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<東京怪談ノベル(シングル)>


黄金の夢


 カリフォルニア・ゴールドラッシュ。
 後世そう呼ばれる事となる、狂乱の時代。
 アメリカ全土から大勢の人々が、金鉱を求めて、この地に集まって来た。
 そんな流れ者の探鉱者たちの中に、アデドラ・ドールの両親もいた。
 父は、身体が大きく、少し荒っぽく、だが優しい男だった。
「お前はこんなに可愛いのに、俺みたいな貧乏人のとこに生まれちまって……」
 それが、父の口癖だった。
「待ってろよアデドラ、もうちょっとで金が出る。そうすりゃ俺は金持ちの大旦那、お前はお嬢様だ! 貧乏人の娘じゃない、本物の貴婦人だぜ」
 そんな夢のような話を、目を輝かせながら本気で口にしていた父。
 親分肌で、坑夫の集落では顔役として慕われていた父。
 その父が、採鉱中の事故で命を落とした。
 坑夫たちは父を慕ってはいたが皆、金鉱をあてにして、ぎりぎりの生活をしていた。働き手を失った一家の面倒を見る余裕など、誰にもなかった。
 だからアデドラの母は、苦渋の選択をしなければならなかった。
 いや違う、とアデドラは思う。母に選択をさせたのではない。自分で、決めた事だ。
 母だけではない。幼い弟と、妹もいる。家族のためにアデドラが出来る事など、1つしかなかった。
 だから、人買いが集落にやってきた時、自分から名乗りを上げたのだ。
 母はアデドラを抱き締め、長い間、泣いていた。
 金が出たら、買い戻してやれるから。坑夫たちは、そんな頼りない事を言って慰めてくれた。


「後悔は、していないのかい?」
 馬車に揺られながら、男が言う。身なりの良い、紳士風の男。
 だが、その目の奥で冷たく輝く毒蛇のような眼光を、アデドラは見逃さなかった。
 馬車の中でアデドラは今、この毒蛇のような男と2人きりであった。
 自分は、この男に買われたのだ。何をされても受け入れ、受け流すしかない。
 そう思い定めながら、アデドラは答えた。
「後悔したら……あたしを、帰してくれるの?」
「意味のない質問だったな」
 毒蛇の視線が、アデドラの全身を舐めた。
「君のような美しいお嬢さんを、金のために手放すとは……まったく愚かな連中だ」
 男が、嘲笑う。
「そうまでして、この地にしがみつこうとする……出るかどうかもわからぬ黄金に、しがみつこうとする。まったく哀れな者どもだ。黄金など我々の手にかかれば、いくらでも生み出せると言うのに」
 毒蛇のような眼光が、ギラリと強まった。
「だが我々は、それをしない。黄金などよりも、ずっと価値あるもののために……お嬢さん、君が必要なのだよ」
「あたし、どこへ連れて行かれるの?」
 男が何を言っているのか全く理解出来ぬまま、アデドラは訊いた。
「どこへでも行くし、何でもするわ……わけわかんない話で不安にさせるの、やめて欲しいんだけど」
「君の行く先は、永遠だ」
 わけのわからぬ話を、男はやめてくれなかった。
「大勢の男の相手をさせられる、とでも思っているのだろう? そんな事はないから安心すると良い。我々の目的は、君の肉体ではなく……その美しい魂と生命そのもの、なのだよ」


 インディアンの少年がいた。
 彼は白人の集団によって家族を殺され、その復讐に燃えていた。生きて復讐を成し遂げたい、と思っていた。
 黒人の若者がいた。
 彼は奴隷仲間を助けるために白人の地主を殺し、逃亡中であった。
 同じように虐げられている大勢の黒人を、1人でも多く助けたい、と願っていた。生きて、戦い続けなければならなかった。
 白人も、いないわけではなかった。開拓民の若い男女。苦難を乗り越えて結ばれたばかりであり、これからも生きて幸せを掴みたいと願っていた。
 他にも、大勢の人々がいた。人種も年齢も、様々だ。
 皆、生きたいと願っていた。
 その願いが、アデドラの中に容赦なく流れ込んで来る。
 何をされても受け入れ、受け流す。そう思い定めた、つもりでいた。
 受け流す事など出来ぬまま、アデドラの心は今、打ち砕かれそうになっていた。
 声が、聞こえる。
「思った通りだ。これは、素晴らしい器になるぞ」
 毒蛇のような目をした、あの男。どうやら仲間がいるようだ。
「荒れ狂う魂を、生命を、余さず受け入れる器。探し出すのに、苦労したぞ」
「これで、出来る……今度こそ、完成する」
「いいぞ、これだけの人間の命を使えば……」
「我らの手で、作り上げる事が出来る……賢者の石を!」
 洞窟であった。
 岩場の上で、その男たちは嬉しげな声を発している。地下一面で燃え盛る炎を、見下ろしながら。
 その炎の中で、インディアンの少年と黒人の若者が、開拓民の夫婦が、他大勢の人々が、苦しみ叫びもがきながら灰に変わってゆく。
 アデドラは、洞窟の天井から鎖で吊られていた。
 痛々しく吊り下げられた少女の細身に、形のないものが群がり、ぶつかって来る。無理矢理に入り込んで来る。燃え盛る炎の中から噴出する、様々な思念の嵐がだ。
 生きたい。ただ、それだけの思念だった。
(お父さん……お母さん……)
 両親を、アデドラは思った。幼い弟と妹を、懸命に思い浮かべた。
 豪快で頼もしい父の姿が、美しくたおやかな母の笑顔が、愛くるしくはしゃぐ弟と妹が……アデドラの頭の中で、無惨に押し潰されてゆく。
 インディアンの村に押し入り、銃をぶっぱなして殺戮に荒れ狂う、白人たちによって。
 仲間を救うために鎖を振るい、地主を叩き殺さんとする、黒人の若者によって。
 荒野の岩陰で、嵐をやり過ごしながら愛の営みにふける、若い男女の切なく狂おしい思いによって。
 あらゆるものがアデドラの中で荒れ狂い、溢れ出した。
 吊られた少女の周囲で、洞窟の中の風景が歪んだ。その歪みが、いくつもの人面を成した。
 毒蛇の目をした男が、その仲間たちが、岩場の上で何やら慌てふためいている。
 いくつもの人面が、彼らをズタズタに食いちぎった。
 凄まじい不味さだけを、アデドラは感じていた。


