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ひとときの、夢のような。
ここは艦橋。女性陣が集まってのランチタイム、昼食をつつきながらお喋りに花を咲かせている。
「いやー、楽しかったわねー」
そう言ってけらけらと笑うのは、藤田・あやこ。
今は、三十三世紀の北米から引き上げるところだ。人間の夢を瓶詰めにする危険な技術を文明ごと滅ぼし、中世レベルにまで退化させてきた。そんな急襲に成功したあやこたちは、ご機嫌で押収物を眺めている。
人の夢を映す瓶、メアチューブ。映る夢は人の数、瓶の数だけあり、その内容は様々だ。
「やだー、これありえなーい」
「この人なんてこんな顔でこんなこと考えて! めっちゃうけるんですけどー」
他人の欲望は興味深い。深層心理を映す夢を覗き見る、そんなゴシップ的な楽しみにあやこたちは湧いていた。
と、そこへ内線を知らせる音が響く。雑談してすっかり気を緩めていたあやこはやや興を削がれたような表情をしつつ、受話器を取った。
「どうしたの?」
『救難信号を発信する船を確認。これより、回収します』
「了解。格納庫へ向かうわ」
内線を切り、あやこは手にしたままだったメアチューブをふと目の前にかざした。どんな色であれ、その夢はきらきらと輝いている。何とはなしに何度か傾けてみたりした後、それを机の上に置いてあやこは部屋を出た。
格納庫に着くと、嬌声が渦巻いていた。遭難した船を回収しただけではないのだろうかと、あやこが眉をひそめる。が、人だかりを押し退けて中心に行くと、その理由はすぐにわかった。
―――うわ……かなりのイケメンじゃない。
回収した船は大破していて、一見、生存者がいるかすら考え難いほどだ。だがその外に、ボロボロの人間がひとりいた。それが、人だかりの中心。あまり類を見ないほどの美貌を持つ――まさに、面食いのあやこをも唸らせる――青年だった。
「生存者は一名のみ?」
「はい」
「そう」
内心の動揺は表に出さず、あやこは神妙に頷く。そして、生存者の顔を見た。視線に気付いてか、青年も顔を上げる。不安のせいか、やや怯えたような眼差しを向けていた。あやこは安心させるように青年に向けて笑いかけ、それからクルーの顔を見回す。
「この人は私が保護するわ」
あやこがそう言うと、ブーイングのような声が上がった。流石はクルーだけあって、幾らあやこがポーカーフェイスを気取っていようと、内心の考えなどお見通し、ということか。
「艦長権限よ!」
胸を張ってあやこがそう宣言すると、クルーも納得するより他なかった。ぽかんとしている青年に歩み寄り、あやこは手を差し出す。
「私は藤田・あやこ。貴方の名まえは?」
あやこと青年のふたりは、船の甲板に出た。北米からはだいぶ離れ、辺りには海ばかりが広がっている。
話を聞くと、青年はとある時代から来た反政府指導者ということだった。革命で政府が倒されて一年足らずの国。大統領の失政で悪化した窮状に我慢の限界を迎えた反政府集団が、首都を占拠する勢いでデモを起こしている。治安部隊と反政府集団が衝突し、緊迫した状態が続いているらしい。
回収したからには青年を元いたところに送り帰してやりたいが、そうしたら艦が政治に巻き込まれる可能性があった。艦長としては当然、艦を守る責任がある。あやこは、どうしたものかと頭を悩ませた。
「すみません、ご面倒をかけてしまって」
「いいのよ。さて……」
首を捻り、と、がくん、と船が揺れた。突然の衝撃に、思わず膝を折ってしまう。
「何!?」
顔を上げたあやこが見たものは、波だった。驚くほど高い波が迫っている。あやこは顔を引きつらせ、咄嗟に青年を見た。
青年は波を前に、呆然と立ちすくんでいる。あやこは動けずにいる青年へと駆け出し、手を伸ばした。
しかしその手が届く前に、ふたりは波に飲み込まれた。
次に目が覚めた時、砂浜にいた。あやこはゆっくりと身を起こし、辺りを見渡す。
周りには、空と雲。何処をどう来てしまったのか。空中に浮かぶ島らしい。あやこたちのいる砂浜から、様々な南洋風の植物が見えた。もしかしたら、無人島かもしれない。
「あの人は!?」
あやこは立ち上がり、青年を探す。そう離れていない場所に、青年は倒れていた。傍らに膝をついて青年の頬をぺちぺちと叩くと、青年の瞼がぴくりと動く。
「大丈夫?」
「何とか……大丈夫です。って、わあ!」
ぱちり、と青年の目が大きく見開かれた。白かった顔が赤く染まっていき、あやこから距離を置くように後ずさりする。その視線は、あやこの恰好に釘付けられていた。
