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【名前の読めないテーラー】
〜セレシュ・ウィーラー〜
日傘をさしているのだが、アスファルトの照り返しは容赦なく、頭上の太陽を遮っても熱からは守ってくれない。
呼吸ひとつ。眼鏡の鼻当てまで汗が溜まっていくのを感じた。
あかん。……なんやこれ、暑すぎるわ。
路上は完全な無風。
気が遠くなりかけて足を大きく一歩踏み出した瞬間、けたたましい蝉の大合唱が消えた。
振り返れば、白いエナメルの靴と同色の靴下が見える。日傘が邪魔をしているので顔は見えない。
縁から覗き見れば……。
「あ……」
背後で立っている者は、寄り集まった白昼夢のようだ。髪も肌も着ているシャツも、半ズボンもまったくの純白。
両目だけが黒々と湿って、その胸元、青いリボンが結ばれている。片手へひどくビビットな水玉模様のエコバッグを提げており、小麦粉の袋と卵のパックが見えた。
問おうとしたが声が出ない。
白い者がアザー・ブルーの雨傘を開いて肩で支えれば、前触れもなく、どっと大粒の雨がバケツをひっくり返したかのごとく降り注ぐ。
「ひゃ……えぇっ?! 何なん?」
日傘は雨兼用だったが、さすがに防ぎきれない。ぬるい飛礫(つぶて)が一面白い檻として突き刺さり、膝から下、跳ねた水が次々と衣服へシミを作る。
白い影はと言えば、ゆっくり横をすり抜けていく。
「ちょっ、おとぉっ! 待って!」
細い手首を掴むと強い眼差しが返ってきた。相手の身長も低いので、ほぼ目線が真正面だった。
“何か御用でしょうか?”
「……このへんに“テーラー”ってあるん? 好きな服、作ってくれる店らしいんやけど」
繋がっているお互いの手や腕が、あっという間にずぶ濡れとなり、相手の方から振り払われる。
“何軒もございましたよ。この通りは異国から移住してきた者が多く居ましたので”
「あ、そうなんや? ……そんで、悪いねんけど場所、知ってたりする?」
露先から滴る水のゲージ向こう、賑わす雨音で聞き取りにくいが、店までの行き方を説明してくれる。
「おおきにな。自分も帰る途中やったんやろ?」
“それほど急いでおりませんので。失礼します”
軽い会釈をしてから、青い傘はすぐ横の角を曲がっていった。
すると、降り続いていた激しい雨がぴたりと上る。
「ほんま、どえらい雨やったな」
◇◇◇
道の先、蔦に覆われた煉瓦の建物が見えた。
どうやら、本当の道を教えてくれたようだ。
疑っていた訳ではないが、恐らく買い物帰りの白い者は、自分と同じくヒトの形はしていても、そうではないと感じたのだ。
早速ドアを開ける。ドアベルは鳴らず、清爽なフロアへ小窓からの光りが降っている。
傘をたたみながら一通りを確認。気配なく、木製のハイスツールで銀縁眼鏡を掛けた女がひとり座っていた。読んでいた革表紙の本を閉じると席を立つ。
「ようこそ。本日はお仕立てですか? 繕いですか?」
ウワサ通りやな。
とんがった姉ちゃんと兄ちゃんがおるとか、そないなこと耳にしてたし。
「こんにちは。えぇと、こんばんは、かな? この時間帯って挨拶に迷うんやけど。せやなぁ……。ここの職人さんに旅行の時、使い勝手ええ夏の装いちゅうの? 頼みたいんやけど」
あれ? 確か、二人おるはず。
「よろしければ、手荷物をお預かりいたしましょうか?」
いつから居たのか。黒いレインコート姿の男がドアの前、タオルで水滴を拭き取っていた。フードを伝って床まで水が落ちている。
「サテンシルク。客人は夏の装いを希望だ。始めるぞ」
「……そうですか。こちらへどうぞ」
真新しいタオルを渡され、案内された先で待っていた一脚のサロンチェアは、ホガニーで形づくられた深い赤褐色。磨き抜かれてブロンズの輝きを放つ材は、リボン杢(もく)が現れている。背は花の浮彫装飾。張り布地はジャガードで、ダイヤ模様。金と白の糸で織は緻密だ。遠慮無く深く腰をかけ豪雨で濡れていた手足を拭う。
なんや、お嬢サンかお姫サン扱いで、ムズムズしてくるわ。
隣の銀ワゴンには冷えた丸みのあるグラスへ、薄切りのリンゴとオレンジの果肉入りフレーバーティ。ミントの葉とサクランボが添えられている。セットされた磁器の皿で並んだ甘酸っぱい香りを放つアプリコットケーキ。
「今日はひときわ暑い日ですね。しばらく、おくつろぎください」
