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<東京怪談・PCゲームノベル>


名前の読めないテーラー


〜石神・アリス(いしがみ・ありす)〜

 藪萱草(やぶかんぞう)に似た夕暮れが、家々や壁、道路へ染みこんで、元の色がどのようなものであったのか……。
 蔦をまとった煉瓦造りの建物も、前に来た時と扉のデザインが違って見えた。が、看板は変わらず、主の名はない。
「荷台の高さを入れて、ぎりぎり潜れるかどうか」
 顎へ指をかけてしばらく考えを巡らせ……ノブ辺り小さく音が聞こえた。開けるべきか腕を伸ばした時、
「さっきから、いったい何をしているんだ? 入るか立ち去るか決めてもらおうか」
 10センチほどの隙間で、撫でつけられた前髪と銀縁眼鏡、光りを反射しない黒い瞳が覗いている。エナメル・ブルーのネクタイまで舞い降りた銀の蝶。確かに、店の職人だ。
「お久しぶりです。わたくしのこと、覚えていらっしゃいます?」
「……石神・アリスだな。どうした? ドレスのメンテナンスという訳ではなさそうだが」
「お願いしたことがあるのですけれども、お店に入れられるものかと」
 蝶番の軋みはほぼ聞こえない。場が開かれてベスト姿の女が全身を現した。黄昏を映したワンピースを着た少女と、布の巻かれた大荷物を交互に見てから軽く肩をすくめる。
「これは? 衣服に関係するものなのか」
「……ええ、まあ」
「サテンシルクは出かけている。夜まで戻らない。今の時点で、職人はひとりしか居ない訳だが?」
「ベルベットさん。あなたへと思っていましたので」
「出直してもらおう……と、言いたいところだが、おまえが私の客人であるのは確かだな。入ったらどうだ?」
 アリスは困った表情で眉を寄せ、持ってきた荷物を手で示した。それでも、ベルベットは問題なさそうに切り取られた入口から横へ退く。
「見えているものだけが、すべてではない。手で触れられるものだけが、そこに存在している訳でもない」
「では、“ある”と思っているものも、その実ではないのでしょうか?」
 彼女は答えない。恐らく“正解のひとつ”なのだろう。
 アリスが持ち手を引いて、外と内の境目を通れば、荷物は衝突することなく潜り抜けた。
「お店、リフォームとかされました?」
「……どうだろうか。おまえが変わったと感じるのなら、そうなのかもしれない」
 言われて、一度来た時の店の姿を思いだそうとしていたが、どうしてなのか像は結ばれなかった。

 店内は外気を取り込んではいたが、屋外と異なり冷ややかだ。吹き抜けを見上げて天井画と気が付く。誰の手によるものか、青空の中心へ星空があり、雲間で蝶が飛んでいる。
 明暗二つの空。
 ホールで塵は見当たらない。作業場の壁一面、あらゆる色と種類の布が仕切られ、行儀良く収められている。時間のためか高い位置の窓からの光りが交差して、職人を照らしていた。
「用件を聞こう」
「今日はこちらの衣装をお願いしたくて」
 アリスが掛け布を取り払うと、薄衣の彫像が一体現れた。ベルベットの眉尻が心持ち上がってから元の位置まで戻る。
「安らかな表情とは言いにくいな……。説明を請うが?」
「こちらの作品。なるべく華やかな衣装にしてくれません? 文字通り彼女が着る最後の衣装ですから」
「……構わないが。魔道に関わるものでの結果なのか? だとすれば、私が触れた時点で最初の姿へ戻ってしまうかもしれない」
「それは……困りますわ。“彼女”には舞台へ上がってもらわないといけませんので」
 石化した人間であるのは、言わずとも伝わったようである。
 だが、職人は無表情のまま、目視で採寸している。
「やれやれ。血も通わず鼓動もないものに情熱を傾ける趣味はないのだよ。まあ、この像がおまえ自身であるなら、仕事も楽しかろうがな?」
 からかっている風な含み笑いの後、ベルベットは舞う仕草で一礼した。
◇◇◇
 オルゴールの音色が隣の部屋から耳まで届く。舞曲のようだが題名は分からない。
 曲線なめらかな黒い漆塗りの椅子。座面は籐張り、アシメトリーで金の草花が描かれていている。西洋の椅子の上、日本の蒔絵が施された一脚でアリスが腰かければ、クロスの掛かった小さな木製の丸テーブル、白と見間違いそうな極めて薄い緑のティーカップが置かれる。縁は銀色で、ソーサーにも同じ銀で円が描かれていた。
「あいにく給仕も使いに出している」
「あら、お構いなく」
 ベルベットの持つティーポットが傾けられて、カップの中が緋色で満ちる。強い発色と高い香り。出された皿には薄い生地で焼かれたパンケーキとオレンジバター。流行りのスタイルは追わない質なのだろう。もしかしたら自身の好みなのかもしれない。
 恨めしい顔の作品は置いたまま、作業場で立った職人は、祈りとも似た呟きを漏らす。
「旅立つ者への黒は皮肉だな。白はあまりに憐れというもの。石の肌では青の加護など無用か。では……」
 浮かせた右の踵を床へ置けば、接した場所から赤い蔦が足を這い上がり、ベルベットの細い腰から脇腹、肩、腕へ達してなお伸び続け、白い五本の指を螺旋状に巻き上げた。
「Entfernt」
 ピンクッションから抜き取った待ち針で壁の布たちを呼び出す。左右から流血の連弾で川と溢れ、冷たい石の女を包み、まるで紅いサナギのような姿……。
「Flageolet tones」
 五丁の鋏みが刺さり、針、朱金の糸が標本として縫い止める。刃が開いて閉じれば、表皮を破って弾け飛びながら、大量のドレープが溢れて咲いた。
  裾へいくほどにやや薄く、大輪の牡丹を思わせる。長いベールは赤と金のビーズがちりばめられ、顔の両脇、雫型の紅玉髄(べにぎょくずい)が揺れていた。
「どのような咎めが苛んだのかは知らぬし、また、知りたいとも思わないが。せめて赤で祝福を」
 ベルベットの指で這う蔦は、枯れ落ち消失していた。