気付けばあやこの服は無く、下に着ていたビキニ姿となっている。あやこにとっては慣れた恰好だが、男性には些か目の毒になる程度には露出が高いか。怯む青年に、あやこが口を尖らせた。
「何よ」
「いや、そんな……そんな恰好、駄目ですよ」
「仕方ないでしょう。よくわからないけど、きっと流されたのよ。そんなことでガタガタ言わないでよ……嫁に向かって」
きょとん、と青年が目を瞬く。
「よ、嫁?」
「そうよ。船も無いし、連絡手段も無い。空に浮かんでいる島だもの、下に飛び降りたって死ぬだけ。だったら……ふたりで生きていくしかないじゃない」
言いながら、あやこが瞼を伏せる。言っている間に照れてきて、あやこの頬も微かに朱に染まった。そんな様子に、青年も落ち着きを取り戻したようだった。じっとあやこを見つめ、口を開く。
「潔い方ですね」
「そう?」
「……それもいいのかも、しれません」
あやこが顔を上げた。視線の先の青年は、穏やかな表情。先刻とは逆に瞬きを繰り返すあやこに、青年はふわりと笑みを浮かべた。
そうして、ふたりだけの生活が始まった。手続きを踏める状況でないため形ばかりだが、お互いの気持ちの上では夫婦として。
あやこは女らしくあろうとして、青年も良き夫となろうと努力した。とはいえ、出会ったばかりの者同士。いきなり距離を縮めようとしても、溝は深い。
共同生活を始めてしばらくして、砂浜に新しく流されてきたものがあった。
「私の船だわ!」
船も漂流していたのだろうか、砂浜に打ち上げられていた。あやこは顔を輝かせ、船へと駆け出す。が、途中見えない壁にぶつかり、尻餅をついた。
「何よ、この壁……」
手を伸ばすと、やはり壁のようなものがある。呼びかけてみるが、向こうには声も届かないようだった。しばらくそこで試行錯誤してみたが、壁を越える術は見付からない。やはり、しばらくはこの生活を続けなければならないようだった。
そんなある日のこと。無人島を散策していた時、ふたりは小さな建物を見つけた。木々に隠れていて遠目にはわからなかったが、神殿のような佇まいだ。ふたりが意を決し中に入ってみると、壁面に無数のアイコンがあった。
「見て……これ、島内のあちこちが映っているわ」
アイコンの写真は、今まで見てきた島の風景に見えた。そのうちのひとつに触れてみると、画像が動き出す。その動画には、あやこと青年の姿が映っていた。青年が驚きの声を上げる。
「どうして、こんな……」
「見られているのよ」
あやこは、メアチューブを思い出す。他人の夢を見ては勝手に楽しんで、喜んでいた。――今度は、あやこと青年が、その対象になっているのだ。
「くだらない……私たちがこの島から出られないようにしているのも、わたしたちを見て笑っている人たちの仕業って訳ね」
「そんな、どうしたら……」
「簡単よ」
つまらなさそうに、あやこが小さく息を吐く。きっ、と壁一面のアイコンを睨みつけた。
「つまらなくなれば、見るのをやめる」
その日から、あやこと青年は退屈な夫婦生活を演じ始めた。イメージは、倦怠期を迎えた夫婦。会話もなく、いっそあまり目も合わせないほど。あやこの読みは当たり、ほどなくして見えない壁は崩れ去った。
船に戻ると、クルーたちがあやこの帰還を喜んでくれた。落ち着いたところで、やれやれと青年と顔を見合わせる。
「色々悩むのが馬鹿らしくなったわ。遅くなったけど、貴方のいたところへ送ってあげる」
「……ありがとう、あやこ」
「戻ったら、またデモを続けるの?」
「そうだね。国にまだ、仲間はいるから」
「人のことにあまり口出しはしたくないけど、そんなのただの自己陶酔よ」
「そんなこと……」
「あるわよ。ただ平穏に暮らしたいだけの国民のことは無視でしょう?」
厳しい言葉をぶつけるあやこに、青年が黙り込んでしまう。しばしの沈黙の後、そうかもしれない、とぽつりと呟いた。
「他のやり方も考えてみるよ」
「そう」
あやこは短く返す。そして口元に笑みを浮かべ、親指をぐっと立ててみせた。青年が穏やかに微笑む。
数日後、青年は元いた場所へと帰った。風の噂によると、青年は皆に鎮静を呼びかけ、デモは収束していったという。
あやこは艦長室でひとり、書類を書く手を止めてぼんやりしていた。何気なく、机の隅に置いてあったメアチューブを手に取る。その中身に興味はもはや無いが、このように青年との生活が見られていたのか、なんて思い返してみた。
楽しかった、と思う。ぎこちない夫婦生活だったけれど、それなりに幸せだった。束の間のロマンスを想い、あやこはふっと小さく笑う。
メアチューブをゴミ箱に投げ捨てると、あやこは書きかけの文書に向き直った。
《了》
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