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闇色の唇
1.
存在は非公認。場所は不定。活動は秘密裡。
オカルト研究会は神聖都学園高等部の中でもコアなオカルト好きが集まり、ごく一部の人間にしか知られていないアングラ同好会として活動している。
故に非公認、部室などあるはずがないので活動場所は不定、誰もその活動内容を知る者もいない。
夏休みに入ったばかりの校舎は外の運動部のざわめきが微かに聞こえる程度で、奥に行けば行くほど静かになっていく。
奥にあるのは音楽室や美術室などの実技系の教室だ。ここまで来ると外の音も聞こえず、人の気配もない。
うってつけの場所だ。彼らはそう思った。
空き教室を占拠し、カーテンを閉め切り、祭壇の上の蝋燭に灯を燈す。ほの暗い教室の床には白いチョークで描かれた魔法陣。魔法陣の真ん中には果物や肉屋で買ってきたらしき肉の塊、さらに籠に入ったトカゲや煙を細く揺らめかせるお香が置かれている。
「我々の研究成果が今日、試されるのだ!」
1人がそう言うと、全員が頷く。全員、黒い頭巾を深々と被った怪しげな姿だ。
「…位置に着きたまえ。今より召喚の儀式を行う」
魔法陣の中で全員で手を繋ぎ円を作った。これまで何度も行った儀式だ。
だが、今回は今までとは違う新たな試みもある。研究に研究を重ねた結果の改良だ。
「エロ〜イム。エロ〜イム。悪魔よ、来たれ。我らの前に降臨せよ」
掛け声は重なり、低い唸りのように繰り返される。
やがて、魔法陣の真ん中から白い煙のようなものが吹きだし、それはやがて教室全部を覆い…。
「? 今、何か音が…??」
音楽準備室で教材の整理をしていた響(ひびき)カスミは、ビクッとして手を止め耳をすませた。
…聞こえるはずはない。今は夏休みで校舎には誰もいないはずだ。
怖がりのカスミはちらちらと扉の方を気にしながら、再び教材の整理を始める。
確かに聞こえた気がしたのだが…小さな叫び声のようなものが。
なんだったのだろう? 風の音だろうか?
けれど、窓の外の木の葉は揺れていない。風など吹いていない。
ふと、カスミは違和感を覚えた。
おかしい。先ほどまであんなに聞こえていた蝉の声が聞こえない。一斉に鳴きやんでしまったのだろうか?
その異様な雰囲気に、カスミは不安がこみ上げる。
おかしい。おかしい。おかしい。おか…し…い……。
不意に意識が途切れる。クラクラと目が回って世界が闇に包まれる。
私……は…?
2.
「おかえりなさい」
イアル・ミラールは夜遅くに返ってきた同居人のカスミをマンションの玄関で出迎えた。
「…ただいま…」
帰ってきたカスミは疲れた様子で靴を脱ぐ。そのまま夕飯にも手を付けずに寝室に行こうとした。
「どうしたの? どこか具合が悪いの?」
イアルの言葉にカスミは微笑んで寝室へと消える。
「夏バテみたい。寝たらきっとよくなるわ。…明日も学校に行かないといけないから…」
カスミの微笑みに、イアルはいつものカスミからは感じないものを感じた。
それは魔力。微かだけれど悪しき残滓。
イアルはキッチンの椅子に座り、カスミの入っていった寝室をじっと見つめる。
一晩そうしてカスミの部屋を見つめたが、カスミはその夜一切出てこず翌日いつものように学校へと出勤した。
「いってらっしゃい」
イアルはカスミをいつものように見送り、カスミの後を追って学校へと潜入した。
ここはこんなに静かな場所だったかしら?
