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虫愛ずる貴公子
地元の者たちなのであろう。夜目が利く。地面に転がり込んだフェイトを、銃撃が正確に追って来る。
小銃の、銃撃だった。強盗にしては装備が良い。
着弾の火花が、土や小石を弾き飛ばしながら自分に迫って来る。それを感じつつ、フェイトは地面を転がり、引き金を引いた。手の中の拳銃に、攻撃の念を送り込みながらだ。
敵の姿は見えない。が、敵意の塊は感じられる。夜闇のあちこちに散在している。
それらに向かって、フェイトの拳銃が火を吹いた。
火薬の爆発に念動力を上乗せされた銃弾が、通常の何倍もの速度でライフリングを擦り、何倍もの加速を得て銃口から飛び出して行く。それが、嵐の如く連続する。
念動力に後押しされた銃撃が、フルオートで夜気を切り裂いた。爆炎のようなマズルフラッシュが迸り、消えた。
夜の土漠のあちこちで、強盗たちがことごとく倒れてゆく。
死んではいない。全員、防弾着を着用しているようだ。その上から、念動力の銃撃を叩き付けられたのである。肋骨の2、3本は折れているだろう。
「野良強盗が、小銃に防弾チョッキとはね……」
人民解放軍あたりから武器が流れているのは、間違いなさそうである。
「……お国柄、って奴かなっ」
おかげで1人も殺さずに済みそうだ、と苦笑しながら、フェイトは跳躍した。
その身体が、空中で竜巻の如く回転する。毛皮の外套が、螺旋状に捻れる。
そこへ、残り数名となった強盗たちが慌てて銃口を向ける。
その時にはフェイトは、彼らの真っただ中へと着地していた。
右手の中で、拳銃がくるりと持ち直される。
銃身部を握ったまま、フェイトは身を翻した。
拳銃のグリップ部分がハンマーの如く振るわれ、強盗たちの顔面をグシャッばきっ! と殴打してゆく。
折れた歯が、何本も飛び散った。
歯や肋骨を折られ、倒れ呻いている強盗たちを、フェイトはロープで縛り上げた。
「さてと……あんまり拷問みたいな真似はしたくないんだ。正直に、答えて欲しい」
動けなくなった強盗たちに銃口を向けながら、フェイトは訊いた。
「あんたたち、通りすがりの物盗り……じゃあないよな? 明らかに俺の事、狙ってたよな」
「たすけて……」
強盗の1人が、声を発した。
「おれたち、命令されただけ……たすけて……」
「誰に?」
フェイトの問いに、強盗が何事かを答えた。
人名のようである。それも、恐らくは漢族の名前だ。日本人の口では、いささか発音しにくい。
ただでさえ不作の冬虫夏草を、こうして強奪する事によって、さらに値を上げる。要するに、そういう事だ。
そういう事を企む者によって、この強盗たちは雇われたのだろう。
間違いなく、人死ににも加担している。とは言え、貧困のせいで強盗をやるしかなくなった男たちである。ここでフェイトが手を下すような事はせず、朝になったら地元の官憲に引き渡すべきであろう。
その前にもう1つ、確認しておかなければならない事がある。
冬虫夏草のサンプルが入ったトランクを、フェイトは軽く掲げて見せた。
「土漠の真ん中で立ち往生してる間抜けな日本人が、こんな値打ち物を持っている……なんて話、誰に聞いたのかな?」
「情報、流れて来た……」
強盗が、怯えながら答える。
「日本人が、1人だけ……だけど、こんなに強いなんて聞いてなかった……たすけて……」
「情報、ね……」
これ以上の訊問は必要ない、とフェイトは思った。
誰が流した情報なのかは、どうやら考えるまでもない。
フェイトが目的地に着いたのは、昼過ぎだった。
冬虫夏草の生産地である村。
その村はずれの広い場所にテーブルと椅子を置き、雄大なチベット高原を背景に、ティータイムを満喫している男がいる。
ダグラス・タッカーである。
目が合った瞬間、彼は微笑んだ。小麦色の肌と白い歯の色合いが、胡散臭いほど健康的である。
「やあフェイトさん、お疲れ様」
「……本当に疲れたよ。誰かさんのおかげでね」
フェイトも微笑みながら、睨みつけてみた。自分が睨んでもあまり恐い顔にならないのは、まあ承知の上だ。
黒縁眼鏡でその眼光を受け止めつつ、ダグは相変わらずニコニコと笑っている。
「アフタヌーンティーには、いささか早い時間ですが、御一緒にいかがです? 貴方のティーカップ、温めてありますよ。さぞ寒かったでしょう」
「それほどでもない。身体、動かしてたからな」
ダグとテーブルを挟んで、フェイトは少し荒々しく椅子に座った。
