女の頬についた砂をイアルは優しく手で落とすと、立ち上がった。
 イアルに魔女をそれ以上傷つける意思はなかった。ただ、カスミのことが心配だった。
 魔女は放心したように、イアルが触れた頬を手で触れた。イアルの手が、温かかった。

 イアルは急いでカスミに近づくと、軽く唇にキスをした。
 呪いは昔からこうして解くのだと決まっている。私の時もカスミはためらわずにそうしてくれた。
 イアルの唇から伝わる生気がカスミを元の体に戻していく。
「イア…ル? あれ? どうしたのかしら、私…」
「浜辺で倒れていたの。きっと熱中症だったのよ。大丈夫? ゆっくりこれを飲んで」
 イアルは買ってきていた飲み物をカスミに与えた。カスミはそれを「ありがとう」と受け取った。
 ふと、イアルは魔女を振り返った。そして、カスミに言った。
「あの人が助けてくれたのよ」
「!?」
 魔女は驚いたようにイアルを見た。カスミは魔女の元へ向かうと「ありがとう」と言った。
 どうやらカスミは魔女のことを一切覚えていないようだった。
 どうしたらいいのかわからない、といった魔女の顔を見たイアルはクスッと笑った。
「ご一緒に少し海辺で遊びませんか?」


4.
 浜辺で美女が3人、戯れている。
 それはすぐに地元のニュースとして知れ渡った。
 魔女のプライベートビーチと呼ばれる禁忌のその場所で、地元民ではない2人の美女と、もう1人は…。
「あれ? あの人どっかで…」
「調剤薬局のお姉ちゃんじゃないか? あのメガネかけた冴えない…」
「え!? …そう言われてみれば…」
 普段はメガネをかけて冴えない女性だったが、今はとてもキラキラと別人のように輝いて見える。
「美人だな〜」
「美人だ…」
「どの人も綺麗すぎて手がでねぇな…」
 そんな噂話を知ってか知らずか、イアルとカスミと魔女は浜辺で長い時を過ごした。
「私、こんなに楽しい時間初めてよ。…アナタ達に会えてよかった」
 魔女の言葉に、イアルもカスミも優しく微笑んだ。

 少しのハプニングもあったけれど、カスミの嬉しそうな姿にイアルはここに来てよかったと思ったのだった…。