音のしない学校の中、イアルは耳を澄ませる。学校の外で聞こえていた音がしない。蝉の声も、いるはずのカスミの気配すら…。
どこに居るのだろう? なぜだか胸がドキドキする。不安で胸が押しつぶされそうだ。
「……ゃ……」
どこからか、小さな声が聞こえた。正確には小さい声ではなく、遠いから小さく聞こえた悲鳴だ。
イアルは走り出す。小さな手掛かりだが、予感が足を突き動かす。この先にカスミがいるのだと。
階段を上がり、奥へと足を進める。
ゴトリと音がした。イアルは足を止める。視線を上にあげると『音楽準備室』という札が掛かっている。
ズ…ズ……。何かを引きずる音がする。
イアルは扉に手をかける。そして、その扉を開けた。
そこで目にしたのは、うっとりとした顔の制服の少女に今まさに口づけをしようとするカスミの姿。
「カ…スミ?」
イアルがその状況を飲み込めずにいると、カスミはちらりとイアルに目をやってから少女に口づけをした。
カスミの姿が…段々と歪みはじめ、その頭には人間に生えるはずのない角が生え、スーツはいつの間にかカスミの豊満な肉体を誇張するような露出の高い服へと変化していた。
カスミが少女から離れると、少女は恍惚の表情を浮かべたまま固まっていた。
いや、正確には石像のようにその体は石になっていた。生気を吸われてしまったのだ。
「これは…魔物の力…!」
イアルは音楽準備室へと駆け込んだ。カスミはこの魔力を持った何者かに操られている。
カスミを取り戻さなくては!
イアルの背中で、バタンと扉がひとりでに閉まった。
3.
「カスミから離れなさい!」
イアルの言葉に、カスミの姿をしたそれはただ微笑む。
どうしたらいいの? カスミは無事なの?
疑問と不安は焦りに替わる。イアルはカスミと間を取りながらゆっくりと対峙する。
と、傍に置いてあった何かが肩に触れた。イアルは反射的にそれを見た。
ひらりと掛けてあった布が舞い落ちる。
「っ!?」
イアルは思わず息をのんだ。
それは何体もの少年の石像。いや、きっとこれも人間なのだ。
カスミが…カスミの中の何かがやったのだ。
一気に追い出してみせる!
イアルは瞬発的にカスミの懐に飛び込み、気絶させて…―!?
そう考えていたイアルはカスミの瞳を見てしまった。
カスミだ。いつものカスミの顔だ。
澄んだ瞳の奥に何もかも麻痺させるような…イアルの体から力が抜ける。思考が痺れる。
カスミに抱きしめられて、イアルはなぜか安堵感を覚えた。
わたし…わたしは……カスミ…を…。
カスミの唇がイアルの最後の意志を儚くかき消す。
甘いキス。
イアルの手がカスミを抱きしめようとしたが、その動きは間もなく止まった。
そうして、カスミの唇がイアルの全てを変えてしまうとカスミは呟いた。
『あなたの愛が一番、美味しかったわ』
イアルの中で何かが囁く。
それは温かく、優しい。イアルのよく知る感覚。いつも傍に居るその気配。
それはイアルの意識を、体を、そしてすべてを包み込む。
『…ぎゃぁぁぁああああ!!…』
どこかで断末魔が聞こえる。
あぁ、カスミ。あなたは無事なの?
わたしは、あなたを守るためなら…。
4.
音楽準備室の真下の空き教室に行くと、壊れた魔法陣やら祭壇やらが見つかった。
「あなた達…また勝手なことをして!」
カスミは黒いフードを被った少年たちを叱った。
少年たちはシュンと肩を落として、その叱責を真摯に受け止めた。
イアルは魔法陣に歩み寄ると、しゃがみこんだ。
カスミから感じた魔力と同じ魔力の残り香がした。どうやら彼らが呼び出した者が運悪くカスミに憑依したのだろう。
…おそらく、生気を吸い取るサキュバスという悪魔だったのではないだろうか。
カスミも少年たちも、そして目の前で石化した少女もすべて元通りに戻り、記憶は消えているようだった。
でも、わたしの記憶は消えていない。
なぜ…?
覚えているのは温かな意識。守るように包み込まれた体。
記憶は徐々に曖昧になる。その温もりも、その気配も次第に薄れつつあった。
「オカルト研究会は活動禁止! そして、夏休みの宿題に反省文を追加と保護者を呼んでの三者面談をします! いいわね!?」
「そ、そんなぁ!?」
カスミはいつも見せないような怒りの声をあげる。
蝉の声が耳に届く。
夏はまだ始まったばかりだ。
イアルはカスミの顔を見て微笑んだ…。
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