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芽生える情
月の砂漠に、ステイン艦が墜落事故を起こした。
そのステイン艦に乗っていた零は、墜落の衝撃でほぼ仮死状態に陥っている。
おぼろげな記憶で、零は目の前で光る救難信号用のスイッチに手をかけ、そのまま気を失った。
母艦が数日後に回収しにくるはず……。
遠のく意識の向こうで、そう考えていた。
「なんて事。救難信号の主は、ステインだなんて!」
信号をキャッチしてすぐさま現場に駆けつけたのは、藤田あやこと郁だった。
誰か遭難者かと思えば、よりにもよって敵であるステイン本人からだとは思っても見なかった。
「このまま放置よ。手を出すことは認めないわ」
意識のない零を見下ろしながら冷たく突き放すように言い放ったあやこを、郁は悲壮な表情を浮かべて見上げた。
「でも、こんな状態で放っておけない……」
そう言った郁にあやこはギョッと目を見開く。
「何を言ってるの? 相手は私たちの敵よ?」
「そうかもしれないけれど、こんなに負傷していたら戦えないし、害を及ぼしたりしないと思うわ」
「駄目よ。これは艦長としての命令。彼女のことは捨て置きなさい」
「……」
あやこは冷たく郁を睨み下ろすとすぐに背を向けて艦に戻っていった。
残された郁はそんなあやこの背を見送り、そして零に視線を戻す。
「……大丈夫。あたしが助けてあげるわ」
艦長命令に背く行為だとわかっていながら、郁は零を収容した。
辺りに気を配りながら、救出した零をどこへ入れておくか考えた郁は、独房に彼女を入れることにする。
「助けてあげるけど、絶対に暴れない保証もない。悪いけど、結界に閉じ込めさせてもらうわ」
ぐったりとうなだれていた零だったが、結界に封印されると同時に意識を取り戻し顔を上げた。
目の前にはまったく見覚えのない人物が立っている。しかも、見たこともない部屋に閉じ込められ、かつ身動きも取れない。
零は渾身の力を持って封印を解こうと暴れ回り始める。
「我々はステイン。貴様らを合併する。抵抗しても無駄だ」
体を暴れさせながらも、話す言葉は細々と唸るような感じだ。
そんな彼女に、郁は小さく笑いかけた。
「大丈夫よ。悪いようにはしないわ。だから落ち着いて。とって食べたりしないわ」
そう言いながら郁が取り出したのは、人の魂が入った容器だった。
「これを食べて。少しでも食べたら落ち着くはずよ」
「……」
差し出された餌を、零はまじまじと見つめ郁を見る。郁はただニッコリと笑い、餌を彼女の前に差し出した。
「あのステインを使って、敵の殲滅を図る」
作戦室では、零を巡る激論が続いていた。それに参加していた郁は、強張った表情であやこを見る。
「使うって……」
「霊的ウイルスを彼女に感染させて送還し、ステインを瓦解させる」
あやこのその言葉に賛成するものは歓喜の声を上げた。だが、そのあやこの提案に反対する者も郁を含めていないわけではなかった。
「それは彼女をただの道具として利用するってこと?! いくら敵だからって、相手にも人生があるわ!」
噛み付く郁に、あやこは怪訝な目を向けたまま見据えた。
「分からない? これは戦争よ!」
声を荒らげて怒りをあらわにするあやこに、郁は食い下がった。
「でも、意図的に感染させるだなんて酷いわ!」
懸命にあやこを諌めようとする郁だったが、あやこは断じてその言葉に頷くことはなかった。
代わりに、浅くため息を吐くと別の話を持ちかける。
「……綾鷹。今から私と剣の稽古に付き合え」
「え……?」
「いいから付き合いなさい。分かったわね」
そう言うと、あやこは剣を手にその場を立ち去る。
郁はしばらく目を瞬かせていたが、すぐに自分も剣を手に持ちあやこの後を追いかけた。
刃こぼれのするような音が響き渡る。火花が散り、鈍い光が煌く。
剣を交えていたあやこと郁は、しばらくの間言葉も交わすことなく剣術の練習をしていた。
互いに突き詰め、そして剣を弾きながら距離を保つ。そしてもう一度その剣を交わらせようと郁が一歩踏み出した時だった。
あやこはそんな郁をチラリとみやり、わざと仮病を装って怯んだ振りをする。
「え……」
突然目の前で座り込んだあやこに、郁は驚いて咄嗟に振り上げていた剣をおろす。
「だ、大丈夫……?」
歩み寄ろうとする郁に、あやこはギラリとした目を向けすばやく手にした剣の切っ先を彼女に突きつけた。
