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<東京怪談ノベル(シングル)>


妖花、芽吹く


 まるで下手くそなダンスを踊っているかのような格好で、その少女は固まっていた。
 すらりと綺麗な手足を、おかしな方向に跳ね上げたまま、石像と化している。
 滑稽なほど情けない姿で地面に転がる石の美少女を、セレシュはとりあえず引きずり起こしてやった。
「よっこい……しょういち君……っとぉ」
 自立不可能なポーズの石像を、近くの大木に寄りかからせてやる。
 石化した全身に付着する土や落ち葉を、セレシュは素手で払い落としてやった。
「ったく、重たいっちゅーねん。難儀なやっちゃで、ほんま」
 引きつった間抜け面のまま硬直している、石の少女の美貌。その額の辺りを、尺取りナメクジがうねうねと這っている。
 それをセレシュは、人差し指でピシッと弾き飛ばした。
「まぁ一番、難儀なんは……何でもかんでも石に変えてまう、うちの力なんやけどな」
 ぼやきながら、腕組みをして考える。
 魔力が尽きると石像に戻ってしまう、この少女が、一体何者であるのか。
 ストーンゴーレムに分類しても良いが、ゴーレムと違って自意識がある。付喪神、と呼ぶべきであろう。
 何であれ、この存在を作り出してしまったのはセレシュ・ウィーラー自身である。責任を持って、面倒を見なければならない。
「ペットと同じやな、まったく……犬に服着せるんはアホのやる事やけど、これには服着せたらな」
 着用しているフリル付きワンピースまでもが石化し、ひび割れ、ボロボロと剥がれ落ちている。
 そんな状態の石像少女に向かって、セレシュは方手をかざした。
 石像なのに柔らかそうな胸の深い谷間や、ふっくらと形良い左右の太股が、かなり際どいところまで見えてしまっている。だが珍妙な形に手足を跳ね上げたポーズのせいで色っぽさはまるでない石像の全身に、セレシュの片手から光が降り注いだ。淡く輝く、白魔法の光。
 その中で、ボロボロに砕けていた石のワンピースが、ゆっくりと修復されてゆく。欠落していたフリルが、再生してゆく。
 再生したワンピースが、石の半裸身を包んでいった。
 せっかく修復してやっても、はしたない開脚姿勢のまま固まっているせいで、下着は丸見えである。
 人目があるわけではないので、セレシュは放っておく事にした。


