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<東京怪談ノベル(シングル)>


それも日常―T





 東京都某所。
 小綺麗なオフィス。小洒落た街並みが続くそのビルの一つ。
 その一つのビルの地下駐車場から、人目を惹く洗練されたラインを強調したかの様な、スポーツカーが姿を現した。

 けたたましいエンジン音によってその存在に気付いた人々は、その洗練された高級感すら感じさせるスポーツカーに羨望の眼差しを向け、そしてその視線は自然と運転席へと注がれた。

 ――成金野郎か?

 そんな猜疑の視線を向けた者達は、また違った意味でその運転手に目を見張り、見惚れる事となった。
 それを乗りこなしていたのは、女性特有の色気を放ち、非の打ち所が見当たらない様な美人だったからである。これには周囲の人間も、感想を抱くよりもまず見惚れてしまうのも頷ける、というものであった。

 駐車場から出て行くその車の後ろ姿を見送った人々は、改めてそのビルを見上げる。今出てきた女性は、一体どんな仕事をしているのだろうか、という興味故の行動である。

 そこに佇んでいるビルは、この辺りでは珍しい一社の持ちビルであった。

 外資系産業から、ありとあらゆる分野においてその名を聞く事もある、大手商社であった。



 ――そう、あくまでも表の顔は、だ。



 ただでさえ人目を惹くその容姿でありながら、その上スポーツカーに乗っていれば、それは当然強くなるというものである。
 しかしながら、そんな車を運転して帰路に向かっている女性、水嶋琴美はそんな周囲の視線を意に介す事はない。

 と言っても、決して自分の容姿に対して無頓着という訳ではない。

 若干青みがかった黒基調のスーツの上下。ミニのタイトスカートからは、しなやかな脚はストッキングに包まれ、さりげなく意匠が凝らされたものだ。若い女性特有のハリのある肌を包み込んだストッキングという薄布の上からでも、その脚の美しさは否が応でも理解出来るというものだ。

 そんな、世の男性の視線を虜にしてやまない琴美であるが、その姿は所詮は世を忍ぶ為の仮の姿の一つ、といった所だろう。

 そんな現実を示すかの様に、車の中に備え付けられた特殊な端末に取り付けられた琴美の携帯電話が呼び出し音を響かせた。
 琴美がハンドルについていたとあるボタンを押すと、車の中に流れていた洋楽は止まり、電話のスピーカーの役割に切り替わった。

《水嶋、任務だ》

 淡々と告げられたその言葉に、琴美は小さく口角を吊り上げた。
 そんな琴美が有無を言う事を制する様に、スピーカー越しの声は続けた。

《テロ組織の実働部隊の殲滅任務を受けてもらいたい。頼めるか?》

 声の主の、形式だけの問いかけと称されてもおかしくない言葉に、琴美は「問題ありませんわ」と告げる。
 この任務に関して、スピーカー越しの声の主は琴美以外には頼めないと感じていた。でなければ、仕事から帰宅しようとしている琴美に、わざわざ電話をかけてまで任務を与えるつもりなどないのだ。

 人数ならいるが、しかし任務の危険性を考えた時に、それを成功させられるだけの実力を持った者がどれだけいるかと考えた時、声の主はたった一人しか思い浮かべる事は出来なかった、というのが本音である。

 それほどまでに、琴美は圧倒的なのだ。



 ――閑話休題。



 そもそも彼女が何者なのか。それは彼女の所属が、自衛隊に非公式部隊の諜報員である事から押して知るべし、といった所だ。
 彼女はそんな非公式の部隊、『特務統合機動課』の中でも、トップの実力を持つのだ。

