|
共闘指令
視界の隅で、何かが動いた。
フェイトは躊躇わず、そちらに拳銃を向けて引き金を引いた。
閑静な住宅街に、銃声が轟く。
民家の塀の陰で、1人の男が倒れた。
拳銃を手にした、黒服の男。ピクリとも動かない。心臓を撃ち抜いたのだ。生きているはずがない。人間ならば。
生きているはずのない男が、しかしムクリと起き上がった。
その左胸には、確かに銃痕が穿たれている。が、血は一滴も流れていない。
痛みすら感じていない様子で、男がフェイトに拳銃を向ける。
その銃口が火を噴く前に、フェイトは立て続けに引き金を引いていた。
銃声が連続し、黒服の男の身体が何度も揺らぐ。
揺らいだ全身に、いくつもの銃痕が生じた。
穴だらけになって、よたよたと揺らぎながらも、男は拳銃を手放さない。
その拳銃が、グシャリと潰れた。男の右手が、グリップも弾倉も引き金も一緒くたに握り潰していた。
バラバラと銃の残骸を払い落としながら、その右手がメキメキと巨大化してゆく。五指が太さを増し、カギ爪を伸ばす。
男の全身から黒服がちぎれ飛び、大量の筋肉と獣毛が盛り上がって来る。
人間の姿を脱ぎ捨てながら、男が牙を剥き、カギ爪を振り立て、フェイトに襲いかかった。
もはや拳銃をぶっ放すような事はせず、目の前の怪物をじっと見据えながら、フェイトは念じた。
怪物と化す事によって、男の肉体に穿たれたいくつもの銃痕は塞がり消え失せた。が、体内に埋め込まれた弾丸が消滅したわけではない。
いくつもの銃弾が、怪物の分厚い胸板の奥で、腹の内部で、フェイトの念動力を受けて猛回転を開始する。
カギ爪を備えた剛腕でフェイトを叩き殺す、寸前の姿勢のまま、怪物は硬直した。
硬直した巨体が、破裂したように飛び散った。内側から、ズタズタに切り裂かれていた。猛回転しながら荒れ狂う、銃弾たちによってだ。
大量の肉片を、さらに穿ち切り裂きながら、いくつもの弾丸がギュルギュルと回転し、あちこちに飛ぶ。
背後に、気配が生じた。
とっさに、フェイトは振り向いて拳銃を構えた。
その銃口が、1人の黒人男性の厳つい顔面に突き付けられる。IO2における、フェイトの上司であり教官でもある人物。
彼の握る拳銃も、フェイトの顔面に突き付けられていた。
黒人男性の太い腕と、日本人の若造の細腕とが、銃を握ったまま交差している。
眼前の銃口を意に介さず、教官がニヤリと笑った。
「あっちゃならねえ事だが……相討ち、ってとこかな」
「いえ……」
目の前の銃口をじっと覗き込みながら、フェイトは呻いた。その銃口の奥には、実弾が装填されている。
フェイトの右手の中で、グリップ内の弾倉は、すでに空っぽであった。怪物を相手に、撃ち尽くしてしまったのだ。
「何も考えずに撃ちまくってた……俺の、負けです」
「……ま、70点ってとこだな」
銃を下ろしながら、教官が採点をしてくれた。
住宅街を模した、IO2の野外訓練施設である。
長期休暇明けのフェイトに対する、実戦形式のテストだった。
「70点の奴を、100点になるまで育て直してやれる余裕が、今のIO2にはねえからな。あとの30点は、おめえ自身、実戦で取り戻すしかねえぞ」
「わかってますよ……こいつらに出番、盗られたくないですからね」
応えつつフェイトは、ちぎれて飛び散った怪物の屍を、ちらりと観察した。
ぶちまけられた肉片が、干涸び、ひび割れ始めている。
訓練用の疑似生命体、とわかっていても、あまり気分の良いものではなかった。
「錬金術で言う、ホムンクルスってやつの応用らしいな」
先日フェイトが、とある少女と組んで叩き潰した、虚無の境界の支部。そこから接収した技術で、IO2はこのような怪物を生み出してしまったのだ。
