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<東京怪談ノベル(シングル)>


【戦士邂逅】

 扉を開けた瞬間、むせ返る様な血臭がフェイトの鼻腔をついた。
 どろりと粘性を持ったかのように体に絡みついてくる空気はほぼ飽和状態寸前まで血の匂を帯びている。
 血の滴を観た。果たして、それはフェイトの幻視であったのか?
 否、それは天井から滴り落ちてきている。
 天井を見上げる。
 そこには、男が貼り付けにされていた。
「まったく。趣味の悪い」
 悲鳴をあげるように言うとともに、なんとしてもこの悪趣味なオブジェを作り上げた張本人、ギルフォードを捕まえねばと決意を新たにする。
 ギルフォード。それは生来の犯罪者。殺しを快楽で行う異質者。
 人を、人間を、それたらしめるのは、理性だ。
 あらゆる欲望を律しうる理性が、人間と畜生との境界になるはず。
 ギルフォードとは、その理性を自らの意志によって放棄した快楽殺人者。
 人を殺す。犯罪を犯す。ゆえに、我あり。それがギルフォードなのだ。
 到底、ギルフォードの思考などわかり得る訳もない。
「わかりたくもない」
 フェイトはごちる。
 この廃病院に侵入して、死体を何体も見た。
 この廃病院ではかねてよりよくない噂が流れていた。
 手術を失敗されて亡くなった患者の呪いによって、この病院は廃業した。そして、さらにその呪いは、付近の不浄霊を呼び寄せて、結果、ここは吹き溜まりになった。
 肝試しで忍び込んだ人間が発狂した、などという噂もある。
 しかし、現実はなんてことはない。
 この病院は、ただの経営不振で廃業しただけだし、霊的なスポットでもない。まあ、今日より後は、ギルフォードに殺された人間が化けて出るかもしれないが。
 しかし、それだって、彼らは故意にこの廃病院の良くない噂を流し、誰も寄り付かないようにして、ここを麻薬の取引場所にしていたのだ。
 ギルフォードを用心棒にして。
 しかし、その用心棒に、彼らはこうして殺されてしまったのだが。
 壁に貼り付けられた男をそのままにしてもおけず、フェイトは彼を天井からおろした。
 そこで、意識を失う。
 天井に貼り付けにされていた男の衣服のどこかに神経毒がたっぷりと塗られていた針が仕掛けられていたのだと気づいたのは、フェイトが次に意識を取り戻して、手術台に拘束されている自分の状況を認識した時だ。
 身体は痺れて、動かせそうもない。
 呼吸もままならない。
 神経毒と、酸素不足で、意識がもうろうとする。
 だが、そんな中でも自分の現状を客観的に認識できるのは、フェイトの何が何でも生き抜いてやる、という意思のたまものだった。
 傍らで不気味に空気が振動した。
 まるで死霊の叫び声かのように硬い音が鳴る。
 啼く。
 先ほどの戦いでもフェイトの銃口から発射された銃弾は、その死神の咢は、ギルフォードの命を食らいつくすはずだった。
 しかし、そうならなかったのは、ギルフォードの驚異的な身体能力もさることながら、彼の持つその義手の強度による物だった。弾き返されたのだ、全て。
 そして、それが今度は、フェイトの命を奪おうとしている。
 キリキリと奇怪な駆動音を上げながら義手の指先の先端が動けないフェイトの首筋に突きつけられる。
 白い肌を真紅の珠が飾る。
 どろりと空気が血の滴を垂らしそうなほどに、その部屋には濃密に血臭が立ち込めているというのに、さらに加わったフェイトの血の匂がわかったというのか、ギルフォードはニヤリと嗜虐的に口の片端を吊り上げた。
 もはや我慢できない。そうギルフォードの目が言う。
 しかし、その目を見つめ返すフェイトの目からも意思が、生きる、生き残る意思が、失われてはいなかった。
 ギルフォードの義手に力が籠められる。
 転瞬、湿った音がした。
 そして、血が大量に流れる。
 今度こそ、空気が血の滴を垂らした、かのように思えるが、床を濡らす血は、先ほどまで義手がはめられていたギルフォードの肘のあたりの傷口から大量に迸っていた。
 ギルフォードの、まるで射精をした瞬間の男のようなイッタ目が見たのは、サイコキネシスベースの振動波で自分の腕を切り落としたフェイトの顔であった。
 ギルフォードはにやりと笑い、フェイトの顔に残った左腕の拳を叩き付ける。
 否。しかし、ギルフォードの拳がうがったのは、誰もいない手術台だった。
 トリガー。拳銃の咆哮があがる。
 今度こそ、死神の咢は、ギルフォードの背中から撃ち込まれ、その穢れた魂を食らいつくすはずだった。
 否。
 しかし、ギルフォードは平然と振り返り、フェイトを見た。
 我知らずフェイトは唾を嚥下しようとし、だが、己の口の中が戦慄によって乾ききっている事に気が付く。
 ギリギリだった。サイコキネスシの振動波によってギルフォードの腕を切り落とし、そこに生まれたギルフォードの一瞬の心の隙に付け込んで、催眠を施し、自分の身体から動けるようになるまで生体コントロールで毒を解毒し、なんとか動けるようになるまでの時間を稼いだ後に、背後に回り、もう出血死していてもおかしくないギルフォードの背中にさらに止めの弾丸を叩き込んだのは。
 連続で強力な超能力を使用し、さらに解毒をしたとはいえ、体力を根こそぎ奪われた状態で銃を撃った事で、フェイトの肩は、その振動に耐えきれずに脱臼をしていた。
 もう、フェイトは銃を撃つことすらできない。
 超能力ももう、発動することはできない。
 対してギルフォードは、床に落ちた自分の義手を拾うと、それを振り上げて、ゆっくりとゆっくりと、フェイトをなぶるように近づいてくる。
 そうして、フェイトの前に立つ。
 自分を見上げるフェイトの、その眼差しに、満足げに微笑みながら。
 そう。ギルフォードは、ただただ純粋に、笑う、という行為を、体現していた。
 それは子どものように純粋無垢な笑みだったのだ。まるで何の罪悪感も抱かずに、蝶の羽をむしる子どものように。
 フェイトとギルフォード。二人が居る空間は静かだった。
 その小さな世界は、夜の闇に怯える子どものように、息を詰めていた。
 そして、世界が悲鳴を上げる。
 ギルフォードがニヤリと笑ったのを見て……。



 後日、IO2の上層部にあげられたフェイトの報告書を見た幹部は、戦慄した。
 報告書の最後に記された、ギルフォードは自分の顔を見て、笑うと、動けない自分を残し、立ち去って行った、という文章を読んで。
 それはつまり、ギルフォードはフェイトを当分の自分の玩具、宿敵として認識した事を意味していたのだから。



 END