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希薄な絆
月上空。
無人新型機の試運転が行われていた。蝶の大群が及ぼすバタフライ効果を用いて時空を飛躍するためだ。
漂う無人機の下では数え切れないほどの蝶の群が波打っている。
その無人機を追跡しているのは、旗艦にいるあやこだった。
「順調のようね」
食い入るように無人機を見詰めているあやこ。そのあやこの目の届かぬ場所で、鍵屋智子がギャアギャアと喚き散らしていた。
「ぱぴよん波の何が凄いって、蝶の怒涛で時空を越えるのよ!!」
彼女の言わんとする言葉に追いつけない周りの者達は、深い嘆息を漏らしながらうんざりしていた。
そんなことなど露知らず、鍵屋の朗々たる演説は続けられている。
「艦長……。あの人何とかしてください……」
「これじゃ落ち着いて観測なんか出来ませんよ」
形振り構わず、あちらこちらに好き勝手ぱぴよん波の凄さを吹聴して回る鍵屋に対する苦情が、あやこのところに殺到し始めたのはそう時間も経たない内だった。
あやこは半ばイラついた様子で鍵屋に声をかける。
「鍵屋! いい加減にその演説やめなさい」
「何ですって!? こんな凄いことを知らなくて、よくぱぴよん波を使った観測なんて行えるわね!」
「だから、それは後で聞くから、今は黙っていて頂戴」
あやこは大袈裟なほど大きな息を吐き、苛立ったように頭を掻き毟った。
するとそこへ一人の乗員があやこの元に駆けつけてくる。
「艦長。臨時便が到着しました」
「臨時便?」
眉根を寄せて後方を振り返るとそこにはあやこの娘と、彼女を預けた里親夫婦が立っていた。
里親夫婦の顔はやややつれて、憔悴しているように見える。
「何……この忙しい時に……」
苛立つ感情を抑えきれず息を吐いてそう呟くと、里親夫婦はあやこに泣きついた。
「もう私達の手に追えないの。お願いだからこの子を引き取ってちょうだい」
「体力的にもう限界だ」
「はぁ?」
頓狂な声を上げて、まるで威嚇をするように声を上げると、里親夫婦は一瞬ビクリと体を震わせるも必死に食い下がる。
「お願いよ。もう本当に無理なの」
「……うるさいわね!! 分かったわよ! 引き取ればいいんでしょ!? 何なのこの忙しい時に信じられない!」
キレたあやこがそう叫ぶと、里親夫婦はヘコヘコと頭を下げて尾を巻いて逃げ帰った。
あやこは娘を、そのまま学童保育に預けると仕事へと戻る。
忙しくしている実母の背中を見送る娘の眼差しが恨みのこもったものであることに、彼女は気付かなかった。
「調子はどう? 順調に進んでいるの?」
すぐに仕事に戻ってきたあやこは、無人機の様子を訊ね、観測を続けた。
黙々と仕事が進み始めた矢先、あやこに一本の連絡が入る。何事かと連絡を取り次ぐと、学校の先生からだった。
『娘さん、家庭科室から見本のスカートを盗ったんです。お母さん、一体どんな教育をされているんです?』
教師の言葉を聞いたあやこのフラストレーションは一気に高まった。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません。あの子にはきちんと言い聞かせますので……」
まさか自分の中の苛立ちを、教師にぶつけるわけにもいかず、怒りを噛み殺しながらあやこは謝罪した。
その後、娘を捕まえたあやこは、彼女を自室へと引っ張っていくとその頬を叩き上げる。
「いい加減にして! 問題ばかり起こすのはやめてちょうだい! こっちは忙しいのよ!」
そうがなるあやこに、娘は彼女を睨みつけながら噛み付いてくる。
「何よ! 忙しいばっかり言って! 働いているのがそんなに偉いわけ!?」
そう反論してきた娘に、あやこも負けじと噛み付き返す。
「生意気なことを言うんじゃないわ。いいこと? 昔歌姫は娘を斬ったことがあるの。それはなぜか分かるでしょう? 自分を裏切り、陥れたからよ。今のあなたは私に同じように窮地に追い込もうとしている。これは本当にとても大事な仕事なのよ」
ぐっと声を落とし、歌姫の故事で娘を諭すと彼女は黙り込んだ。
もしかすると、自分も同じ目に遭わされる可能性もありそうだ。そう思うと納得せざるを得ない。
「……分かった」
こくりと一つ頷くと、そのまま娘は学校へと戻っていった。
娘を見送ったあやこの元へ、乗員が駆け寄ってくる。
「艦長! 無人機に異変が……」
すぐに駆けつけると、無人機は加速が止まらず、あやこの見守る前で激しい爆音を上げて爆散した。
問題は爆散したことよりも後始末だ。
「このままでは爆散の余波が地球を襲うわ! すぐに地球側の猛者と連絡を取って!」
その頃、懲りていない娘は再び盗みを働いていた。
盗ってきたドレスを身にまとい、母が使う訓練室に閉じこもり大暴れを始めたのだ。
エルフが棲む森林で暴れ回る翼竜を好き勝手にさせ、鬱憤を晴らした娘はその後飼育室に駆け込んだ。
鳥かごに閉じ込められた文鳥を見詰め、娘はぼそっと一人呟く。
「何よ。あの人は何にも知らないんだから……」
拗ねたように文鳥相手にそうごちた。
彼女は、この文鳥が輸送任務で地球へと運ぶ珍種だと言うことを知らない。
「分かりました。それなら、私が自らパピヨン波を撃ちます」
モニター越しに地球側の猛者と協議したあやこは、旗艦で蝶の群れを突破する結論を得た。
艦に及ぼす被害は覚悟上だ。
モニターに映し出されている猛者たちは、ぱぴよん波を制御するべく「ぱ〜〜ぴ〜〜よ〜〜ん〜〜波――ッ!!」と気合を溜めている姿があった。
「艦長! 娘さんが……!」
そんな頃、娘の失踪の知らせが飛び込んできた。
「何ですって!? 今度は何なの……っ!?」
愕然とした様子であやこが振り返る。
旗艦の突破は既に始められている。
あやこは急ぎその場から駆け出すと、禽舎に火の手が上がった情報を聞きつけた。
あやこはどこにもいない娘が、直感的にそこにいると感じて駆けつける。
燃え盛る火の手と鉄扉。
「……っざけんじゃないわ!!」
あやこは苛立ちに任せて必殺、鉄扉丸外しすると、中に鳥かごを抱いたまま倒れている娘を見つけ出し彼女を連れ出すと渾身のぱぴよん波を放った。
「はぁあああぁぁぁっ!!」
凄まじい勢いで空間が走り抜け、気付けば旗艦ごと時空を越えたあやこはホッと胸を撫で下ろす。そんなあやこの腕の中で目を覚ました娘は、ボロッと涙を溢れさせる。
「大丈夫? 大事無い?」
「なによ! こんな時に……っ! あたしがどれだけ寂しい思いをしたか知らないでしょ! 今日は、今日は私の誕生日だったのに……っ!」
娘を気遣う言葉も虚しく、そう切り替えされたあやこはハッとなった。
エルフの子は鸛が産む。だから実子でありながら誕生日など知らなかったあやこは落胆した。
「ごめん……。ごめんなさい。私が悪かったわ……」
力なく謝罪するあやこに、娘は泣きじゃくりながらそんな母にしがみついた。
「今からでも、一緒に祝ってくれるなら許してあげる」
そう漏らした言葉に、あやこは小さく頷いた。
希薄していた親子の絆は、この時から少しずつ固く結ばれていくのだった。
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