 魔力というものは、自然に回復してはゆく。
 だがそれは恐ろしく時間がかかる。水滴のしたたりで、50メートルのプールを満たすようなものだ。
 付喪神の少女が、どうにか石化状態から復帰してくる兆しを見せ始めたのは、そろそろ夜が明けるかと思われる頃であった。
「お……姉……さま……」
 おかしなポーズで木にもたれた格好のまま、少女の石像が微かな言葉を発する。
「た……すけて……お姉様……」
「調子こいとると、そうゆう目に遭うっちゅう事。よう肝に銘じときや」
 セレシュは、まず小言を言った。
 動けぬ少女をじっと見張りながら、森の中で焚き火を燃やし、野宿で一夜を過ごしたところである。
 当然、一睡もしていない。
「ま、徹夜仕事なんぞ珍しくもあらへんけどな……」
 ようやく口をきけるようになったものの、動けるようになるまで下手をするともう1日かかりそうな少女の身体を、セレシュはそっと抱き締めた。
「今回は特別に助けたるわ。魔法教えた、うちにも責任あるさかい……な」
 白い光が、セレシュの細腕から石像へと流れ込んで行く。魔力の注入。
 セレシュは一瞬、気が遠くなった。
 その一瞬の間に、形が逆転していた。
 ふっ……と気絶しかけたセレシュの身体を、柔らかな感触が包み込んでいる。
 一瞬前までは石像であった少女の、豊麗な胸と、たおやかな左右の細腕。
「一睡もせず……夜通しで、見守っていて下さいましたの?」
 涼やかな囁き声が、セレシュの耳元をくすぐった。
「その上、魔力を他人に分け与えるなど……無茶が過ぎますわ、お姉様。本当に、倒れてしまいますわよ?」
「人を心配するような台詞……ようやっと、吐けるようになったんやなあ」
 石像ではなくなった少女の腕を、セレシュはやんわりと振りほどいた。
「成長したもんや。偉い偉い……あとは『ありがとう』を言えるようになるのが課題やな」
「そのような軟弱な言葉……私、死んでも口にいたしませんことよ」
 付喪神の少女が、ぷいと横を向いた。
「……けれど、いずれ恩返しはして差し上げますわ」
「期待せんで待っとるわ。ほな帰るで」
 そう言ってセレシュが、百足草と人面茸の詰まった大袋を担ぎ上げた瞬間。
 何かが、凄まじい速度で宙を泳ぎ、セレシュを襲った。
 いくつもの、毒蛇のようなものが、伸びて来ていた。
 かわそうとしたセレシュの足元が、よろめいた。
 睡眠不足の上に魔力を消耗した身体が、大袋の重さに引きずられるように揺らぎ、倒れそうになる。
 そこへ、毒蛇のような襲撃者たちが一斉に襲いかかる……
 付喪神の少女が、セレシュの眼前にゆらりと割り込んできた。
 割り込んで来た細身に、毒蛇のようなものたちがビシビシッと絡み付く。
 蛇ではなく、植物だった。鞭にも似た、無数の蔓。
 それらが、少女のたおやかな肢体を容赦なく拘束し締め上げている。
「アホが……何やっとんねん!」
 セレシュは大袋を放り捨て、剣を抜いた。
 そこへ、何者かが声をかける。
「あぁん、美味しそうな男……かと思ったらクッソ不味そうなメス2匹、ついてないわぁあ」
 若い女の声だった。
 巨大な青い花が、そこに咲いていた。
 蛇のような無数の蔓に囲まれた、毒々しい青色の花弁。その真ん中から、白く美しい少女の身体が生えている。
 アルラウネと呼ばれる、植物の魔物の一種であろうその少女が、美しく禍々しく笑った。
「まぁいいわ、好き嫌いは美容に悪いもんね……というわけでアンタら2匹、あたしの肥料にしてあげる。ありがたく思いなさい?」
「……その言葉、そっくり返して差し上げますわ」
 付喪神の少女が、少しだけ力んだようである。
 その身を縛る無数の蔓が、ブチブチッと容易くちぎれた。
 おぞましい絶叫が、森の中に響き渡った。アルラウネの悲鳴だった。
「ぎゃあああああああああ何すんのよ肥料の分際でええ!」
「貴女のような、不味そうな野草でも……お肌の栄養くらいにはなる、かも知れませんわね」
 うねる蔓の群れを、優美な繊手で草むしりの如く引きちぎりながら、付喪神の少女が微笑む。
 その不敵な笑顔を、セレシュは以前どこかで見たように感じた。
「ぐぅっ……こ、この化け物!」
 アルラウネの花弁から、青い霧のようなものが迸った。
 猛毒の花粉。大量のそれが、毒煙の如く漂い、セレシュを包む。
「……うち、毒には強い方でなあ」
 人間ならば一瞬にして肺が腐るであろう猛毒の青色の中。セレシュは、申し訳なさそうに言った。
「このくらいの花粉じゃクシャミも出ぇへんねん。相手悪かったなあ、堪忍やで」
 言いながら、見やった。付喪神の少女が、青い毒煙の中を悠然と歩き、アルラウネに迫り、優雅に片手を伸ばす様を。
 その美しい五指が、アルラウネの細身に触れた。か細い悲鳴が上がった。
「ひっ……」
「ふふ、この邪悪な生命力……なかなかの珍味ですわね」
 毒花粉の青い煙幕が、ゆっくりと拡散し薄れてゆく。
 その中でアルラウネは、恐怖と絶望に身をよじりながら固まっていた。
 花弁の青色は、石の灰色に変わっている。
 石の花から生えた、石の少女の肢体が、しなやかな胴を苦しげに捻転させ、食べ頃の果実を思わせる胸の膨らみを激しく突き上げ、優美な細腕で宙を掻きむしっている。
 悪魔的な美貌は、恐怖に歪んだまま硬直し、艶やかな髪は振り乱された状態で止まっている。
 アルラウネは、命を吸収され、石像と化していた。
 セレシュは息を呑んだ。これほど美しい石像は、見た事がない。自分がこれまで作り出してきた、どの石像よりも見事な出来映えである。
(まさか……まさかやで)
 思い出したくもない敵を、セレシュは思い出していた。
 命を吸収し、その代価として美を与える。そんな能力を持った魔女が、かつていた。
 目覚めてはならぬものが、目覚めてしまったのではないか。
 そんな思いを暗雲の如く渦巻かせるセレシュに、付喪神の少女が、怪訝そうに声をかける。
「どうかなさいまして? お姉様。何やら恐いお顔」
「……何でもあらへん。さ、帰ろか」
 暗雲のような思いを、頭を振って払い落としながら、セレシュは大袋を担いで歩き出した。付喪神の少女が、それに続く。
「私の恩返し……まだまだ、こんなものではありませんわよ? お姉様」
「過払いは勘弁やで。ほどほどにしとき」
 そんな会話をしながら、セレシュは1度だけ振り返った。
 もがき苦しむ少女の石像が、森の中に放置されている。
 石像と化す前のアルラウネよりも、ずっと美しい。セレシュはそう思った。