 光りを遮る布を再び被せられた彫像は、難なく外まで送り出される。
「……この作品について、何も問わないのですね」
「客人のプライバシーは、私の介入する所ではない」
 アリスの声にベルベットはそつなく答えた。
 職人の暗く澄んだ瞳孔が、今は青く輝いている。外灯が順番に点っていくと、菫色の闇が漂い始めていた。
「あの……、オークションには興味ございませんこと?」
「……熱心なのだな。では、正直に言うぞ。私の芸術品というもへの知識は、偏りもあるしそれほど深くない。ヴィクトリア朝アンティークなら話は別だが」
「作ったドレスの行方は気になりませんか?」
「最善を尽くしたとも。“彼女”が心ある者の元へ行けることを願おうか」
 巣まで帰る鳥らしき羽ばたき、沈黙。
 少女が動こうとしないので、職人は腕を組み直した。
「アリス。日が沈んでしまうぞ」
「ベルベットさん。あなたは、ずっと、この名前の読めないテーラーで、大半を過ごされているのでしょう? 籠もってばかりでは、体に毒ではありませんか?」
「視線を逸らしたな。……何を考えている? 試しに言ってみたらどうだ」
「姉上、こんな所で立ち話ですか?」
 アリスとベルベットが同じ方角を見れば、緑のインバネスを羽織った青年が、ドレスケースを持ってたたずんでいた。
「夜が来ます。お客様、表通りで迎えを待たせているのでは?」
 運び出す荷物が大きかったため、屋敷の者へ命じ、帰りの車も手配済みだ。もう、指定の場所へ到着しているだろう。気付かれないよう小さなため息。

 残念、時間切れだわ。

 もし、一日中、雨と決まっているのなら、聞いた【誓約】を気にすることなどないのかもしれない。
 靴の爪先を返せば、姉弟の二重奏。

「またのお越しをお待ちしております」

 両脇で路面を照らす外灯。陰影の深い煉瓦の建物。
 辺りは静まり、人の生活する気配がない。
 なごり惜しいほどではなかったが、携帯電話のカメラで店の扉を撮影してみれば……。

 画像を確認して、アリスは金色の両目を見張った。

「ああ……。やはり、そういうことなのね」



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■登場人物■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

◆PC
7348 石神・アリス(いしがみ・ありす) 女性 15 学生(裏社会の商人)

☆NPC
NPC5402 ベルベット(べるべっと) 女性 25 テーラー(仕立て職人)
NPC5403 サテンシルク(さてんしるく) 男性 23 テーラー(仕立て職人)


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■ライター通信■
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大変お待たせいたしました。ライターの小鳩と申します。
このたびは、ご依頼いただき誠にありがとうございました!
私なりではございますが、まごころを込めて物語りを綴らせていただきました。
少しでも気に入っていただければ幸いです。

石神・アリス 様。

お久しぶりでございます。
このたびは【名前の読めないテーラー】二度目のご来店誠にありがとうございます。
ベルベットへのご依頼。とのことで『作品の衣装』のオーダー承りました。
職人同士の競い合い、今回は姉ベルベットの一勝となりました。
アリス様とは一度お顔を合わせているので、職人も言葉数が多くなっています。
ふたたびご縁が結ばれ巡り会えましたらお声をかけてくださいませ。