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<東京怪談ノベル(シングル)>


辿る道、先は見えねども。

 落ち着いた日々が、ようやく戻りつつあった。以前とはまったく変わってしまった日常にもなんとか慣れて、周りを見回すだけの余裕も生まれてきて。
 芹澤・篤美(せりざわ・あつみ)が鳥井組に身を寄せてから、しばらくが経っていた。客分の立場から組の一員となり、と言って他の組員のように物騒な仕事に携わるでもなく、牧歌的に日々が過ぎていく。
 ここに来て篤美が真っ先に覚えた事と言えば、敷地内に広がる日本庭園に植わっている植物の名前だとか、どの辺りに誰が何を植えているのかとか、そういった事柄だった。その次には、組員達が集まる茶の間のテレビが、どの時間帯にどんな番組を流しているのか。
 あちらこちらを好奇心で見て回って居るうちに何となく覚えてしまった事柄は、他にも山のような湯飲み茶碗のどれが誰の物なのかとか、色々ある。そんな事をやっているうちに、組長から「嬢ちゃん、ちょいと手伝ってくれねぇか?」と声をかけられて、気付けば組の事務や会計にまで、携わるようになっていた。
 フリーの記者と言えば、記事になりそうなネタをひたすら追いかけているイメージが強いが、実際の所は情報収集で色々な資料を整理したり、経費の計算や申請等にも忙しい。そういった経験が、こんな所で役に立つのは意外な気がすると、篤美は資料をめくりながら苦笑して。
 ふと、その手を止めて眉をひそめる。

「またか」

 そうして篤美が目を落としたのは、シマ――いわゆる、暴力団の縄張りであり、勢力圏の中で起きたトラブルをまとめた書類。この辺りにも組員の性格が出ているのだろう、驚くほど几帳面なものもあれば、場所や内容、顛末等の最低限の項目だけを、小学生の日記よろしく最低限の言葉で殴り書きしただけのものもあり、中には口頭だけで報告を受けたものを組長なり、若頭なり、幹部なりが覚書程度に書きつけたものもあった。
 その、トラブル自体はさして珍しいものではない。けれども、それがある時期から急に増えているとなれば、話は別だ。

(絶対、これには何かある‥‥)

 篤美はそう思いながら、その100文字にも満たないメモを丹念に何度も読み、そこから読み取れる情報がないか無意識に探ろうとした。記者になってから身に付いた、それは習性のようなものだと言って良い。
 初めてそう感じたのは、組員達が夕飯を食べながら交わしていた会話を耳にした時の事だった。今日の汁物は濃いだの薄いだの、そんな会話をして居た彼らが、「それにしてもこの頃、妙にシマん中がキナ臭ぇな」と漏らしたのだ。
 汁物と同レベルなのか、と最初は苦笑したものの、聞いているうちに記者のカンとでも言うべき物が、これは何かある、と篤美に訴えかけてきた。それからは意識して資料を読み込んだり、組員達の会話に耳を澄ませて見たら、その感覚はますます強くなってきて。
 どうにもこれらの、1つ1つは取るに足りない事件やトラブル、すべてが怪しく、胡散臭く感じられる。この裏には何かが隠されて居るのではないのだろうか――そう、思えてくる。
 だが、あくまで受身に情報を集めて居るだけでは、どうにも全貌が見えて来ない。欲しいパーツが何処にあるのかも判らず、そもそもどんな物なのかも判らない。
 ――何より記者魂がくすぐられてしまった、篤美がどうにもすっきりしない。

「――となれば、動くしかない、か」

 ぺしッ、と報告書の束を指で弾いて、篤美はそう呟いた。百聞は一見にしかず、情報を集めて解らないのなら、実際に足で稼いで調べるしかないのは、警察も記者も同じだ。
 だが、ならばどうやって調べよう? 資料を机の上に放り出して、篤美は考えを巡らせた。
 篤美はチャイニーズ・マフィアに命を狙われて、鳥井組に匿われている身の上だ。そのまま外に出たのでは、さぁ命を狙って下さい、と宣伝して回るようなものである。
 それは、解っていた。解っていた、けれども。

(変装すれば大丈夫、か?)

 しばしの黙考の末、篤美はそう、自分自身に問いかけた。問いかけ、手持ちの衣類や小物などを思い出して、いけそうだ、と頷く。
 チャイニーズ・マフィアはもちろん、そこから見返りを受けていた某大物政治家だって、まだ彼女の口をふさぐ事を完全に諦めてはいないだろうが、あれから少し時間も経っている。それほど、篤美の顔をはっきりと覚えている者も少ないだろうし、わざわざ手勢を割いて血眼に探しても居ないだろう。
 篤美自身も経験があることだが、服装1つ、髪型1つを変えただけでも、人の印象というのはがらりと変わるものだ。よほど良く知る相手や印象深い相手、或いは特別に注意を払って探しているのでない限り、奴らに気付かれないに違いない。

(それに――もう、誰も巻き込むわけには行かない)

 脳裏に浮かんだ面影に、きり、と唇を噛み締めた。友人であり、仕事仲間であった男。件の某大物政治家の1件で、篤美の手には余ると協力を要請した結果、篤美と同じく命を狙われ殺された。
 それを知った時の後悔は、いつでも篤美の胸の中にある。そうして、時が経つほどその傷は、癒えるどころか深く刻み込まれていくから。
 あの時の二の轍は、絶対に踏まない。もう、誰も巻き込まない。――命を狙われるのも、殺されるのも、篤美だけで十分だ。
 だから、と胸に決意を固めて、篤美は速やかに、人目を忍んで動き出した。