 そして琴美は、転送されてきた位置情報を頼りに車を走らせるのであった。





◆◇◆◇◆◇◆◇





「長官、水嶋が予定ポイントに到着しました」
「援軍は?」
「まだ到着まで時間がかかるとの事です」
「クソッ」

 特務統合機動課の司令室で男は苦々しげにそう言うと、目を閉じて嘆息した。

「まったく……。国の腰の重さには反吐が出る……。さっさと決断さえしていれば、こんな事にはならなかったものを……」

 非公式部隊である彼らに指令が届いたのは、すでにテロ部隊が拠点を発った後だったのだ。上層部の責任のなすりつけ合いによって指令が遅れるという、まさに愚かと取れる理由がそこには存在していた。

 大通りは飲酒検問という名目で通れなくしている。予定通り、実働部隊は山道へと迂回し、琴美の向かったポイントを通る事となるだろう。
 しかし、前情報で知らされたテロ部隊の情報を見る限り、いかに琴美と云えども危険な相手だと長官と呼ばれた男は考えていた。

「人体改造なんてもんに手を出した連中、か」

 改めてモニターに映し出された報告書。それは、数週間前に諜報部から送られてきた資料であり、今回琴美がたった一人で対峙する相手の情報である。

 脳にナノマシンを投入した事によって、脳のリミッターを強制解除した者達。

 本来脳のリミッターを外せば、身体に影響が出る事は必然だ。しかし、この集団の恐ろしい所は、その脳のリミッターを外した状態を耐えるだけの訓練を行なっていただろうという報告である。

 そんな化け物染みた連中が犯行声明を出し、今まさに東京都内に向かってきているのだ。
 すでに警察や自衛隊の通常組織がそれを止めようと試みたが、結果は惨敗である。ようやく自分達に出番が回ってきたと思えば、それはすでに都内に入ったという報告と共に、だ。

「最悪の事態、だな」
《あら、そんな事ありませんわ》

 司令室のスピーカーから流れてきた軽快な口調。琴美の声であった。
 年齢とは少々不相応な凛とした口ぶりや、その声からも聞いて取れる自信。艷やかな色気を帯びたその声の主に、長官はマイクが入っていたのかと嘆息し、改めてモニターを見つめた。

「そんな事ない、とは?」
《ここは山の中。街灯も人目もありませんもの。つまり、私は一般人に見られる可能性も皆無。それだけでも最悪ではありませんわ》

 クスッと笑ったかの様なその声に、司令室にいた者達は圧倒される。
 相手はプロでも敵わないテロ集団だというのに、それをたった一人で殲滅する事に対して、微塵も臆してなどいないのだ。

 その場にいた者達全員が、琴美の実力を知っている。故に、それがただの自信過剰から来る侮りではないと確信しているのだ。

「……水嶋。黒いバンが5台だ。全員、恐らくは人体改造を施しているような狂者だぞ。それを一人で相手したとして、どれぐらい――」

「――10分、といった所ですわね。全員を気絶させる、となれば」

 僅かな沈黙の後、長官は口角を吊り上げる。
 どれぐらい時間を稼げるか。そう尋ねようとした所で、琴美は全員を殺さずに無力化すると考え、その上で僅か600秒という時間さえあればそれが出来ると言い放ったのだ。




―――。




《……フッ、良いだろう。援軍は向かわせるが、頼んだぞ》

 スピーカーから聞こえてきた声に口角を吊り上げたのは、こちらも同じであった。
 琴美は山中の暗い夕闇の中には似つかわしくないタイトスカートルックのスーツ姿で車から降りると、スカートを捲し上げた。

 月光によって顕になったストッキングの一番上。レースにリボンがあしらわれ、きめ細やかな肌が露出する。その僅か上、ショーツが姿を現すかと思われた所で、車から取り出した革のホルダーをつける。

 そこには、クナイと呼ばれる暗器が取り付けられている。

 琴美の主要な武器であり、殺傷能力の高いその武器が、しなやかな脚のつけねに取り付けられる。
 そして更に数本のクナイを手に取ると、ホルダーと腰の後ろにそれをしっかりと挟み込み、そしてゆっくりと歩き出す。

「さて、任務開始、ですわね」

 誰にも聞こえない琴美の呟きが、月光のみに照らされた山中で静かに虚空へと消えていった。






to be countinued....