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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


土漠の国にて


 いきなり、声をかけられた。
「そこの貴方。そう、マフィアみたいな服装が今一つ似合っていない、童顔の貴方」
「……余計なお世話だ」
 サングラス越しに、フェイトは睨みつけた。
 そこに立っていたのは、フェイトと年齢のさほど違わない、1人の若い男だった。
 ひょろりと頼りない長身を、ゆったりとしたチベット民族衣装に包んでいる。その下に、ブリティッシュスーツを着用しているようだ。
 髪も瞳も黒いが、東洋人ではない。肌は小麦色で、チベット民族と言うよりは、南アジアの人種に近い。ただ整った顔立ちには、欧米人らしい彫りの深さが見られる。
 そんな顔に黒縁のメガネが掛かっており、うさん臭さを醸し出していた。
「貴方、景気の悪い顔してますね〜。まるで今の日本のよう」
「だから余計なお世話だって言ってるんだよ」
 無視するのが一番、と思いつつもフェイトは、つい会話の相手をしてしまっていた。
「悪いけど、俺は観光客じゃないんだ。物売りなら、他を当たってくれよ」
「いえいえ、お金を取ろうという気はありません。貴方があまり稼いでいないのは見ればわかります。IO2、お給料安いですからねえ」
 言いつつ黒縁眼鏡の若者は、携えている保温水筒を開け、中身をマグカップに注いだ。
「まあ、どうぞ。お近付きのしるしです」
「……今、IO2って言ったよな」
 差し出されたマグカップを、フェイトはとりあえず受け取った。ふんわりと良い匂いが漂う。ハーブティー、のようである。
「まさか、あんたが……」
「ロンドンIO2所属、ダグラス・タッカーと申します」
 黒縁眼鏡の若者が、にこやかに名乗った。
「どうぞ、ダグとお呼び下さい」
「IO2アメリカ所属……フェイトだよ」
 名乗りつつ、ハーブティーを一口すすってみる。
 ジンジャーの風味が、心地良い。他にハッカ、シナモンなども入っているようだ。
「……これ、美味いね?」
「そうでしょう。せめて気分だけでも景気良くいきませんと」
 ダグが微笑んだ。一癖も二癖もありそうな笑顔だった。
「先程はああ言いましたけど私、日本の景気はまだマシな方だと思いますよ? 例えばこの中国なんて酷いものです。まあ我が大英帝国も、あまり大きな事は言えませんがね」
「……うちの会社は、不景気には強い方だよな」
 言いつつフェイトは、ハーブティーを一気に飲み干した。
「景気悪くて人の心がすさんでくほど、IO2の仕事ってのは増えてくような気がするよ……ああ、ごちそう様」
 空になったマグカップを、フェイトは返した。
「美味かったよ。で、これって何のお茶?」
「ふふふ。英国淑女紳士のティータイムを優雅に彩るタッカー商会の新製品、冬虫夏草ハーブティーの試供品ですよ」
「とうちゅう……かそう……? って何だっけ」
 何やら不吉な響きを持つその単語に、フェイトは聞き覚えがあるような気がした。
「それでは今回の主役をご紹介いたしましょう!」
 そんな言葉と共にダグが、懐から自慢げに取り出したもの。
 それを見てフェイトは、自分の顔からサァーッと血の気が引いてゆく音を、確かに聞いた。
 小さなビニール袋の中で、芋虫が1匹、干涸びている。
 それが、まるで露出した臓物か何かのように、茸らしきものを生やしているのだ。
「うぐっぷ……」
 フェイトは口を押さえた。
 口内に残るジンジャーやシナモンの仄かな後味が、この上なくおぞましい不味さに変わった。
「健肺、強壮、抗癌効果……冬虫夏草の薬効には計り知れないものがあります。そこに生姜やシナモンをブレンドする事によって口当たり良く仕上げ、美味しさと健康の二兎をひたすら追い求めてみました。当商会自慢の逸品ですよ? フェイトさん」
 ダグの説明を聞いてなどいられず、フェイトは、ラサ市の路面に突っ伏していた。