「それより英国紳士、あんたに訊きたい事があるんだよ」
「わかりました、お答えしましょう。そう、蜂の社会というものは大部分がメスによって構成されているのです。いわゆる働き蜂は全てメス。オスの役割は生殖のみ。何年前でしたか、『女性は子供を産む機械』などと発言して大問題を引き起こしたお馬鹿な政治家さんが日本におられましたねえ。蜂の世界はその真逆。男性の方が、まさに産ませるための機械と」
「そんな事は訊いてない」
フェイトは思わず、テーブルを思いきり叩いてしまうところだった。
「俺が訊きたいのは、ピンポイントで俺を襲って来た連中についてだよ。そいつらに情報流した奴がいるらしいんだよね……か弱い日本人が、値打ち物のサンプル持って、土漠で立ち往生してるって」
「か弱い日本人だなどと、私は一言も言っておりませんよ?」
笑顔のまま、ダグは言った。
「か弱く見えてもIO2の腕利きエージェント、いくらか多めに人数を集めた方がよろしいですよ……と、忠告はいたしましたけどねぇ」
「ああ、確かにちょっと人数は多かったかな」
うっかり拳銃を抜いてしまいそうになった右手を、フェイトは左手で押さえた。
「……やっぱり、あんたか。俺に何か恨みでもあるんなら、まず口で言ってみてくれないかな」
「そう、全ては対話から始まるもの。ですが対話ではわからない事も、確かにあるのですよ……例えば、貴方の実力」
ダグが、優雅に紅茶をすすった。
「アメリカに有能なエージェントがいる、というお話は聞いていました。ですが私は、人づての評判というものを信用しません」
「だから試した、ってわけか……」
俺が強盗に殺されていたら、どうするつもりだったんだ。
その質問を、フェイトは呑み込んだ。そうなったら、代わりのエージェントが派遣されてくるだけの話だ。
「代わりなんて、いくらでもいる……そういう仕事だってのは、わかってるつもりだよ」
テーブル上に置いてある、パンのようなビスケットのような茶菓子を、フェイトは掴み取って齧った。
「わかってても俺、あんたと上手くやってく自信ないな……これ、味ついてないんだけど」
「ああ、いけませんよ。スコーンには、ジャムとクロテッドクリームを載せなければ」
言いつつダグは、温めたティーカップに紅茶を注ぎ、フェイトに差し出した。
「……貴方には感謝していますよ、フェイトさん。おかげ様で、我がタッカー商会の邪魔をして下さっている方を炙り出す事も出来ました」
「ああ、冬虫夏草の値段を吊り上げてる奴がいるんだってね」
強盗たちから聞き出した漢族の人名を、フェイトは思い出した。
「これで警察の手が入って一掃、という事になれば最良なのですが」
「そうもいかない?」
「四川省の、地方軍閥の方ですよ。この辺りの警察の力では、なかなか……ね」
ダグが苦笑している。
「まあ今回は、貴方の力を試す事が出来ただけで良しとしましょう」
自分など、この男の目には、そこそこ優秀な働き蜂か働き蟻にしか見えていないのではないか。
そう思いつつフェイトは、スコーンにジャムとクリームを盛って齧り付き、紅茶で流し込んだ。
村人たちへの事情聴取は、ダグが担当してくれた。フェイトがいささか苦手とするテレパシーに頼らぬ、語学力でだ。
「私、フェイトさんと違って腕っ節が全然駄目ですからね。肉体労働以外は、任せていただきますよ」
「……脳筋扱いされてるのか俺、もしかして」
ぼやきながらフェイトは今、ダグと共に山道を歩いている。
村人たちは毎年、この時季にこの山に登り、冬虫夏草を採取している。
だが今年は、採取人が山に入ったまま1人も戻って来ていないという。
誰も山に近付けない。村人たちは、そう嘆いていた。
「この先は……少し、偵察をした方が良いかも知れませんね」
「そうだな。テレパシーは苦手だけど、敵意のある奴がいるかどうかくらいは」
「いえ、フェイトさんは力を温存して下さい。私の苦手な荒っぽい事を、貴方にお任せしなければならなくなるでしょうからね」
ダグの言葉と共に、空気が震えた。
無数の、羽音だった。
蜂の大群。
ダグを、そのついでにフェイトを護衛するかのように、飛行・滞空している。機械のような羽音を、禍々しく響かせながらだ。
「ここは、私の出番です……私と、この娘たちのね」
黒縁眼鏡の奥で、ダグの両眼が熱っぽく輝いた。
この男は、人間よりも虫を信用している。フェイトは、そう確信した。
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