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<東京怪談ノベル(シングル)>


その鷹は魚を育む
 アラスカの湖上にて、艦隊旗艦は停泊していた。
 ハープの電磁波を浴びた影響で電気系統をやられてしまったようだが、原因の詳細は不明である。
 猛暑のバーチ湖に不時着してから、すでに半月もの時間が経過していた。耐えかねた艦長から、綾鷹・郁に一つの指令が下される。
 月刊アトラス編集部編集長、碇・麗香の招聘。
 この時代、ハープは都市伝説の定番である。月刊アトラスといえば、有名なオカルト雑誌。餅は餅屋、というわけだ。

 郁はそれから自室に篭り、麗香と連絡をとるようになった。今日もまた、麗香に宛てメールを送信する。
 部屋の至るところに麗香のグッズが置かれ、本棚にはアトラスが全巻みっちり詰め込まれている。壁に貼られているポスターに描かれている姿も、やはり麗香のものであった。
 机の上には、麗香の姿を模した着せ替え人形が鎮座している。精密に作られたそれは、世界に一つだけしか存在しない郁の手製のものだ。
 不意に室内に、メールの受信を知らせる音が響いた。液晶画面で、麗香に似たキャラクターが蠢きながらメールの内容を朗読し始める。
 郁はその言葉一つ一つに耳を傾けながら、愛しげに画面を指先で撫でた。

 ◆

(きてる! ほ、本物だわ……!)
 その人影を目にした瞬間、嬉しさのあまり郁は僅かに飛び跳ねてしまった。
 ついに、憧れの碇・麗香が来艦したのだ! 落ち着けというほうが無理な話だだろう。自然と笑みがこぼれ、郁の頬が朱に染まる。
 まるで恋をする乙女のようなその姿に、対面した麗香は僅かに眉を寄せた。しかしすぐにいつものクールさを取り戻し、調査を始めて行く。
 そんな麗香の後を、ついて回る一人の少女の姿があった。無論、綾鷹・郁その人である。
「アトラス、いつも読んでます!」
「面白い雑誌でしょ?」
「はい! 先月出たやつでは、特に三十六ページ目が面白くて……」
 郁は何度も読み返した雑誌の感想を、流暢に語っていく。麗香が不意に話題に出した怪奇現象が、どの号に書かれていた事かもぴしゃりと見事に当ててみる程の愛好家っぷりだ。
「……随分と詳しいわね」
 けれど、語りすぎてしまったのか、少々訝しげに麗香の眉がひそめられしまった。慌てて郁は首を横に振り誤魔化そうとするが、動揺したせいか思うように言葉が出てこない。
 二人の間に、少しだけ気まずい沈黙が流れた。気を取り直し、別の話をしようと郁は身を乗り出す。
 そんな時だ。彼女のスカートのポケットから、何かがこぼれ落ちたのは。
 それは、一体の人形だった。まとめあげられた茶色の髪に、黒い瞳。少しキツ目な印象を受ける鋭い瞳。キラリと光る眼鏡。
 作った者の器用さが見てとれる、あまりにも精密なその人形の姿は、麗香の姿と瓜二つであった。
「こんなものを持ってるなんて……それに、さっきから私について詳しすぎると思ってたわ。あなた、ストーカー?」
「ちがっ……」
「変態!」
 言い訳の言葉は、麗香の冷たい視線に遮られた。顰められた眉が、郁を責める。
 それに、何も違わない。手作りの着せ替え人形も、部屋を埋め尽くす彼女のグッズも、確かに存在している。
 麗香の事を考え、麗香に憧れ、麗香からの返信をドキドキしながら待っていたあの時間は、決して嘘ではないのだ。
 二人の間に、嫌な沈黙が落ちる。ぴりぴりとした気まずい空気を打ち壊す術が見つからず、郁は胸中で大きな溜息をついた。