「情けは命取りだ」
「……!」
あやこは剣を突きつけたままゆっくり立ち上がると、剣を鞘に収める。
「今のあなたは、彼女にただ同情しているだけよ。それが自分の命に関わると言う事をよく覚えておきなさい」
サラリと言いのけたその言葉に、郁は大きく目を見開いた。
武器庫では、多くの人間たちの爆笑する声が絶え間なく響き渡っていた。
腹を抱えて笑い合う人々の中に零の姿もある。
『ぱぴよん波――っ!!』
そんな声が多くの視線の先にあるスクリーンから響き渡り、どっと笑いがあがる。
艦長が暴れまわるそんな劇中劇を見せられていた零には、何が面白いのか分からずただ黙って目の前のスクリーンを見つめていた。
暗がりに黙ってスクリーンを見つめている零の後姿を、あやこは部屋の外から冷静な視線で見つめていた。
この喜劇を感染させれば、感情を持たないステインはまじめにこの解析を試みるはず。試みている内に論理破綻を蓄積し崩壊するはずだ。
やがて喜劇が終わると、零は郁や他の乗員達に連れられて研究室に向かう。
郁はかつてステイン化された艦長を繋いでいた檻に零を接続していると、零はぽつりとつぶやく。
「ここは静かね……」
その言葉に驚いて顔を上げた郁は、彼女を驚いたようにまじまじと見詰める。
まさか、自我が芽生えた?
「寂しくない……?」
零がそう聞き返すと、郁は首を横に振る。
「友人がいるから、寂しくなんてないわ」
「我々と組めば解析等不要だわ」
「……ううん。それは出来ない」
またも郁が首を横に振ると、零は怪訝な表情を浮かべる。
「反抗は無駄よ」
零の言葉に反論の声を上げたのは郁ではなく、郁と共に来た乗員たちだった。
「無駄なんかじゃない。我々はミールの戦いに勝ったんだ」
「……」
黙りこんだ零に、郁は背後に立っていたあやこを振り返った。そして毅然とした態度で進言する。
「あやこさん。彼女に捕虜条約の適用を願います」
そう言った郁の言葉に、あやこは驚いて目を見開いた。
「捕虜条約の適用? 冗談でしょう。作戦は遂行するわ」
「……」
嘆願を簡単蹴ったあやこに、郁は眉根に深い皺を刻んだ。
零は友愛の心に目覚めた。今はもう敵でもなんでもないのにと、苛立ちが郁を包み込んでいる。
数日後。艦長室に呼ばれた零は、この時初めて出会ったあやこを前に驚いたように目を見開く。
「艦全体が実験動物を溺愛する医者の様ね。まったく、規律が緩むわ」
目の前に零がいることを知りながら悪態をつくように憤激しているあやこを凝視していた零は、ポツリとつぶやいた。
「お前は……アヤキルアン? なぜここに……」
あやこはちらりと零を見やり小さくほくそえむと、自分の用件を突きつける。
「……船を奪うために私に協力しなさい」
その言葉に、零は酷く動揺した。
あやこに協力すると言うことは、これまで親切にしてきてくれた郁に背を向けることになる。
そう考えるだけで、零の胸はズキリと痛んだ。
「わ、私は……郁を守りたい……」
「お前はステインだろう」
「そ、それは……」
返す言葉がなくなった零は、口を閉ざし俯いた。
そんな二人のやりとりを偶然外で聞いていた郁は、艦長室のドアを勢いよく開き怒りの形相で飛び込んできた。
「……っの、くそばばあっ!!」
入ってくるなり暴言を吐きながらスカートを翻しながらあやこを蹴りつけた郁に、零は慌ててそれを静止する。
「大の女子が下着なんか見せたら恥ずかしいわ」
零その言葉にあやこも、そして郁も驚いたように目を見開いた。
まさかステインに乙女心までも芽生えるとはまさに仰天だった。そして同時に、あやこは零が個性を持ち帰ることで自壊を招くと判断する。
「分かった。あなたに選択権を与える。亡命と帰還、どちらを選ぶ?」
「……」
零の自由意志に拍車をかけるようなその質問に、零は揺れた。だが、しばらくしてどこか名残惜しそうに顔を上げる。
「私がこのままここにいれば、ステインの脅威を招くから帰るわ」
本当は郁の傍にいたい気持ちがいっぱいだったが、それは叶わない。
零は名残惜しそうに郁を見つめ、郁もまた悲壮な顔で零を見つめ返していた。
「郁……。今までありがとう……」
「零……」
何か声をかけようとしたが、零は何も言わず二人に背を向けて部屋を出て行った。
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