|
第4勢力
人類を滅亡へと押し進めんとする狂信者組織・虚無の境界。
その影響が及んでいるのは、地球人類に対してだけではない。
久遠の都、妖精王国、それに龍国……人類と呼べる知的生命体によって社会が形成されている場所であれば、どこにでも虚無の境界の支部は存在する。
どれほど平和で秩序立った社会であろうと、混沌や滅びを願う者たちは必ずいるからだ。
久遠の都の軍人であった頃の藤田あやこにとって、虚無の境界は無論、戦う相手であり取り締まる対象であった。
そんな相手に、今は助力を求めなければならない。
「思い切った事を考えたものね、藤田艦長」
虚無の境界・代表者との会談の場へと向かう、戦艦の艦橋。
感服したような呆れたような口調で、高峰沙耶は言った。
「虚無の境界と手を結ぶなんて……いつ爆発するかわからない時限爆弾を、抱え込むようなものよ?」
「爆弾でも何でも、今は戦力が必要なのよ。何しろ龍族の連中だけじゃなく、下手すると久遠の都とも戦争やる事になりかねないから」
沙耶の祖父・高峰家の長老は、久遠の都政界に対しても強大な影響力を持つ一方、虚無の境界とも深く繋がっている。
かの組織を味方に引き入れるためには、ぜひとも協力を仰がねばならぬ人物であった。
「ありがとうね、高峰さん」
あやこは、まず言っておくべき事を言った。
「こんな図々しいお願い、聞いてくれて」
「私は反対したのよ? けれど祖父が、どうしてもやると言って聞かないの」
沙耶が苦笑した。
「今は、奥で休ませてもらっているわ。交渉の本番まで、体力を温存させておきたいから」
「まあ、お年がお年だものね……」
あやこが、うっかりそう呟いてしまった、その時。
「誰の年の事を言うておる?」
老人が1人、ずかずかと艦橋に歩み入って来た。あやこは思わず口を押さえた。
沙耶が、慌てている。
「お爺様! いけません、まだ休んでおられなければ」
「お前まで、わしを年寄り扱いするか!」
高峰老人が、怒り叫んだ。
「このような場所に居とうない! わしを一足先に会談場へ向かわせよ。下見を行う」
「お、落ち着いて下さい、高峰長老」
「交渉とはな、まず交渉の現場を確かめる事から始まるのじゃ。先方がどのような場を用意しているか。それにふさわしい格が、こちらにあるのか否か。虚無の境界という連中は何しろ、破壊と混沌を望んでおる割に、格式にこだわるところがあるからの……そういうわけで藤田艦長、あんたの格式を確かめさせてもらう」
「た、確かめる……とは?」
「お前さんがどれほど格調高い人間であるかを確かめたいと言っておるのだ! うん、人間ではないのか? ……まあ、そのような事はどうでも良い。とにかく何か一曲歌ってみよ。歌にこそ、その者の持つ品格の全てが表れる。さあ歌え!」
「お爺様! いい加減にして下さい!」
沙耶が、珍しく激昂している。
「酔っ払いの嫌がらせのような事をおっしゃるのは、おやめなさい! 高峰家の恥さらしにしかなりません!」
「沙耶、何をぬかす! わしは百年、虚無の境界と交渉を続けてきたのだぞ! あやつらの事を知り尽くしておるのは、この宇宙でわしだけじゃ! そのわしが今、確かめておかねばならぬ事をだな」
「まあまあ、落ち着いて2人とも」
あやこは仲裁に入った。
高峰沙耶が、ここまで頭に血を昇らせるのは珍しい。
それに、ここまで激昂した老人を、交渉の場に伴うわけにもいかない。落ち着いてもらわなければならない。
「ごめんなさい、歌はちょっとご勘弁を……その代わり、これで」
あやこはパチッと指を鳴らした。
兵士の1人が、竪琴を持って来た。
恭しく差し出されたそれを受け取り、あやこは爪弾いた。
習いたての音色が、艦橋に流れる。
祖父と孫娘の口論が、止まった。
高峰老人が、ぽろぽろと涙を流している。
「……ようわかった、藤田艦長。お前さんの品格、しかと確認した」
先程までとは別人のように、長老の口調も表情も和んでいる。
「これなら虚無の境界との交渉も成功するじゃろう。わしも良い仕事が出来そうじゃて」
「はい……ありがとうございます」
一礼しつつもあやこは、傍らで沙耶が訝しげな顔をしているのが気になった。悪い予感でも、感じている様子である。
その予感が的中した、という事なのかどうかは、わからない。
とにかく、艦内は大騒ぎになった。
「テメエらのせいでフラれちまったろーがあ!? おう! おう! おう!」
女性副長の1人が、そんな事を叫びながら鞭を振るい、兵士たちを打ち据えている。
「このクソどもがよぉ、てめえらがいっつも面倒ばっかかけやがるせいでストレスでお肌荒れっぱなしなんだよこちとらぁあ! 化粧の乗りは悪いわ気分ピリピリするわで結局カレに逃げられちまった! いくら貢いだと思ってんだよおおお金返せコラ!」
「そこ……何をしている!」
あやこは駆け寄り、その鞭を掴んだ。
「私的制裁は軍規違反だぞ!」
「うっせークソババア! てめえ何回結婚してんだよ!? 何人オトコ飼ってんだコラ! そんな奴にあたしの気持ちなんて」
わめく副長の顔面に、あやこは拳を叩き込んだ。鼻血が、盛大に噴き上がった。
「……言っていい事と悪い事があるだろうが貴様ぁああ!」
涙と鼻血をぶちまけて泣き喚く副長に、あやこはガスガスと蹴りを入れた。
鞭打たれていた兵士たちが、それを止めようとする。
「や、やめて下さい艦長! やり過ぎです!」
「やめて下さい、やめ……やめろっつってんだろクソ艦長!」
兵士の1人が軍用拳銃を抜き、あやこに向けてくる。
その銃身が、真っ二つになった。あやこが聖剣・天のイシュタルを抜き放っていた。
「何だ貴様ら、私に銃口を向けるとは叛乱か? 受けて立つぞ雑魚どもが!」
(ちょっと……何を言ってるの私!)