こんなふうに訓練に使われる、だけではいずれ済まなくなるだろう。実戦投入のプランは、すでに立案されているはずだ。
やっている事は、虚無の境界と大して違わないのではないか。
そう感じているのは、フェイト1人ではないだろう。教官の口調にも、同じような思いが滲み出ている。
「……見ての通りさ。うちの組織の方が、おめえ個人よりもずっと化け物じみた事をやってると、そういうわけだ」
干涸びた肉の残骸を眺めながら、教官はさらに言った。
「なあフェイト。俺たちはな、おめえが化け物でも一向に構わねえ。が……こいつらみてえには、なるなよ」
さらりと長い黒髪。人形のような美貌に、アイスブルーの瞳。ゴシック・ロリータ風の、黒っぽい衣装。
どこかで見た事のある少女の顔写真に、フェイトはじっと見入った。
「……何に見える?」
IO2の上司が、そんな事を訊いてくる。どれほど偉い上司なのか、フェイトはよく知らない。
あの教官より高い地位なのは間違いないであろう上司の質問に、フェイトはとりあえず答えた。
「……普通の、可愛い女の子に見えます」
「まあ、そうだろうな」
IO2本部の一室に、フェイトは呼び出されていた。
「その少女の周囲で、大勢の人間が死んでいる……いや、死んでいるというのとは少し違うかな」
魂を喰われ、廃人と化しているのだろう。
「とにかく、そのような事件が……確認されている限りでも、100年近く前から続いているのだ」
「100年ですか。じゃあ、この子もいい加減おばあちゃんに」
「そうではないから問題なのだよ。100年前から、その少女……と呼んで良いものかどうか、とにかくその姿は全く変わっていない。少女の姿をした、紛れもない怪物なのだ」
やはり、とフェイトは思った。あのような力を持った少女に、この組織が目をつけていないはずはないのだ。
「最近、その怪物がペンシルバニア州で目撃された……君が虚無の境界の支部を潰したのも、ペンシルバニアだったな」
見かけなかったか? と、この上司はフェイトに訊いているのだ。
行動を共にしていた、と正直に言うべきであろう。IO2職員として、報告は義務である。秘匿は重罪となる。
そんな事を考える前に、フェイトは言っていた。
「……知りません。ペンシルバニアと言っても広いですから。用件は、それだけでしょうか?」
「いや、ここからが本題だ」
上司の口調が、改まった。
「復帰後、初の任務である。君には、チベットへ飛んでもらう」
「チベット……ですか」
「イギリス支部のエージェントが1名、先行・現地入りしている。即出立し、合流するように」
(復帰早々、飛ばされるもんだなあ……)
ぶつくさと漏れそうになった文句を、フェイトは辛うじて呑み込んだ。
正規の航空便で中国まで飛んだ後、チャーター機に乗せられた。
ラサ市に降り立ったフェイトがまず感じたのは、チベット自治区という場所が、意外に都会であるという事だ。民族衣装らしいものを着た人々と、カジュアルな格好をした若者たちが、同じ区域を行き交っている。
そのような場所でも、黒いスーツの上下にサングラスという姿をした日本人の若者は、やはり目立つ。
「……まあ、どこでも目立つかな。この格好は」
ぼやきながら、フェイトはラサ市内を見回した。
IO2が動くほどの何がチベットで起こっているのか、詳しい事は知らされていない。合流予定のイギリス支部エージェントに訊いてみるしかない。
通行人たちが時折じろじろと、あまり友好的ではない視線を向けてくる。
こんな格好である。もしかしたら中国政府の公安関係者とでも思われているかも知れない。
愛想笑いを浮かべるしかないフェイトに、足音が1つ、近付いて来た。
|
|
|