 どのようにして洞窟から脱出したのかは、覚えていない。
 とにかくアデドラは、とぼとぼと帰り道を歩いていた。
 集落へ帰る。出来る事は、それしかなかった。
「お母さん……」
 父はもういない。が、母は優しくアデドラを迎えてくれるだろう。弟と妹も、飛びついて来てくれるだろう。坑夫たちも、自分の帰りを喜んでくれるだろう。
 自分には、帰る場所がある。
 そう思いながら、アデドラは足を止めた。
 集落が、燃えている。
 母も、弟と妹も、坑夫たちも、木の杭に縛り付けられていた。
 皆、酷い姿をしていた。生きていないのは一目でわかる。
 杭に縛り付けた屍を、儀式めいた手つきで切り刻みながら、踊り狂っている者たちがいる。
 インディアンの集団だった。
 ここは元々、彼らの村だったのだ。
 ある時そこへ、探鉱者の一団が押し入った。
 殺戮に荒れ狂う白人たちの姿が再び、アデドラの脳裏に甦った。
 黄金の夢に取り憑かれた、白人の探鉱者たち。その先頭に立って銃をぶっ放しているのは、アデドラの父だった。
 これで、この土地は俺らのもんだ。ここから出る金は、俺らのもんだ。待ってろよアデドラ、もうちょっとで俺は金持ちの大旦那、お前はお嬢様だ! 貧乏人の娘じゃない、本物の貴婦人だぜ。
 そう言いながら父は嬉々として、インディアンの母子を撃ち殺していた。
 正当な報復が今、行われた。それだけの事なのだ。
 自分に、誰かを憎む資格はない。
 そう思いながらアデドラは、辛うじて生きていた自分の心が死んでゆくのを、ゆっくりと感じていた。
 荒れ狂うものたちを、心に繋ぎ止めておく事が、出来なくなった。
 生きたい。魂が欲しい、生命が欲しい。
 それら声にならぬ叫びが、少女の全身から溢れ出す。
 風景が歪み、おぞましい人面を成し、凶悪に牙を剥いた。
 踊り狂っていたインディアンたちが、アデドラに槍を向け、弓を引き、斧を構えている。
 魔女。そう叫んでいる彼らに、人面の群れが襲いかかる。食らいつく。
「不味い……」
 魂の味を、アデドラは心で、全身で、感じていた。


 旅、などという格好の良いものではない。
 アデドラ・ドールは、ただ彷徨っていた。荒れ狂うものを、心の内に閉じ込めたまま。
 それらの求めに応じて時折、人の魂を奪い食らった。結果として人助けになった事も、ないではなかった。
 アデドラ自身は、どうでも良かった。心が死んだまま、魂の不味さだけを感じながら、彷徨い続けた。
 カリフォルニア・ゴールドラッシュの時代から150年以上を経た、ある時。
 ペンシルバニアの森の中で、アデドラはその若者と出会った。
 翡翠の色の瞳が、じっとアデドラを見つめている。
「読めないわ……何も、見えない」
 思った事を、アデドラはまず口にしてみた。
「暗く、汚く、濁っていて……何も、見えないわ」
「汚く濁ってる、か……そりゃそうだ。俺、バケモノだから」
 若者が、苦笑している。
「だから、俺なんかには近付かない方がいい……家に帰りなよ、お嬢さん」
 帰る場所など、とうの昔に失われている。
 そう言おうとしたアデドラだったが、口から出たのは別の言葉だった。
「……帰るわ。貴方と一緒に」
 何故そんな言葉が出たのかは、アデドラ自身にもわからない。
 ただ、見えたのだ。若者の、翡翠色の瞳の奥に。
 暗く、汚らしく濁り渦巻くものに押し隠されながらも、懸命に輝こうとしている何かが。
 瞳と同じく、美しく翡翠色に輝こうとしている、何かが。
 それを見たい、とアデドラは思った。思った事を、口にした。
「……あたしに見せてよ、貴方の魂を」