 外に出て風に当たる事にした郁達の間に、会話はない。亀裂は深まる一方であった。
 不意に、二人は湖に不穏な影がある事に気付く。
 その正体は、怪魚であった。下手をすればこの艦すらも飲み込んでしまいそうなほど、恐ろしく巨大な怪魚。
 郁は武器を取り出し、その巨体へと向ける。威嚇する……だけのつもりだった。
(――しまった!)
 けれど、誤って指を滑らせてしまう。怪魚の体を、光線が焼きつくす。
 悲鳴すらあげる事もなく、怪魚は動かなくなってしまった。
 普段なら、こんなミスなどしないはずだ。麗香に怒られ、動揺していたのだろうか。
 呆然とする郁。そんな彼女に怒声を浴びせようとした麗香だったが、ある事に気付き目を細めた。
「この怪魚、妊娠してるわ」
 その言葉に、郁は驚く。そして次に麗香が発した続きの言葉には、更に目を丸くする羽目となった。
「帝王切開をしてちょうだい」
「あたしが!?」
 怪魚を相手に帝王切開など、経験した事はない。だが、他に良い方法はなさそうだ。
(ええい、やっちゃるもん!)
 慎重に、光線を怪魚の腹に当てる。持ち前の器用さのおかげか、難なく作業は進んで行った。
 子供は、無事に産まれた。二人は安堵の息をつく。
 しかし、ホッとしたのも束の間。新たな困難が彼女達の前に立ち塞がった。
 どうやらこの怪魚――
「あなたの事を、母親だと思ってるみたいね」
「勘弁してよ……」
 こんな大きな子供、どうすればいいと言うのだ。
 困惑する郁の事など露知らず、怪魚の子供は無邪気に彼女の近くをぐるぐると泳ぎ始めた。

 結局、怪魚の子供は機関部に棲みつき始めてしまった。
 恐らく怪魚の母親が向かっていた方向に巣があるはずだという麗香の指摘に、郁も同意する。
 問題は、『離乳』の手段であった。怪魚の餌は、電気らしい。艦の電気系統がやられてしまったのも、怪魚達が貪っていたのが原因だったのだ。
「餌を不味くすれば? 電気に雑音を混ぜたりして」
「そうね、やってみましょう」
 あれだ、これだと意見を出し合い色々と試している内に、怪魚はなんとか船から巣立っていった。彼女達はホッと胸を撫で下ろす。
 怪魚の子供はしばらくは名残惜しそうに郁の傍を離れようとしなかったが、やがて通りすがった仲間の姿に誘われるようにその場を離れていった。
 ようやく、今回の事件が終わりを告げる。郁はホッと一息をついた。
「子供が離れて寂しい? 郁お母さん?」
「なっ!? がらかわんけんでくれんね!」
 悪戯っぽく微笑みからかってくる麗香に、郁は顔を赤く染めながらも言い返す。麗香はそんな彼女の様子に、おかしそうに笑った。しばらくはぷりぷりと怒っていた郁も、その内麗香の笑顔につられ笑みをこぼす。
 子育ての苦労を共にしたおかげか、二人の間にもう先刻のような気まずさはなくなっていた。
「お母さん……か」
 不意に、郁が視線を落とし呟く。そして、改まって麗香へと向き直ると、ぺこりと頭を下げた。ふわふわとした茶色の髪が揺れる。
「ストーカーしちゃって、ごめんなさい」
 郁の素直な謝罪に、麗香は少し驚いたようだった。けれどすぐに何かを察し、問いかける。「……理由がありそうね」
 ぽろり、と郁の瞳から涙が零れ出た。
 郁は孤児だった。本当はただ、……淋しかっただけなのだ。
 事情を知った麗香が、郁の事を手招いた。そして、そっと彼女を抱き寄せ頭を撫でる。
 そこには、いつもの女王様の姿はない。まるで我が子を慈しむような、優しげな麗香の瞳がそこにはあった。
「……ママ」
 また一粒、少女の瞳から涙が零れ出た。
 母を失ったあの怪魚も、今頃淋しさに鳴いているのだろうか。それとも、仲間のおかげで心の傷を癒せているのだろうか。――今の自分のように。
 束の間の『母親』の温もりに郁は安堵するかのように微笑み、麗香の体を抱きしめ返した。