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<東京怪談ノベル(シングル)>


ピュグマリオンとガラテイアの日常


 人間の世界で生活するようになって、随分と経つ。
 自分は間違いなく人間に近くなってしまっている、とセレシュ・ウィーラーは思う。
 以前は、食事も睡眠も無しで日常を過ごす事が出来た。
 だが今は、徹夜をすれば眠くなる。朝昼晩には、ごく自然に何かを食べてしまう。食べずにいると、空腹を感じるようにもなってしまった。
 無論、感覚的なものに過ぎない。食事も睡眠も必要としない肉体が、変化してしまったわけではない。
 それでも、美味いと感じてしまう。
 マヨネーズとマスタードの混ざり具合が、絶妙だった。キュウリの歯応えも、申し分なしである。
「おいし〜い」
 セレシュ以上に食事など必要としないはずの少女が、そんな声を発している。
「お姉様のお作りになるホットサンドは相変わらず絶品ですわね。お料理上手は、年の功かしら?」
「……まあ否定はせぇへん。薬関係の技術なんかは、料理にも応用できるもんやしな」
 自信作・ツナマヨとキュウリのホットサンドを齧りながら、セレシュは言った。
「ちゅうワケでや、一服盛られとうなかったら黙って食べぇや。いらん事言いを黙らせるお薬なんかも、あるんやでえ」
「お肌の若くなるお薬がいいですわ。お姉様が、いつも使ってらっしゃる」
「使うとらんわ! そんなもん」
 良くも悪くも人間らしくなってきたのだろうか、とセレシュは思う事にした。
 朝食の時間である。夜眠り、朝に起きて、飯を食らう。自分もこの少女も、人間の生活をしている。
 元々、石像であった少女だ。それが付喪神となり、生身の美少女の姿で動き回るようになった。
 生きている、と言っていいだろう。本来ならば必要ないはずの食事を、このように喜んでいる。
 無駄な事をする。無意味な事に、喜びを感じる。それが生きるという事なのか。
 がつがつと美味そうにホットサンドを頬張る少女を見て、セレシュはふと、そんな事を思った。


 掃除をさせればモップをへし折り、浴槽を割り、洗濯をさせれば衣類を引き裂いてしまう。
 最初の頃は度々そんな事があったが、最近はようやく力加減を覚えてくれた。
 こうして分担しての家事を任せられるようになった、はずの付喪神の少女が、青ざめ深刻な顔をしている。
「お姉様……」
「何や、また何か壊したんか」
 セレシュは、とりあえず掃除機を止めた。
「怒らんから正直に言うてみ?」
 見たところ、洗濯機はきちんと回っている。浴室の掃除も、済んでいるようだ。どこか壊れているようには見えない。
 付喪神の少女は何も言わず、ふらふらと体重計に乗った。
 女の子としては、いささか厳しいか、と思われる数字が表示された。
「今日、初めて知りましたわ……私……お……重い……」
 少女が、倒れるように体重計から下りて壁にもたれかかる。
「お姉様、お願い……私を1度、石に戻して……そして削って……あの、出来れば材質を軽石か何かに……変えて下さいません?」
「無茶言うたらあかんて。ええやんか、見た目太っとるワケやなし」
 泣きじゃくる少女の肩に、セレシュは優しく片手を置いてみた。
 華奢な、柔らかな感触。間違いなく、人間の少女の肉体だ。
 ただ、元々は石像である。それが体重計に、数字として出てしまう。
 食事を必要としない、基礎代謝を行わない生き物でも、魔法を使えば消耗は起こる。だからセレシュは普段の仕事で魔力を使い、食べた分のカロリーはしっかりと消費している。
 この元石像の少女にも、それが出来るかどうか。
 またあの森へ行って、少し過酷な仕事をさせてみようか、とセレシュは思った。


 とりあえず、少し走らせてみる事にした。
 日が落ち、人通りが少なくなる時間を見計らって、家を出る。お揃いの青いジャージに身を包み、走り出す。
 少し走ったところでセレシュは立ち止まり、振り返った。
 情けない声が、追いかけて来る。
「お……お姉様……待ってぇ……」
「待っとるさかい、自分のペースでゆっくり走りや。慌てんでええ」
 ジョギングには確か「ゆっくり走る」というような意味があったはずだ。
 その意味に忠実に、というわけでもなかろうが、付喪神の少女はゆっくりと、今にも倒れそうな足取りで走っている。セレシュの歩行速度よりも遅いのではないか、と思えるほどだ。
 接近戦では無類の力を発揮する少女である。とは言えセレシュの思った通り、走りはやはり得意ではない。
 これで走力・持久力さえ身に付けてくれれば、あの森での戦いよりも、もっと厳しい仕事を任せられるようにもなる。
「今日は、とりあえず駅前のコンビニまでや」
「嫌……」
「何や、キツいんか? なら公園までにしとこか」
「嫌……いやッ! ジャージは嫌あああああああ!」
 死にそうな様子で走りながら、付喪神の少女は泣き叫んだ。
「もっとセクシーなタンクトップとか、ヒップラインの出るランニングパンツとか! 形から入るという言葉、お姉様ご存じありませんの!?」
「うちのお店は品質本意、中身で勝負や」
 魔具にしても薬品類にしても、品質が高まれば、自然と見栄えも良くなってゆくものである。
「スポーツでオシャレするんは、まあそれなりに走れるようになってからやな。ほな先行っとるで」
「せ、殺生ですわ! お姉様ああぁぁ……」
 悲鳴を背に受け、セレシュは容赦なく走り出した。
 元石像の少女が、決死の形相で追いかけて来る。よたよたと走るその姿から、悲壮なまでの気合いが溢れ出している。
 あまり頑張らせ過ぎると、また力尽きて石像に戻ってしまいかねない。セレシュとしては、それがいささか心配ではあった。


 力尽きる事もなく完走した少女を、セレシュは拍手で迎えた後、風呂に入れ、体重計に乗せた。
 数字は、確かに減っていた。
「お姉様! お祝いをしましょう!」
 付喪神の少女が、狂喜乱舞している。
「焼き肉にしましょう焼き肉! カルビ! ハラミ! タン塩にホルモン! お肉の脂と冷えたビール、最高のマリアージュですわ!」
「元に戻してどうすんねん」
 セレシュは苦笑した。
 運動をして体重が減る。食べると太る。この少女が、より人間に近くなったという事だ。
(人間に成ったら成ったで、体重どころやない、いらん苦労が増えてくもんやで……)
 思っても口には出さず、セレシュは一緒に喜んで見せた。
 体重が減る。美味いものを食べる。
 そんな無意味な事に喜びを感じるのが、人間として生きるという事なのだろう。