怯える兵士に剣先を突き付けたまま、あやこは心の中で叫んだ。
激昂しているのは高峰沙耶だけではない。
自分も、副長も、この兵士たちも。艦乗員の全てが、凶暴性を抑えられなくなっている。
原因に、あやこは心当たりが全くないわけではなかった。
「あなたたちを疑うような形になってしまって、申し訳ないとは思うけど……」
形として今、あやこは沙耶を問い詰めている。
「敵のBC兵器に催眠攻撃……あらゆる可能性を検討してみたのよ。でも」
「御明察よ、藤田さん」
観念したように、沙耶は言った。
「全ては、私たちのせい……」
「……お爺様が、ご病気なのね?」
「病気と言うか年齢のせいだとは思うけれど、感情の昂りを抑制出来なくなっているのよ。その激昂した思念が、周りの人に伝染するようになってしまって……」
「もしかして、私の下手な一曲も原因?」
「効き過ぎたわね、あれは」
沙耶が苦笑した。
「あれで、感情の昂りが祖父の身体から抜け出して、周囲に広がってしまったのよ」
「そんな状態とも知らずに、無理なお願いをしてしまったみたいね」
あやこは言った。
「虚無の境界との会談には、私1人で臨むわ」
「……冗談でしょう? 私たちが何のために、ここまで来たと思っているの」
沙耶が、またしても激昂しかけている。
「私なら、お爺様の感情を抑制出来るわ。私がいれば大丈夫……貴女1人では、虚無の境界の信用を得る事は出来ない。予定通り、私たちが」
「貴女たちには任せられない、と言っているのよ」
はっきりと、あやこは告げた。
沙耶の眼差しが、口調が、危険な怒りを帯びた。
「高峰家に、恥をかかせるつもりなの……!」
あんな状態の老人を連れて会談に臨めば、それこそ高峰家の恥にしかならない。
あやこが、そこまで言おうとした時。
「ご勘弁下さらんか……わしのせいで、そのような争いは」
高峰長老が、よろよろと割って入って来た。
「お爺様……」
「沙耶、わしにも意地というものがある。この度の交渉、命に代えても成功させてみせるとも」
長老の口調は、弱々しい。
「ただ、のう藤田艦長……おぬしの力も、必要なのじゃ」
思った通り、交渉は難航した。
虚無の境界の代表者が何を言っているのか、あやこは全く理解出来なかった。この者たちの発する言葉を理解するのが、ここまで難事であるとは、想定していなかったのだ。
全く話が通じない相手に対し、高峰老人は辛抱強く会話を続けた。
その傍らであやこは、天のイシュタルを抜いてしまいそうになる自分の右手を、左手で懸命に押さえ付けていなければならなかった。
会話困難な相手に対する長老の苛立ちが、全てあやこに流れ込んで来ているのだ。
長老と、強靭な意思を持つ第三者が、高峰沙耶を媒体として精神的に融合する。そうする事によって高峰老人はようやく、自制を保つ事が出来る。
会談場にいる者全員を斬殺してしまいそうになる自分を、あやこが必死に抑え込んでいる間。長老は、全く冷静さを失う事なく、交渉を進めてくれた。
「……聞こえるか? 藤田艦長。よう頑張ってくれたのう」
気が付くと、高峰老人と沙耶が、あやこの身体を優しく揺さぶっていた。
「交渉は成功よ、藤田さん……貴女は、虚無の境界と同盟を結ぶという、前代未聞の偉業を成し遂げたのよ」
「偉業……ね」
疲弊しきった頭で、あやこはぼんやりと思考した。
虚無の境界と手を結ぶ。それが前代未聞の偉業となるか、歴史に残る愚行となるかは、これからの自分次第だ。
いずれにせよ、もう後戻りは出来ない。
|
|
|