「日本人は腐った豆を食べるのでしょう? トウフ、でしたか。あのネバネバと糸を引く汚らしい物体。あれより遥かにマシだと思いますがねえ」
 ダグが呆れている。
 間違いを指摘してやる気力もなく、フェイトは口直しのモモに齧り付いていた。
 ヤク肉と野菜を小麦粉の皮で包んで加熱した、チベット風の小龍包とも言うべき食べ物である。
 ラサ市内の道端で、IO2の若きエージェント2名は今、屋台に座っていた。
「……新製品とか言ってたよな。あんなもの、物流に乗せて売りさばくつもりなのか」
 10個目のモモをがつがつと食らいながら、フェイトは訊いた。
「やばい薬を広めるのと、大して変わらないんじゃないのか?」
「失敬な。冬虫夏草は、昔から正当な漢方薬・薬膳料理にも使われているのですよ。どこへ出しても恥ずかしくない、チベット地方の立派な特産品……なのですが最近は少々、不作でしてねえ」
 語りながらダグが、マグカップではなく瀟洒なティーカップを優雅に傾け、紅茶を飲んでいる。
 自前のティーセットを、この男は常に持ち歩いているようであった。
「お値段が、それこそ貴方の言う『やばいお薬』並みに高騰しているのですよ。たちの悪い偽物も出回っています。生産地でもトラブルが絶えません……人死にも、出ています」
「みんな、そこまでして欲しいのか。あんなものが」
 今はダグの懐に入っている、あのグロテスクな物体を思い出しながら、フェイトは言った。
 人が死んでいると聞いても、あまり心が動じない。そんな自分に、ぼんやりと気付きもした。この仕事にも慣れてきた、という事か。
「そのトラブルの原因究明そして解決が、今回の任務なのですよ」
「地元の官憲とかインターポールとかじゃなくて、IO2に回って来た。それなりの何かが、あるって事か」
「まあ私個人としてもね、実家のために、冬虫夏草の取引ルートは守らなければなりませんから……ちょっと公私混同ですか?」
「公私混同は別にいいけど、それを懐から出すなよ! せっかくのモモが不味くなる」
「フェイトさん貴方……もしかして、虫がお嫌いですか? いけませんねえ」
 黒縁眼鏡の下で、ダグの瞳がキラキラと輝き始める。
「例えば蜂をごらんなさい。カマキリを、蜘蛛をごらんなさい。余分なものを一切排除して、ただ獲物を捕らえる能力のみを追求しながら進化してきた、彼らはこの地球上で最も機能美に溢れた捕食者です。蝶々をごらんなさい。醜いものから美しい姿へと羽化してゆく、あの様式美! 蟻をごらんなさい。内輪もめもなく皆で働いて皆で子を育てる完璧な労働社会、資本主義的にも共産主義的にも見習うべきところは多いと思いませんか。ゴキブリを御覧なさい。彼らは人類などよりもずっと古い時代からムグムグ」
 ダグの口に、フェイトはモモを押し込んで黙らせた。


 ダグラス・タッカーが、IO2エージェントとして、いかなる能力を持っているのか。それは、まだ明らかではない。
 少なくとも、車の運転が上手い事はわかった。
「……いや、俺が下手過ぎるのかな」
 ぼやきながらフェイトは、ジープの運転席で毛布にくるまっていた。
 チベットの土漠で、夜を迎える事になってしまった。
 トラブルが起こっているという冬虫夏草の生産地までは、ラサからジープで7、8時間という距離であるらしい。フェイトとダグとでジープ2台に分乗し、向かう事になったわけであるが。
 アメリカの舗装道路に慣れきった自分の運転技術が、アジアの奥地では全く通用しない事を、フェイトは認めざるを得なかった。
 土漠の悪路をものともせずに駆けて行くダグのジープに、フェイトはついて行けなかった。
 無理矢理について行こうとした結果が、これである。自分のジープを、フェイトはものの見事にパンクさせ、修理に悪戦苦闘しているうちに夜を迎えてしまったのだ。
 お手伝いしましょうか? と言うダグを、フェイトは先に行かせた。つまらぬ意地を張ったものだ、と今は思う。
 ダグは今頃、すでに目的地に到着しているだろう。
 修理はどうにか終わった。明日、追い付くしかない。夜間にこの悪路を進むのは自殺行為だ。
 それよりも、気になる事が1つある。
 そう思いながらフェイトは、助手席に置いてあるトランクを、ちらりと見やった。
 サンプルの冬虫夏草が、何本か入っている。
 このような大事なものを自分に預けて、ダグは先に行ってしまった。
 彼の話では、麻薬並みに値段が高騰しているらしい。人が死ぬほど苛烈な奪い合いが、行われているらしい。
 そんな品物が、自分の手元にある。そして今は夜。決して治安が良いとは言えない、土漠の真ん中。
 案の定であった。
 複数の敵意が、近付いて来ている。
 敵意ある者たちが、周囲の岩陰に潜んでいる。
 犯罪組織。強盗団。そういった輩であるのは間違いない。
「……これが、狙いか? だとしたら、ちょうどいいな」
 通じるかどうかわからぬ日本語を発しながらフェイトは、毛布の下で拳銃を握った。
「ダグの奴、どうも何か知ってるくせに隠してるっぽいからな……あんたたちに、いろいろ訊いてみるとしようか」