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<東京怪談ノベル(シングル)>


紫苑・桜は、今日も饒舌に愛を語る。
 相手の浮気を問い詰めたかと思えば、すぐに機嫌を直し愛を語る。辺りに大きく響き渡るのは、そんな少女の声。
 病院の待合室、楽しげに談笑する声は止む事を知らない。会話の内容からして、少女と相手はとても親しげな関係だという事が分かる。恋人、或いは夫婦といったところだろうか。
 けれどどういう事か、そこにいるのはテレビの前で微笑む少女、紫苑・桜ただ一人だけなのだ。

 台車を操り器用に診察室へと入ってきた桜を、医師が迎え入れる。様々な障害を持ちながらも、桜は大変活発であった。口を器用に使い、自立した日常生活を送っている。
 診察が始まり、桜は楽しげに医師と話を進めていく。けれど、医師が待合室での彼女の独言について尋ねると、急に顔色を変えた。
「あれは秘密です!」
 先程までの楽しげな様子はどこにいってしまったのか。機嫌を損ねた桜は、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
 どうやら、独言の件は桜にとってあまり触れてほしくない事のようだ。
 慌てて、医師は話題を変える。桜との距離を測りながら、医師は少しずつ対話を進めていく。桜も、だんだんと医師に対し警戒心を解いていった。
 やがて少女の怒りはしずまったのか、少し照れくさそうに頬を染め、彼女は秘密を打ち明かす。
「私、実は彼と婚約中なんです」
 はにかみながら、告げる少女。彼というのは、テレビに映っていた芸能人の事であった。芸能界に疎い者でも一度は名前を聞いた事があるだろうと言われる程に、今話題の売れっ子俳優だ。
 彼は自分の夫であり、テレビ越しに夫婦の会話をしているのだ、と彼女は言う。先刻のあれも、夫婦の団欒の時だったのだ。
 彼女はそれから、楽しそうに『夫』についての話をした。彼と普段どんな話をしているかという事、彼が女優と共演していると憤ってしまってよく喧嘩をしてしまうという事。実に幸せそうに、桜は語っていく。
 桜の相手は芸能人だけではない。他にも、複数の者と婚約しているのだという。
(……ふぅむ。この症状を、どうやって治療すべきか)
 医師は桜にバレぬよう、こっそりと頭を悩ませた。

 詰所にいる男の事を、桜はニコニコと嬉しそうに眺めている。そして、口を開き、大きな声で相手に対し言葉を奏でた。
 男は、彼女の主治医である。桜は主治医とも婚約したのだ。
 彼の仕事っぷりを、桜は褒める。一方通行の歓談は続いていった。彼女にとって、穏やかな日常が流れていく。
 けれど突然桜は、怒りをあらわにし文句の言葉を口にし始めた。
 視線の先にいる彼の隣には、若い看護婦の姿があった。桜の夫達は、皆浮気者でいけない。すぐに他の女達と仲良さそうにするのだ。
 烈火の如く怒っていた桜。けれど、主治医が回診にくると途端に上機嫌になり、笑顔で迎える。
 桜は、現実と病気の世界を身軽に遊泳していた。実に自由に。実に、幸福そうに。

 彼女の症状を何とかして治療しようと、医師は様々な努力をした。けれど、上手くはいかなかった。
 そして、治療していく内に、彼女の住む世界は桜にとって大切なものであるという事を医師は悟る。
 彼女にとっては、現実も病気も同質。この世界は、苦しい闘病の末にやっと得た、彼女の生き甲斐だっだのだ。
 最初の頃に彼女が怒ったのは、この世界を汚され、没収される懸念があったからだ。故に抵抗し、守ろうとした。
 それほど桜にとって、この世界は大切なものだった。他人が、無闇に取り上げて良いものではないのである。
 桜の診察が始まる。今日もテレビの向こうの彼とたっぷりと夫婦の会話を楽しんできたようで、彼女はひどく上機嫌であった。
 少女は色々な話を紡いでいく。先日見た映画の事、描いた絵の事、そして大好きな婚約者達の事。時々脈絡もなく話が飛びながらも、楽しげに。
「彼らの事が、好きなんですね」
 医師の言葉に、桜は満面の笑みを浮かべ頷いた。
「はい!」

 桜は、今日も台車で器用に病院内を移動して行く。ふと、少し離れた先に例の医師がいる事に彼女は気付いた。
 桜と医師の目が合う。ふわり、と愛らしい微笑みを浮かべ、少女は囁く。
「大好きよ、あなた」
 紫苑・桜は、今日も饒舌に愛を『騙る』。現実と病気の世界を、悠々と行き来する。
 けれど、この世界こそが、桜の大切な、桜の国(せかい)なのだ。