青いネクタイの女はフロアを抜け、作業場へ向かう。赤いネクタイをしめた男は手荷物を受け取ると、一旦ステンドグラス張りのドアの向こうへ消えた。
「……採寸とかせえへんの?」
「何か特化したもの必要なのか? そうではあるまい。職人は暴くだけが仕事ではない。装いが本命なのだから」
底なしの暗い眼の下、浮かぶ笑みは幽かなシニカルさを含んでいる。
「お待たせいたしました。ボクはサテンシルク、あちらは姉のベルベット。二人ともテーラーです。お名前を伺っても?」
「ウチはセレシュ・ウィーラーや。よろしゅうな」
何が来るか。と、身構えたが……。単純に名前を聞いただけらしい。
「ご指名はなさそうですね。後ほど完成品をお選びいただきましょう」
サテンシルクは機敏な動きで作業場に立ち、ベルベットは少し眠そうな表情のまま、鋏みを持ち上げた。
ん?! 何コレ、うまっっ!
セレシュは出された深紅のフレーバーティを一口飲んで驚いた。ハイビスカスとローズの香りが疲れを取ってくれる。
近所の喫茶店も結構イケてる思てたけど、使こてるモンが違うんかな。
ケーキも見てくれ素朴やけど味は文句の付けようないし。
この二人、どっかでカフェとか開いた方がええんちゃうか?
「完成しました。どうぞ、試着してみてください」
「へっ?! あ。えらい早ない?」
お茶とケーキを堪能していたセレシュは、サテンシルクの声で我に返る。
差し向かい、二体のトルソー。
マキシ丈ノースリーブワンピース。生地はコットンとレースの透かし。胸下で切り替えが入っている。アクア・グレイ、アクア・スプレイ、アクア・ティントの三段切り替えの仕上がり。
三色グラデーションがええ感じ。海辺のリゾートワンピースやな。
この兄ちゃん、意外と可愛らしいもん作りよる。
左隣のトルソーには、白菫色の七分丈クロップドパンツ。縹色(はなだいろ)のカッソー。絹鼠(きぬねず)の透かし編みストール。
山には持ってこいの組み合わせや。
他の服との着合わせもできそうやし、機能的でまとまりも綺麗なんがまた粋やな。
悩みに悩んだが……。試着室のカーテンからセレシュが頭だけを突き出す。
「……二つとも貰うっていうのは、やっぱり、出来ひんの?」
職人姉弟は作り物っぽく黙っていたが、姉のため息で決着がつく。
「仕方がない。今回は引き分けとする」
「おや、折れましたね。ボクは助かりました」
サテンシルクは姉を流し見てから、客人へ笑いかけた。
収められた二つの箱と、預けた荷物を一緒に差し出すのは弟の職人だ。
「お客様の過ごされる夏が楽しいものとなりますように」
「ほんま、おおきに!」
「またのお越しをお待ちしております」
背後で店の扉が閉まる。
セレシュは思い切り伸びをして、背骨を鳴らし、こそこそ財布を確認した。
「あちゃ〜! すっからかんにされてしもたな!」
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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
◆PC
8538 セレシュ・ウィーラー(せれしゅ・うぃーらー) 女性 21 鍼灸マッサージ師
☆NPC
NPC5402 ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)
NPC5408 白い通行人(シュガー・ニードル) 無性 14 サーヴィター
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■ライター通信■
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大変お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。
セレシュ・ウィーラー 様。
はじめまして。
このたびは【名前の読めないテーラー】へのご来店誠にありがとうございます。
指名なし審判をご希望。とのことで『夏の装い』のオーダー承りました。
職人同士の競い合い、今回は初の引き分けです。
姉弟二人の作品をお持ち帰りいただきましたが、お財布には少々優しくなかった
かもしれませんね。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。
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