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〜緑の絆〜
フェイト(ふぇいと)は、少々リラックスした穏やかな表情で空を見上げた。
ビルとビルの間からのぞく空は四角く切り取られ、不格好な近代絵画のようだった。
青さだけは絵の具にも出せない美しさだったから、フェイトは思わず目を細め、しばらく立ち止まってじっと見上げていた。
数日間にわたった任務が、つい先ほど終わったばかりだった。
次の任務まできっとたいして休息は与えられないだろうが、そんなものをあまり望んでいないフェイトとしては、この束の間の休息ですら多少持て余し気味である。
軽いため息をつき、また歩を進め始めた、そのときだった。
古ぼけたビルの隙間、人がようやくひとり通れるくらいの細い路地に、物に埋もれるようにして小さな人影がうごめいていた。
先ほど見上げた空と同じ色の、さわやかな青のワンピースに身を包んだ、可憐な少女だった。
彼女の前にそびえるのは、どう見てもゴミの山だ。
不釣り合いも甚だしい。
フェイトは興味をひかれて、そちらに足を向ける。
近付くにつれ、彼女が泣いているのに気がついた。
「どうかした?」
おどかさないように、静かに声をかけると、少女は涙にぬれた目でこちらを振り返り、震える声で訴えた。
「あのね…人形を探してるの…」
「人形?」
「私の人形…大事にしてたのに…ママが捨てちゃったの…」
言って、少女はまた泣き出した。
フェイトはハンカチを取り出し、汚れた彼女の顔と手をぬぐってやった。
「いっしょに探してあげるよ。きっと見つかるから、心配しないで」
少女は素直にこくんとうなずいた。
フェイトは目の前にうずたかく積まれたモノの山を見上げた。
粗大ごみから日常のごみまで、ありとあらゆるものが置き去りにされている。
たまに収拾には来るらしく、そこまでひどいにおいはしていない。
よいしょ、と小さくつぶやいて、フェイトは少女の隣りにしゃがんだ。
「どんな人形なのかな?」
「金髪で、緑の目をしてて…」
少女の説明を聞きながら、わずかに力を発動させて、人形の正確な姿を脳裏に焼きつける。
どうやら小さめのフランス人形のようだ。
人形も「モノ」だが、大事にされればされるほど、そこには魂が宿るという。
こんなにも惜しまれている物なら、何かが感じ取れるのではないかと意識を澄ませたそのとき、扉が取れた冷蔵庫の裏側から、わずかに思念が呼びかけて来た。
フェイトは周りのごみを崩さないように慎重にそちらに行くと、思念の元に手を伸ばして、人形を引っぱり出した。
「あっ! 私のお人形!」
少女が駆け寄って来る。
その手に人形を渡そうと差し出しかけたとき、ぞわりと背筋に寒気が走った。
「えっ…?」
思わず手をひっこめようとしたのだが、少女が人形をひったくるように奪って、胸の中に抱きしめてしまった。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
少女は太陽のような笑顔でお礼を言い、ひょこっと頭を下げて走り去った。
後に残されたフェイトは、不安を感じながらも遠くなっていく少女の後ろ姿を見つめていた。
数日後、同じ場所を通りがかったフェイトは、何の気なしにあのごみ収集所に立ち寄った。
すると、細身の女性があの人形を遠くの方に捨てている場面に出くわしたのだった。
女性の足元にはあの少女がいて、「捨てないで! 捨てないで!」と泣き叫んでいる。
少女の顔を見て、フェイトはぞっとした。
以前会ったときより数段やつれていたのだ。
まだ何日かしかたっていないのに、そのやつれようは異常だった。
フェイトはふたりに近寄った。
「あのときのお兄ちゃん!」
少女は相変わらずの泣き顔で、フェイトに走り寄って来た。
「お兄ちゃん、ママを止めて! あのお人形、また捨てちゃったの!」
フェイトは少女の頭にぽんぽんと手を置くと、女性に歩み寄ってたずねた。
「その人形は…」
「あれは不幸を運ぶ人形なんです」
女性は硬い表情でこう言った。
「あれが来てから、あの子は少しずつやせ細って、やつれてきました」
「あの人形は誰かからもらったものなんですか?」
「ええ、あの子の友達だった女の子から…その子は病気で先日亡くなって…形見としてもらったんです」
フェイトはまた、人形の思念が呼びかけて来ることに気付いた。
それはとても暗く、怨嗟に満ちていて、思わず頭を振って、振り払った。
「やつれていく理由はわかっているんですか?」
「ええ…どうも夜中にあの人形と遊んでいるようなんです。私たちが無理に寝かせようとしても、気が狂ったように遊ばなきゃと騒いで…」 やはりあの人形は「よくないモノ」のようだ。
フェイトはうなずき、人形には聞こえないような小さな声でひとつの提案を女性にした。
『どこにいるのぉ? 遊ぼうよぉ…』
時計の針が0時を回った頃、妙に舌足らずなエコーがかった少女の声が、部屋の中にこだました。
『今日は何をしようかなぁ…? かくれんぼぉ…? それともおままごとがいいかしらぁ…?』
闇の中、目を凝らしてみると空中にあの人形が浮いていた。
金髪をふわふわとただよわせ、光った緑の目であたりをうかがうように見回している。
その視界の中、すっと何かが横切り、人形がうれしそうににたりと笑いを唇で形作った。
『見ぃつけたぁ…あれ…?』
ふっと、人形の声が不自然に途切れる。
その目が警戒するように細められた。
『おまえは…誰だ…』
「俺はフェイト。君の友達はここにはいないよ」
『あの子を…どこへやった…?』
「さぁ? でも、もう君とは遊ばないってさ」
『そんなの…嘘だぁあああ…!』
人形が悪鬼の形相でとびかかって来る。
それをひらりとよけながら、フェイトは静かに語り続けた。
「君はもう病気で死んでしまったんだ。…死んだ者は、この世にはいられない」
『そんなことない…! まだまだまだまだ遊びたいんだもん…!』
「それはもうできないよ。君にはもう未来も時間もないんだから」
人形の攻撃を余裕の態でかわすフェイトが片手を振ると、そこに眠っている少女の姿が現れた。
人形がとたんに目を輝かせ、少女のそばに行こうとする。
だがその前に、フェイトが立ちはだかった。
『邪魔するなぁあああ!』
叫んだ人形をそっと受けとめ、フェイトはささやくように言った。
「この子は君の友達だ。だからずっと君と遊んでくれてたんだよ。でも、この子には未来がある。君は大切な友達の未来を奪ってしまうのかい?」
人形の緑色の瞳が揺れた。
ぎこちない動きで少女の方を見やり、『ともだち…』とつぶやく。
「遠く離れても、君とこの子は友達だ…ずっとずっとね…」
人形の身体から、かくんと力が抜けた。
フェイトの手の中で、それはさらさらと砂に変わっていく。
すべてが無に帰ったとき、フェイトは一度だけ眠っている少女を振り返り、かすかに笑ってこう言った。
「いい友達を持って、よかったね」
〜END〜
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