 いつもと服装を変え、メイクを変えて、さらには念入りに髪型も多少いじって、篤美は久々に鳥井組の外に出た。だがその開放感を味わう前に、目立たないよう足早に本拠地である屋敷から距離を取る。
 そうしてやっと人心地ついてから、さてこれからどうしよう、と篤美は辺りを見回した。

(とりあえず歩き回ってみるかな)

 調べてみる、といっても何か有力な情報網があるわけではないし、ここという宛があるわけでもない。それでも幸い、前々から鳥井組の事はそれなりに知っていたから、どの辺りまでが組の勢力下に置かれているか、も解っていた。
 だから、まずはとにかくその中を、徹底的に歩き回るしかないだろう。その中で新たな事実にぶつかれば、そちらを調べてみれば良い。
 そう考え、歩き出した篤美の後を追って、慎重に距離を取りながら進む一団が居ることに、篤美はけれども気付かなかった。――いずれ篤美が無茶をすると予見していたのだろうか、彼女が外出するような事があれば護衛につくように、指示を受けていた組員である。
 それこそ毎日篤美と顔を合わせている彼らにとっては、多少変装したからとて彼女を見失うわけもなかった。まして勝手知ったるシマの中だ。
 だから密やかに、かつ効率的に篤美の後をつけて歩く、組員に気付かないまま篤美はひとまず、繁華街へと向かった。篤美がチャイニーズ・マフィアに追い詰められた、あの繁華街だ。
 その時の事を思い出すとまた、苦い思いがこみ上げてきたが、今は目の前の事件を調べたい、という気持ちの方が強かった。だから篤美はひとまず、そこらの喫茶店に飛び込んでみよう、と考える。
 こういう時の喫茶店は、今時の開放的なチェーンのコーヒーショップなんかより、地元に密着した、時には煙草の匂いが染み付いたような古びた所の方が良い。といってそういう店にはたいてい常連がついているから、いきなり飛び込むと逆に目立ってしまうのが悩ましい所だ。
 その辺りを鑑みて、篤美が選んだのはそこそこ古びた佇まいの、けれどもオープンテラスがあって多少開放的な雰囲気を持つ店だった。案の定、カラン、とベルを鳴らして店内に入った篤美に、カウンターの中でお喋りをしていたらしい店員がちらりと目を向けたけれども、すぐに意識を逸らしてくれる。
 篤美はカウンターからほどほどに距離があり、カウンターの声が良く聞こえる席を選んで腰を下ろした。水とお絞りを持ってきた店員に、適当にコーヒーを頼んでメニューを返し、窓の外を見ているそぶりで耳を澄ます。
 幸いあまりコーヒーにこだわりのない店だったようで、すでにサイフォンに入っていたコーヒーがそのままカップに注がれ、運ばれてきた。そうしてすぐにカウンターの中に戻って、お喋りを再開する。
 客商売としては決して褒められた態度ではないが、今の篤美にはありがたかった。だからその会話を、聞いているとは気付かれないように気をつけ耳を澄ませ、頭の中に叩き込む。
 それから、騒ぎがあったと報告された店舗へ。ここでも店員の会話や、客の話に耳を済ませて、次の店舗へ移動して同じことを繰り返す。

(――やはり、庭名か?)

 そうしているうちに、篤美の中でそんな疑いが首をもたげて、色濃くなっていった。とはいえ、何かの確証が得られたわけではなく、直感と、後はこの辺りで鳥井の向こうを張れるのは同じ極道の庭名会ぐらい、という基礎知識から導き出した情報に過ぎない。
 とにかく、少しでも情報が欲しかった。だから篤美はその日だけではなく、折を見てはこっそり――と彼女は思っていた――鳥井組を抜け出して、街を歩き回り、様々な話を聞いて回る。
 ――そんな彼女の『お忍び』に、毎回付き合っていたとある組員はしみじみ、己の体力不足を痛感したというが、それはまた別のお話。





 そんな風にまた、しばらくの時間が過ぎた。けれども篤美が納得できるまでの確証が得られないまま、鳥井組に再び騒ぎが持ち上がる。
 けれどもそれは、今までとは違って決して、取るに足りない、なんて言えないもの。組長の右腕、事実上のナンバー2だった若頭が、何者かに射殺された、という事件。
 だがこの訃報もまた、篤美には一連の騒ぎの延長線上にあるように感じられた。けれどもやっぱり、確信はあれども確証は、ない。

(必ず、真実を突き止めてやる)

 だから篤美はそう誓い、他の組員同様、さらに精力的に動き始めた。――混乱した状況の中に、一筋の光を見出す為に。





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 /  PC名  / 性別 / 年齢 /      職業       】
 8604  / 芹澤・篤美 / 女  / 28  / 鳥井組・事務兼会計監査

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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いつもお世話になっております、蓮華・水無月でございます。
この度はご発注頂きまして、本当にありがとうございました。

お嬢様の、新たな事件に足を踏み入れる物語、如何でしたでしょうか。
それでも動かずには居られないのが、お嬢様なのだろうなぁ、と思いながら書かせて頂きました。
ちなみに調査の間中、先を行かれるお嬢様を電信柱の影やら窓の外やらから、アイスとか食べながらわさわさ見守っている組員さん達を幻視しましたが、多分気のせいだと思います(こくり

お嬢様のイメージ通りの、決意と覚悟の始まりへと続くノベルになっていれば良いのですけれども。

それでは、これにて失礼致します(深々と